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 エジプト大ピラミッド隠された王墓と財宝 

エジプト大ピラミッド隠された王墓と財宝 日本と古代ペルーの神々が解く7つの鍵
吉村さんが案内してくれました。

第1の鍵
ピラミッドは王の墓ではなく、石の箱は棺ではない

蓋が無い 始めから空で、なめらかではあるが装飾が無い。
ツタンカーメンの棺より一回り小さい。
太陽の船を発掘してその謎を解く。

第2の鍵
太陽の船の、ツヤの有る面がある木材。船室に使われていた。
ツヤツヤではあるが装飾はない。

大ピラミッドの王の間・壁・石の箱も、
つるつるに仕上げてあるが装飾も財宝もない。
神聖な場所は入念に清め、塵一つないようにするから、
これは、神様の居場所だからではないか。



第3の鍵
福岡県宗像神社
 天照大神の娘 三女神を祀る

沖ノ島 海の正倉院。
1650年程前、国を挙げての信仰が始まった。禊をしないと入れない。

8万点もの国宝 金の指輪・馬具など、三女神に捧げる為に集まった。
しかし、沖津宮は質素な造り。大ピラミッドの王の間のように。

耳石 
古代エジプトでも神様の声を聞くために耳木を作って埋葬品に入れた。


みあれ祭 特別に撮影が許された。
100隻を越える漁船団がご神体を守って出港。
雨に祟られたが本土についたころには雨は上がっていた。
天候により船の数は増減するが、祭りが中止になったことはない。

ご神体は光であり空気であり、形のあるものではない。
日本の神道も古代エジプトも共通。

2017年11月 大ピラミッドに新たな空間があると報道。

1987年 電磁波レーダー調査
女王の間の北側の壁の先に空間の存在を発見。
女王の間に繋がる通路がもう一本ある可能性。


吉村さんの話 
ピラミッドには空間がたくさんある。

耐震構造の為や、大事な神様が通る所とか。
ピラミッドはご神体であり、そこに神様の霊が祀られる。



大ピラミッドが墓ではないなら王の墓はどこにあるのか
大ピラミッドの西側に大臣や貴族のマスタバがあり、この下に王の墓がある。

秦の始皇帝のような地下帝国に近い。
ここにはないだろうと思わせる所にある。マスタバは王の墓のダミーではないか。


第4の鍵 古代ペルーのピラミッド
太陽信仰が盛ん。
首都リマを少し離れると砂漠が続く。
苛酷な方が文明が起きる。
自然との戦いから人間は一生懸命になる。

カラル遺跡 リマから北へ200km。砂漠の真ん中にある。
20のピラミッド。高さは大体20m。
日本の石垣のようにいろんな大きさの石を積み上げている。
植物も一緒に積んでいる 
い草を編んだ網 小さい石も有効活用。
石が貴重だった。
い草は約4600年前のもの。エジプトの大ピラミッドと同じ頃に造られていた。

カラル遺跡のピラミッドは神殿だった 
頂上は平ら。墓ではなく、頂上で神様に祈りを捧げていた。


円形遺跡 ピラミッドの正面。直径36m。
二重の円 太陽を象徴。
古代エジプトの太陽神も二重丸で表現される。



トゥクメ遺跡 カラル遺跡より北。
煉瓦を積み上げて作ったピラミッド 聖なる山の北側に26ある。すべて神殿。


第5の鍵 エジプトとペルーを繋ぐレリーフ
ワカ・ラス・バルサス神殿のレリーフ
二艘の船が一列になって進んでいる。鳥が乗っている。鳥は方角を決めるのに重要。

古代エジプトの壁画にも船に鳥が乗っている。
古代エジプトでは王が亡くなると魂バーは鳥の姿になり、太陽の船に乗った。

レリーフの前方の船の鳥はオールを持ち、後方の船の鳥はオールを持っていない。

古代エジプト貴族アメンエムハトの墓(約3500年前)の壁画
前方の第二の太陽の船が帆を張りオールで漕ぎ進み、後方の第一の船を牽引。
前が動力船で後ろの船に神様(王様の魂)が乗っている。

