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 #7 江川英龍 

1853年 ペリー来航で、幕府はやっと動く。
同年、幕府から品川台場築造の命を受ける。

台場 大砲を備えた要塞。
弾薬庫や陣屋の跡
がある。

最初は観音岬から富津岬までの、浦賀水道を台場で封鎖する計画だったが、
幕府の財政・日程の都合で、
江戸市街地の身を主眼に置いた、
品川~深川にかけて砲台11基を台場に建設することになった。


埋め立て工事 最も大変だった。
木材は関東周辺から約4万本、
土砂は御殿山や八つ山を切り崩し調達、
石材は伊豆・相模・駿河から千人もの石工を動員
し、船で運び込んだ。
規格に近い大きさの自然石を使っていた。


英龍は、設計・現場監督・人足の手配・予算管理など、全ての指揮を担当。

当時、英龍の弁当持ちをしていたのが桂小五郎で、
英龍の影響を最も受けた人物の一人だと言われている。


24ポンドカノン砲 遠くまで弾が届くように、洋式砲が必要だった。


ニコライ堂 当時は江戸を一望できた。 
ここから、英龍の温鉄砲鋳場が見えた。隣には湯島聖堂があった。
韮山反射炉ができるまで、ここの旧式の溶解炉で精力的に大砲を作っていた。


当時は溶鉱炉が無かったので、
品川台場に備える大砲を作るために、反射炉が必要だった。
強靭な鉄製の大砲を作るために、韮山反射炉を作った。


韮山反射炉については次回に纏めます。

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