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 #6 高校講座日本史 

明治時代までだと1000年以上都が置かれていた所。
鎌倉時代まででも794~1192年 398年間。江戸より長い。
平安時代は3つに区分される。
1、中国の律令に基づく政治を立て直していこうとする時代唐風文化。
2、摂関政治。唐風文化を吸収した上で日本風の文化が生まれた時代。
3、院政。武士の活躍。この頃はもう古代ではなく中世だといわれる。
今回は上記の1つめの区分を、3つの要点に分けて説明。

平安京の時代
1、平安王朝の成立
奈良時代の天武系の孝徳天皇から、天智系の光仁天皇へ
その子である桓武天皇は父が天智系で母が渡来系
自分が新しい王朝に作ると言う強烈な意識があったらしい。

軍事 支配を広げるため、三度東北の蝦夷を攻める
789年胆沢 最初の戦い。アテルイに負ける。
801年 三度目の戦い。征夷大将軍坂上田村麻呂が制圧。
胆沢城、志波城を作る。

造作 新しい都の建設
784年 長岡京 
水利が良かったが、二度洪水があった。

794年 平安京 東西およそ4.5km、南北およそ5.2km
古代中国の都にならい、北よりの中央に政治をおこなう大内裏を置き、
そこから幅85mの朱雀大路。街路樹。
碁盤の目のように区分けされた町並み。
大内裏のいくつもの門をくぐると、天皇が儀式を行なう大極殿

805年 徳政相論 藤原緒嗣と菅野真道の二人に政治改革について論じさせた。
藤原諸嗣は軍事と造作の取り止めを主張し、桓武天皇は受け入れた。
天皇は当時70歳。自身の進めてきた二大事業に終止符を打ち、3か月後に崩御。

桓武天皇の子の平城天皇 経済を立て直そうとするが、病弱。
弟を嵯峨天皇にし、自分は上皇になるが、病が回復し政治に口出し。二所朝廷となる。

810年 薬子の変 嵯峨天皇が平城京に都を戻そうとした上皇を阻み、上皇は出家。 
ここから平安京は千年の都として確立。

2、律令制の変容
律令制が行き詰まり、修正。
班田収受がうまくいかず、12年毎にして、また6年毎に戻した。
全国一律のはずが、畿内だけ定めている。
偽籍 女だらけの戸籍。これはあからさまな。

令外官(りょうげのかん) 令の規定にない、新置の官職
勘解由使 かげゆし 国司などの交替の際に不正が行われないよう書類を確認する役所。
蔵人   くろうど 天皇の言葉を臣下に伝えたり、臣下の言葉を天皇に伝えたりする
検非違使 けびいし 京中の警察機能を担当する役職。
摂政   せっしょう天皇が幼少のときなどに、天皇の代理で政務を行う
関白   かんぱく 天皇から下されることについてまず相談を受け、天皇を補佐
など

律令制を円滑に進めるための規則作り
820年 弘仁格式 施行細則である式や律令を補訂する格(きゃく)の集大成。

遷都により、奈良時代の貴族や豪族の没落
新しい貴族

降下 天皇家の子孫が姓をもらって普通の貴族になる。
桓武天皇→ 桓武平氏 → 将門・清盛など
平城天皇→ 在原氏  → 業平など
嵯峨天皇→ 嵯峨源氏 → 信・融など
清和天皇→ 清和源氏 → 頼朝など
 
藤原北家
冬嗣 娘の順子を明天皇に嫁がせ、孫の文徳天皇の外戚となる。
866年 応天門の変 など、政変を利用して他の一族を追い落とす


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 この記事へのコメント 

まどろみ島へようこそ!
この間はコメントをありがとうございました。おかげさまで足りない言葉を少し補えた気がします。

藤原京は平城京や平安京よりも大きかったけれど、屎尿問題に悩まされたと読んだことがあります。
皆が川に流していたら、貴族の館の方へ流れてしまったという(笑)。
藤原京・平城京・平安京とも水洗式も貯留式もあったようですが、
平安京の排水の仕組みがそんなにも高度だったとは気が付きませんでした。
今までの都市づくりでよっぽど懲りたのかもしれませんね。
平城京以前、例外もありましたが天皇が変わるごとに都を変えたのは、
昔の神道的な考えもあるのかもしれませんが、
伝染病などでどうにもならなくなって遷都したと言われる方が納得しますね。
自然との調和を壊して、都市問題が起こるのですね。

黄金電車、知りませんでした。
西武鉄道のwikiを見てきました。化学肥料が登場してからは売れなくなったのかー。
屎尿を肥料に使うことは、野菜に寄生虫の卵が付く問題などがありましたが、
現代ならどうにかなりそうな気がします。
人間の栄養吸収率は低いので、安全に肥料に使えると良いと思います。
もしバイオマスエネルギーの材料になったらすごいと思います。
http://madoromitou.blog60.fc2.com/blog-entry-120.html
↑「日本」カテゴリの「どうする?日本のエネルギー」の記事です。
よかったらご覧下さい。

南海の方は見つかりませんでした。
「今は違うから関係ない」と言う、無関心に近いのかもしれません。

面白いコメントをありがとうございました! 
「それを削除なんてとんでもない(笑)!」
またのご上陸をお待ちしております!
 お邪魔します

 記事について斜めから変な話をしますが、不適切なコメントになりかねないので、削除の適否は管理権限裁量でお願いします。

 歴史学的に近世以前において、長い期間、同一箇所に都が維持できることは多くありません。仮に長期間、都になるとしても、人口が多くない都市であるのが一般的です。
 実際、日本の都は平安京を除けば半世紀に満たない「都寿命」なことからも分かることでしょう。
 そこで発生する疑問が、『平安京がなぜ長い期間「都」でありえたのか?』という問題です。
 教科書レベル・概説書レベルではあまり指摘されない問題ですが、その回答は、平安京が優れた公衆衛生機能を維持した都市であったことにあります。
 平安京時代においては、多くの人間の排泄が人工池・都内部を流れる河川を利用するシステムが整備され、汚水が溜まり難かったことから比較的高い公衆衛生環境を維持できたようです。
 世界史においてしばしば巨大都市国家が消滅する際は、伝染病であったりすることは有名ですが、平安京においてそれらの伝染病の流患がほとんど報告されていません。
(日本人の公衆衛生意識の高さは有名ですが、おおよそ平安京時代に形成されたものでしょう。)
 なお、平安時代以前の都が遷都する際は、大きな伝染病の発生などが文献的に確認されることからも、都の寿命は公衆衛生次第ということは可能でしょう。
 極めて局所的な話ですが、江戸時代における人糞処理の話は、戦後まで継続しています。
 「黄金列車」という人糞を満載した列車が戦後の日本の巨大都市に大概存在したことなどは、歴史では指摘されることはありませんが、少なくとも文献上には確認されます
 西武・南海などの私鉄は「黄金列車」を母体としている路線が数多くあるのは、社史においても指摘されることではあります。

まぁ、自分が通勤・通学で利用する路線が、人糞を運ぶための路線だった・・という過去などは「どうでもいい」もしくは、事実として忌諱したいものでしょうから、巷説として伝播しないのは仕方ないでしょう。

 どうでもいいコメントでお邪魔しました 
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