吉村さんの話
聖なる山とレリーフの位置関係 南西。
聖なる山からレリーフのある神殿は夏至の頃に太陽の沈む方角。

支配者の墓は未発見 神殿の南側を発掘する計画
がある。
吉村さんは神殿の手前の砂漠地域だと推測。
帰国後、推測が当たり南西地域に墓と思われるものが見つかった

ピラミッドに登る。見事な夕焼け。←これは信仰心が湧きそうだなあ。
生きとし生ける命は太陽が支えていると実感していた。


第6の鍵 シパン王と莫大な財宝
シパン王墓博物館 シパン王(約1350年前) 
約30年前にほぼ完全な形で発見
された。副葬品は財宝に満ち溢れていた。

金銀を使った王笏、黄金の腰当、銀の腰当など。
金が太陽、銀が月
 一日を表し、一年を表し、永遠を表している。

シパン王の胸飾り 細かいビーズを繋げ、太陽のような図柄。
それを被るシパン王自身が太陽だった。王は太陽と同じ存在になろうとした。

ワカ・ラハダ遺跡 ピラミッドのすぐそばにシパン王の墓がある。

シパン王の墓 保存されている。埋葬されていた様子を見ることができる。
足を切られた王の護衛役 逃げないように。
若い王妃 王が亡くなった時に殺された。

残酷ではない 
吉村さんは王妃や家臣たちが自ら一緒に墓に入った
と言う。
あの世でも一緒に暮らしたい、つまり現世が幸せだったということ。
↑そうかなあと思ってしまいます。「王にとっては」なら納得。なぜ足を切るのか。

王墓の周辺の墓
軍人の墓
 シパン王の軍隊の最高司令官。

軍隊のトップを守るための護衛とリャマの墓

シパン王は家臣たちと同じ地域に埋葬されていた。

ピラミッドの頂上では、シパン王が黄金の鎧を身に着け、
昼は太陽、夜は月や星に祈りをささげていた。

シパン王は聖地のピラミッドの傍に王と家臣の墓を作り永遠に暮らしたいと願った。



吉村さんの話
ピラミッドとシパン王墓の位置関係
ピラミッドの西側にお墓があるべきなのに東にある。


ピラミッドの西側を調査すると、もう一つピラミッドがあった。
中央のピラミッドのシパン王の墓の200年前、
西側のピラミッドはシパン王の二代前に造られた。

中央と西側のピラミッドの間では既に様々な儀式が行われていて、
王の墓を作れなかったのかもしれない。


シパン王の研究者の話
東は太陽が毎日登る所であり、そして永遠に繰り返す所。
東は命の始まる所という考え方から、東側につくったのではないか。

再生と復活を願うエジプト人と同じではないか。


クフ王のピラミッドの東側に、クフ王の母と妃と子供達の墓がある。
再生復活がエジプトのテーマ。太陽が昇ってくることが再生。

東に家族、西に大臣や貴族に囲まれて、クフ王は眠っているのではないか。



一番大事な祭りの日のために太陽の沈む方向にお墓を作る。
太陽が沈む方向に、太陽と共に逝く。



第7の鍵 宗像大社の西側の古墳
日本の古代の支配者も太陽の沈む方向にお墓
を作っていた。

新原・奴山古墳群 辺津宮の2km南西。
当時、海に突き出すような地形に造られていた。
宗像の君のお墓と、家臣たちのお墓が集まって埋葬されている。


西部墓地 クフ王の大ピラミッドの西側。
空き地がある ギザの三大ピラミッドを設計したヘムオンの墓のすぐ南。
ひょっとしたら三人の王の複合墓かもしれない。
最新の技術で測量中。


感想 
ここで終わるんかーい! 
吉村さん一方的にお久しぶりです。
アナウンサーさん、大ピラミッドの王の間に入れていいなあ~。
ペルーや宗像神社にも行けていいなあ。真面目で好感が持てました。お疲れ様です。

「大ピラミッドはご神体説」は良いと思います。
王様だけのためのものだったら作る気にならないのではないかなあ。
みんなのためのものなら頑張って作る気になると思います。

でも王の墓を見ると、やっぱり個人的な願いのために造ったのかなという気もします。
王様たち、寂しがり屋過ぎない?! そして自分勝手すぎない(苦笑)?!
それに神様の居場所が簡素なのに、自分の墓だけ絢爛豪華だなんて、
神様に清らかさを求めすぎじゃないですか(笑)?

>ご神体は光であり空気であり、形のあるものではない。
というのは日本人の自分なら納得するけど、本当に古代エジプトの人も同じなのかな?

