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 上杉鷹山 

歴史秘話ヒストリア
米沢藩は、120万石から15万石に領地が減っても家臣の数は減らさず
同じ石高の他の藩より3倍の家来がいた(約5000人)。
16万両の借金(藩の税収の5年分)。

18世紀後半の東北地方は異常気象が多かった。
1755年(宝歴5)冷夏・長期洪水・稲の立ち枯れで収穫量は3分の1に。
村人は逃げだし、13万人いた人口は10万人を下回った

1757年 10歳で米沢藩の次期藩主に内定。17歳で米沢へ。
白子神社に誓詞を奉納
「米沢の、再興の決断を怠ることがあれば神罰を受けても構わない」

大倹約令 自ら生活費を7分の1にし、範を示した。
木綿の衣服・一汁一菜など。
13000人もの家臣を農村で働かせた
備籾倉(そなえもみぐら) 武士から農民まで、半ば強引に供出させた。

1773年 七家騒動 23歳の時。保守派の重臣たちと対立。
苦悩の末、2人を切腹、首謀者を打ち首にした。

1783年 浅間山噴火・天明の飢饉 
東北地方で30万人もの命が餓死や病死で奪われるが、
各地の備籾倉が効を奏し、米沢の餓死者は少なかった。
その他にも他の藩から大量の米を借りたり、商人から米を買ったりと様々な手を打つ
さらに天候不順が続くと、お堂に泊まり断食して祈った

しかし田畑の荒廃は進み、年貢が減少し、家臣の給与も減り、
年貢の徴収の際に不正を働く家臣もいた。逃げ出す農民も増え続け、藩は破綻寸前。

1785年 35歳で藩主を引退。しかし諦めたのではない。
参勤交代で一年毎に米沢を空けるより、米沢の藩政改革に集中したかった。

上書箱 農民・商人・武士からの、藩全体の知恵を広く集めた
ある日、意外な人物からの意見が入っていた。
藁科立遠 七家騒動の首謀者の息子。これまで役職は与えられていなかった。
「倹約だけでは限りがあり~、上に立つものは天道に代わって人々を撫育する
 (慈しみ育てる)ことこそが務めである」
締め付けだけでは、人々は生きる気力を無くしてしまうことに気付いた。

育児手当の支給
敬老の会
 90歳以上の人をもてなし、鷹山自らがお年寄りの話に耳を傾けた。
それまでは倹約のために盆踊りや祭りを禁じていたが、ささやかな娯楽を許可した。

幕府や藩政の変わり目
年貢を取り上げる政権から、きめ細やかな民政を行うようになった。
江戸時代の福祉国家の先駆けが上杉鷹山率いる米沢藩。

天下の本は国、国の本は家なり
安心して子を育て、老後を迎えられる国作りへと舵を切った鷹山は、
この後、奇跡の復興政策に着手。

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