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 #5 フェルメール光の王国展 

17世紀のオランダは西洋の繁栄国として成長を遂げ、
発明と発見に満ちた好奇心の旺盛な時代だった。

小国でありながら全世界を相手に交易する一方で、国内では芸術が花開いた時代。
裕福な市民は世界中から様々なものを集めた。

地図・地球儀・光学機器などにより新しい世界観
がもたらされ、
フェルメールの絵にも反映している。


福岡伸一の部屋フェルメールセンター銀座の館長(総合監修)である、分子生物学者のコーナー。

レンズ
西洋では13世紀頃から使用
された。
17世紀にオランダで優れたレンズ研磨機が開発され、品質が飛躍的に上昇。
目に見える世界を信じる性質のオランダ人にとって、世界は格段に広がった。

レーウェンフックの顕微鏡(複製品)
専門的な教育を受けていなかったが、自作で顕微鏡を発明。
単眼式
 直径1mm位の球形レンズを金属板にはめ込んだ。
生涯に約500個製作。倍率は最高200数十倍。

英国王立協会の書簡(複製)
レーウェンフックから王立協会への報告は、1673~1723年までの約50年。

福岡伸一氏は初期の書簡の中から極めて細密なスケッチを発見。


福岡伸一さんの仮説
レーウェンフック素描画の一部はフェルメールが描いたのではないか

2009年に、福岡伸一さんは王立協会の書簡を調査した。
レーウェンフックは『天文学者』と『地理学者』のモデルではないかと言われている。

レーウェンフックはフェルメールの死後、彼の財産管理人になったという記録がある。
前の交流を裏付ける直接的な資料はまだないが、
レーウェンフックは「~熟達した画家に依頼した」と書き残している。

画家の名前はウィレム・デル・ウィルトしか記録されていないが、
彼は1691年生まれ。フェルメールが亡くなったのは1675年である。
ウィルトは後期の画家

1673年から約50年間、報告書に添えられた素描画は、
複数の画家によって描かれたと推測
でき、その中にフェルメールがいたかもしれない。

特に初期の2つの素描画は陰影や濃淡のつけ方が巧みで、
1676年以降の絵は科学的には正確だが平坦で、筆記具も変わった。

フェルメールが描いたか
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