超古代からの挑戦状! ①縄文ストーンサークル編
日本では皆で自分達のために楽しみも兼ねて造ったらしい(仮定)のですが、
エジプトやペルーではそういうわけではないのかもしれませんね。
でも使役されるだけでこんなにすごい建造物が作れるのかなあ。
古代エジプト大ピラミッドの新事実で少し納得しました。
なるほど、王は神と同じということだったのか。
災害にならないように、豊穣のために必死だったのですね。
これも自分や家族の為ということになるんだね。

日本の神道・ペルーの太陽信仰と比べてみるのも面白かったです。
大ピラミッドの石室の簡素さに説得力が出たし、
ペルーの王のお墓がエジプトのお墓のヒントになるかもしれないですね。
でも同じ位の時代でもあんなに距離が離れているのになんで共通点が多いんだろう。
うーん、世界のどこに住んでいても太陽の存在感は絶大だったってことかなあ。



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 古代エジプト大ピラミッドの新事実 

地球ドラマチック 古代エジプト大ピラミッドの新事実 ※ざっくり纏めました。

大ピラミッドは完成当時は全て石灰岩(化粧石)で覆われていた。
17万トンにも及ぶ石灰岩は10キロ離れた採石場
で調達され、
当時、最先端の土木技術で整備された運河を通って、
木造船でピラミッドのそばまで運ばれた


ピラミッドの数百メートル手前まで水路を作り、ナイル川から石灰岩を運んだ。

ナイル川がなければエジプト文明は成り立たなかった。

ナイロメーター 川の水位を測る。船の運搬・灌漑工事に役立った。
クフ王の時代、川の適度な氾濫は王が民に満足し、
次に豊作がやって来ることを意味した。


当時の人々は、クフ王がナイル川を操っていると信じており、
王を満足させるためにピラミッドや墓を作った

王はエジプトの大地やナイル川そのものであり、豊穣であるほど権力が増した。


メレルの日誌 2013年に発掘された最古のパピルス。 
メレルは石や銅を輸送する約40人の監督官だった。
労働者には組織系統があり、それぞれに明確な目標と責任があった。
40人の班が4つ集まると組になり、大ピラミッドでは組が集まって作業していた。

考古学者のムハンマド・アブデルメギドさんは、
古代の貨物船を当時の技法そのままに復元し、石灰岩の巨石を運ぶ実験を試みた。
メレルの航路より距離は短いが川を渡ることに成功
古代の船乗りたちは一度に70tの石を運び、
スフィンクスの正面辺りに下ろしたのではないか。


緩やかな800mの坂を、そりやレールのようなもので驚くほど早く運び上げる。
古代エジプト人は力と加速の関係を理解
していた。

ピラミッドに到着した石は、傾斜面にぴったり合うように三角法で計算して削った。
直角三角形の底辺と高さだけ測ればいい
と知っていた。
それでも三時間かかった。採石場で石を切り出すより長い時間がかかった。


高度なネットワーク社会
埠頭の跡 世界で最も古い人工の港
があった。

ワディ・アル・ジャルフの港 メレルの日誌が発見された。
ギザから200km離れていて、大ピラミッド建造のためだけに造られ、
大ピラミッドの完成後に閉鎖され、二度と使われなかった。
対岸のシナイ半島の鉱山で採掘した銅を紅海を渡って運んだ。
石は正確に計算して切り出していたので銅の工具が必要だった。



古代の巨大インフラ
40人が集まれる建物の跡
 四角い大きな建物。組の宿泊施設だったのだろうか。
さまざまなパンの焼き型 一つ7kgの型が何百もある。

巨大な水路と港は、輸送の仕組みを変え、
都市は洗練され、効率良く食料と労働力を確保できるようになった。


食料はデルタ地帯・木材はレバノン・石灰石はトゥーラ・花崗岩はアスワン・
銅はシナイ半島など、あらゆる材料が組織的に運搬された。


大ピラミッド建造はエジプト文明や周辺の地域を進化させ、
エジプト文明はその後も2000年以上繁栄した。



感想 大ピラミッド自体もすごいけれど、
ピラミッドを作り続けている状態がこの国の動力源だったのかな、
ピラミッド建造を中心に国が動いていたのかな。



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 #4終 ピラミッドはこうして造られた 

エジプト発掘 第1集ピラミッドはこうして造られた

石灰岩は町の近くの石切り場で300万個もの石を切りだした。
ナイル川の対岸の石切り場からは化粧石が運ばれた。


ピラミッドは石切り場近くの地盤がしっかりした場所が選ばれ、運搬路が作られた。

3分の1は直線傾斜路で造られ、
残りはピラミッドの角に内部トンネルの正方形の入り口を作り、
幅2.2m、高さ5.5m、平均2・5tの石を乗せたそりを、8人一組で引き上げる。
トンネルは、古代エジプトの伝統的な持ち送り積み。


12、内部トンネルの入り口  13、一番上まで運んで来ました

14、一番上の作業場  15、持ち送り積みのトンネル

トンネルの角は正方形の広場が作られ、
内部トンネルで石を引き上げる人々が角の広場まで登ってくると
待機していた人々がつるべのような機械ですばやく方向転換
石は次のグループに引き継がれる。

16、トンネル角の広場全体

17、トンネル角の広場  18、方向転換

ピラミッドの側面には内部トンネルに沿って足場が組まれ、
石を運び上げた人はここから元の持ち場に戻った。


19、側面に組んだ足場  20、持ち場に戻ります

王の間の花崗岩は、まず直線傾斜路で運び上げられた。
台形状の構造物は花崗岩をさらに上に運び上げるための巨大な装置。


21、花崗岩を持ち上げる装置

装置の上の木枠を起点にして、6本のロープが繋がり、
花崗岩を簡単に運び上げるための釣り合いおもりがあった。


22、起点の木枠  23、この後ろが大回廊の台車


大回廊に釣り合いおもりを乗せ、花崗岩を引っ張り上げる。
釣り合い重りが下がるのに合わせて、花崗岩が引き上げられる。


最上部に運ばれた花崗岩は王の間の上まで運ばれ、少しの隙間も無く、
一段造る度に装置を高くし、43本の花崗岩は全て積み上げられた。

10、王の間の天井になる

24、花崗岩を積む1  25、花崗岩を積む2
↑木枠の起点と王の間の間で人々がロープを引っ張り、
 釣り合いおもりがそれを助けています。

王の間が完成すると、傾斜路の石灰岩も内部トンネルで頂上まで積み上げた。


キャップストーン設置
足場が狭くなる中、5tの石を積み上げる方法。
木で柱を作り、キャップストーンに結び付けたロープを3人で捩じり、
上に引き上げ、石を挟む。どんどん柱を高くして石を積み上げる。


26、石にひもをかける

27、石の高さを上げる  28、石を挟み込む
↑と言っても数段だけ。

最後に稜線状にある広場を塞ぎ、側面の足場を外して仕上げる。

29、石積み完了  

こうして、20年位でピラミッドは完成した。

30、ピラミッド完成


稜線状のくぼみ 一つの稜線に5カ所あると予測。
内部トンネルが交差する場所ではないか。内部トンネル説の裏付けができる。

実際に登って調べる
高さ8mの直角に切りこまれた石積み、その周りは縦横5m位の平らな空間。
広場から奥に高さ2.5m、幅3mの空洞が続くが行き止まり、塞がれている? 
さらに奥に繋がりそうな溝
があった。この向こうに内部トンネルがあるのかもしれない。

再びパリのソフトウェア会社に依頼
くぼみの映像やデータを入力し、石積みを再現して、
奥にトンネルが続く可能性を見出した。


ウーダンさんは内部トンネルはあるに違いないと信じ、これからも謎に挑む。


感想
まだ確定ではないけれど、説得力があるなあと思って纏めてみました。

CGがすごい!! 感動しました。 
完成した模型をくるくる回すのはCGならではですね♪ 
逆さまにして下から見上げるなんて現実には無理ですよね。面白い~。

内部トンネルの入口は、直線傾斜路とは関係が無い所。
螺旋だから一つの稜線に5カ所で済むんだね。

石も端から一つずつ積むよりずっと少なく済みそう。
でもそんなに空洞があるのに崩れていないのだとしたらすごい計算だなあ。

花崗岩を引っ張り上げる装置やキャップストーン設置の素朴な装置を見て、
小学校の「力点・支点・作用点」を思い出しました。
そして滑車の問題の難しさに衝撃を受け、曖昧なまま終わってしまったことも。
あれが理数系で初めての挫折だったのかもしれません。
古代エジプトにちゃんと理解して活用した人がいたんだなあ。

最後はくぼみの情報を入力しただけで分かるのかな? 
分からないから「可能性を見出した」で終わったのかな。詳しい説明はなかったなあ。
これから分かっていく部分なのだろうなあ。

大回廊の状況証拠から「台車が走っていたのではないか」と推理するのはすごい。
なんだか刑事さんとか鑑識さんみたいですね。
考古学者だけでなくて、いろんな職業の人も参加すれば謎を解くのが早くなるかもなあ。

実際にピラミッドを見ながら考えることができるのは、
現在もピラミッドが残っているから。
実際に見ることができるから考えることができるんだなあ。



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 #3 ピラミッドはこうして造られた 

エジプト発掘 第1集ピラミッドはこうして造られた

王の間や重力軽減の間の大きな花崗岩
ナイル川を1000km遡った国境の町アスワンで切り出され、
運河で労働者の町のすぐ横の港に運ばれた。
一つ60tもあり、これは内部トンネルでは運べない。


そこで、王の間の手前の大回廊に注目すると、
1、角度が26度で、人が登るには急勾配。
2、足元の石の側面に前後に擦られた後が、回廊の入り口から出口まで一直線に残る。
3、上の内側にせり出した石の、三段目の石の列だけが傷ついて、角が欠けている。


これらから考えると、大回廊に台車が走っていたのではないか。

大回廊の台車に釣り合いおもりを乗せ、
反対側に60tの石を乗せた運搬台が、ロープで結ばれている。

労働者は釣り合いおもりの力を借りてロープを引っ張る。

8、花崗岩を運ぶ全体図  9、大回廊には台車が走っていた?
 
2には線と共に黒い染みも残っている。台車の潤滑油だろう。
古代エジプトでは、重い物を運ぶ時に潤滑油を使っていた。
巨大な坐像を運ぶ壁画には、中心に液体を注ぐ人が描かれている。


3はこの部分でで台車を支えたのではないか。

4、大回廊の奥、今は階段を取り付けた所は、かつてV字型の切り込みがあった。
ロープが切れないように切り込みを入れたのではないか。


11、切りこみ

台車やロープの強度の確認
コンピューターで強度計算ができるソフトウェア会社に依頼。
台車はレバノン杉・ナツメヤシのロープ・釣り合いおもり24.5tで計算。

リシェール・ブライトナー技師は、機械工学の立場からの検証の結果、
台車もロープも壊れず、
釣り合いおもりを使うことで600人必要な作業が158人で可能
だと言う。



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 #2 ピラミッドはこうして造られた 

エジプト発掘 第1集ピラミッドはこうして造られた

ジャン・ピエール・ウーダン氏の建築家ならではの新説が話題。

内部トンネル説 
ピラミッドの外観に残る、巻きつくように斜め右に伸びる白い筋の延長上に、
稜線のくぼみがある
。ただ崩れたのではなく、別の意味があるのではないか。

2、外観の白い筋とくぼみ

まず3分の1までは直線傾斜路で作り、残りを内部トンネルで石を積み上げる。

直線傾斜路は解体し、ピラミッドの材料にした。これなら傾斜路の石も無駄にならない

3、始めは直線傾斜路で作る  4、傾斜路の石も材料に使う

内部トンネルはピラミッドの側面に約4度の傾斜でらせん状に造られ、そりで石を運ぶ
一定の高さに積み上げると、トンネルを伸ばす。これを繰り返す。
これなら砂嵐や気候に左右されない。

5、螺旋内部トンネル説

内部トンネルは約1.6kmで、今もピラミッドの中に眠っているのではないか。


アブ・グラブ神殿 
大ピラミッドとほぼ同時期。100年位前はまだ崩れていなかった。
高さ5m、幅4mの内部トンネルの跡がある。内部トンネルの技術があった。

1986年 フランス隊の科学調査
重力計で内部構造を調べた。
フゥイ・ドゥオン・ビュイ博士 物理学者。
ピラミッドにらせん状の空洞がある。
密度が低い場所を線でつなげると、螺旋状になる。ウーダンさんの説を応援。

6、密度が低い場所  7、上から見た密度が低い場所

 


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 #1 ピラミッドはこうして造られた 

エジプト発掘 第1集「ピラミッドはこうして造られた」

ピラミッド建造の歴史
エジプト文明はナイル川の豊かな水と土のおかげで発展した。
豊かになった人々は、死後の世界も幸せに暮らしたいと考えるようになった。

ナイル川西岸の砂漠に約120墓のピラミッドがある
死後の世界はナイル川の西側にあると信じられていた。
西は神と崇拝する太陽が沈む方角で、
太陽に少しでも近づけば復活できると信じ、天高く伸びるピラミッドを作り始めた。


階段ピラミッド(約4700年前) 最初に造られたピラミッド。
ジュセル王(在位前2668~2649年)在位19年。高さ60m、6段。
それまでの王の墓はマスタバという台形の建物だった。
ジュセル王はマスタバを6段重ね、階段ピラミッドを作った。
亡くなった王がこの階段を登って死後の世界に行けるように造られた。

ピラミッドコンプレックス ピラミッドと様々な宗教施設を組み合わせた施設。
高さ10mの壁に囲まれ、その内側には神殿・礼拝堂・祭壇などがあった。
1、ピラミッドコンプレックス
宗教施設と組み合わせるのはその後のピラミッドにも受け継がれた。

エジプトで初めて石を使った建造物でもある。
頁岩(けつがん) 長さ80cm、厚さ20cm。周辺の地層から切り出した小さな岩。

外側から中心に向かって斜めに積み、外に崩れないようにした。


スネフェル王 4代後。クフ王の父。
より大きく、太陽の光の形のように、まっすぐな稜線のピラミッドを作ろうとした

1.崩れピラミッド 四角錐だったが完成直後に崩れた。
階段ピラミッドと同じ、石を斜めに積む方法で作ったが、
大きな石を使ったため、重さに耐えきれずに崩れた。


ピラミッド内部の部屋は一つ。
持ち送り積み 部屋の屋根は内側にせり出す特殊な工法。重量を左右に分散。


参道 ピラミッドの左側は、昔はナイル川の岸で、道の痕跡がある。
その先には河岸神殿があり、王のミイラを作る場所だった。
ピラミッド・河岸神殿・参道。この3つが、ピラミッドの典型様式となっていく。


2.屈折ピラミッド
それまでより数倍大きな石を使い、より高い物を作ろうとしたが、
建設中に崩れピラミッドが崩れたので急遽設計を変更
した。
高さ49mで角度を47度から43度にした。
石の積み方も、始めは石を斜めに積んでいたが、
圧力で崩れることが分かったので、高さ49mを境に水平に積んだ。



3.赤ピラミッド ピラミッド建造技術が確立。
石材が赤く見える。正四角錐。高さ105m。底辺220m。
内部構造 部屋が3つ。
持ち送り積みの技術が確立した。



クフ王の大ピラミッド ピラミッドの集大成
クフ王(在位前2589~2566年)

内部では3つの部屋が通路で結ばれている。
大回廊(46.7m×2.1m、高さ8.7m) 登り切った所に王の間。

王の間 30畳位の最も大きい部屋。
空っぽの花崗岩の石棺
がある。天井の赤味を帯びた重く堅い花崗岩は1つ60t。

重量軽減の間 王の間の上にある、花崗岩で造られた空間。
5層構造で43本の花崗岩が積み上げられている。
最上部は3角の屋根に花崗岩の巨石が横たわっている。
この天井に古代の文字で「クフ」と書かれていた。


古代エジプト人の技術
様々な分野で卓越した技術を持った職人がいた。


方位を正確に観測する方法

道具の開発 物差し 1キュービット(52cm)という単位は3000年使われた。

リンド数学パピルス 世界最古の数学問題集。87問。
面積・容積・ピラミッドの角度を求める問題など。


ピラミッド建設のための仕組み
ピラミッド建設は、ナイル川が氾濫する時期(7~9月の3か月間)の公共事業だった。
王は農民の衣食住を保障し、農民たちはピラミッド建設に積極的に参加した。

労働者の町の発掘
約25000人の町。約4000人の労働者が家族と暮らしていた。



ピラミッドの建造方法はいまだに不明
1、直線傾斜路説
人間が2tもの石を引き上げられる角度は5度が限界。

すると傾斜路は1.6kmになってしまい、ピラミッドと同じ位の石が必要。
それに、石灰岩の石切り場が傾斜路の真ん中になってしまい、運ぶのに不便


2、螺旋傾斜路説
細い傾斜路は、酷暑や砂嵐の多い場所では危険。
ピラミッドの稜線を真っ直ぐに保つには常に地上から測量しながら作る必要があるが、
外側に傾斜路があると、ピラミッドの測量が出来ず、ピラミッドが曲がってしまう


へロトドスは「ピラミッドは20年で造られた」と書き残している。
4000人・一年のうち3か月だけ・20年で作ったのなら、
これまで考えられてきた建造方法で作ったのではないかもしれない。



感想 
スネフェル王は3つもピラミッドを作ったんだなあ。
その3つの間にどんどん技術が上がってすごい。
次はいよいよ大ピラミッド建造法の新説です。



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