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 邪馬台国2時間スペシャル 

諸説あり!

前編 邪馬台国の場所について

1、九州説
吉野ヶ里遺跡
魏志倭人伝の内容と同じ構造の集落がある
宮室・城柵・楼観(物見櫓)

二重の堀に囲まれている集落が2つある


吉野ヶ里遺跡で260点もの鉄製品が出土
武器。斧・鎌・短剣・鏃。

弥生時代の鉄の鏃はほぼ九州で出土。
九州北部と南部の境辺りは激戦区だった。倭国大乱の中心地ではないか。

魏志倭人伝の地名がほぼ一致

もし九州に邪馬台国があったら、地方国家。
後に廃れたか大和政権に滅ぼされた。


2、畿内説
纏向遺跡(桜井市)
 実は1972年から発掘を開始していた。
昔は大和政権の発祥地だと思われていたが、
卑弥呼の時代の物も多数見つかった

三輪山と纏向遺跡が邪馬台国の中心だったのではないか。

発掘された数千点もの土器の3割が他の地域の土器
古代ミステリーを楽しもう・前篇

紅花の花粉 環境考古学。
古墳時代後期に渡来したと考えられていたが早まった。
染料や薬として重宝されてきた。

巻向勝山古墳 卑弥呼の墓ではないか 
年代・形・大きさが魏志倭人伝の記述と一致。


3、邪馬台国遷都説
九州から畿内に移動し、全国統一した。

もし畿内に邪馬台国があったら、邪馬台国が大和政権になったと考えられる。


4、魏志倭人伝誤読説 
『三国志』は晋が作った。
魏の曹操が大月氏国と同盟を結んだので、
晋の司馬懿が倭国と同盟を結んだ功績を記録した。
曹操より手柄を大きくしようとして、倭国は実際より大きく遠く書かれている。
しかし倭国の風俗については詳細に書かれており、信憑性もある。

伊都国の一大卒 地方知事のようなもの。
つまり、伊都国は首都圏ではない。邪馬台国は九州以外にあるのではないか。

決着 金印が見つかった時。

纏向遺跡の発掘状況 まだ5%。
遺跡は開発があった時にしか発掘できない。
絶対に発掘できない場所もある。なかなか進まないだろう。



後編 卑弥呼について

平原遺跡 3世紀・卑弥呼の墓という説がある。
女性の装飾品が多く出土。
割られた大量の銅鏡 被葬者の呪力を封じたのではないか。

魔鏡現象
平らな鏡面に光を当てると背面の文様が浮かび上がる。
太陽の光を増幅させる道具を使い、権威を持っていたのではないか。

異常気象が卑弥呼を女王にしたかもしれない
三国史記・新羅本紀  朝鮮半島に倭の人が食料を求めてきた。
三国史記・高句麗本紀 194年秋七月 霜が降りて民が飢えた。


総合地球環境学研究所
遺跡で発掘される木の年輪で酸素同位体測 セルロースを取り出す。

弥生時代の檜 2世紀の変動が大きい。洪水が多い。
127年 過去二千年間で降水量が一番多かった。

青谷上寺地遺跡(鳥取) 傷だらけの人骨。

倭国大乱 2世紀は異常気象で人々が飢え、争いが絶えなかった。

各国の王が集まり、卑弥呼を王に立てた
卑弥呼が治めた時期は気候が穏やか
になっている。

247年頃 卑弥呼の死

卑弥呼以死(魏志倭人伝) 理由が書かれていない。

卑弥呼暗殺説
1、狗那国との戦い 魏に救援を求めるが、統治の責任を取らされた?

2、日食 太陽を操る卑弥呼は権威を失った?
247・248年に日食が起こった。

老衰説
1、日食は一瞬の事
 早朝だったしあまり大事にならなかったかもしれない。
2、日食と同じ位の時期に亡くなったのかもしれない。
3、本当はもっと前に亡くなっていて、日食に合わせて発表したのかもしれない。

卑弥呼が築いた男女共存社会
卑弥呼は邪馬台国を60年位治めた。

当時の異常気象を覚えている人は減り、時代は変わっていったのだろう。
一人で頑張り続けたが、自分の権威を保つ政権を作ることはできなかった。


感想
最近は人間は思ったより活動範囲が広いと感じて、畿内説も考えていたけど、
やっぱり北九州かなあと思いました。
長く縄文時代が続いて、稲作も入って来たけど、
自分の権威を保つ政権を作る発想はまだなかった時代だったのかなと。
でも、現在は畿内派が優勢みたいですね。

ヤマト王権について 纏めてみました。



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 超古代からの挑戦状! ①縄文ストーンサークル編 

縄文時代 15000年前。
世界でも類を見ない文化が一万年以上続いていた。
世界に先駆けて、奇抜な縄文式土器・土偶など
を作っていた。


三内丸山遺跡 5500~4000年前位。
大型竪穴住居 長さ32m、幅10m。
普通の竪穴住居は4m位。
共同作業や集会に使ったのではないか。

高度な建築技術・漆の技術もあった。

2000点もの土偶  


ストーンサークル 世界でも珍しい巨石建造物。
縄文時代後半に作られた。
重さ最大200kgの石を使った、直径45m以上の壮大な石組み。


御所野遺跡(岩手県一戸) 4500~4000年前位。
巨大集落の崩壊・ストーンサークル出現のカギを握る。

土屋根住居 土は外気を遮断しやすい。
屋内の火を絶やさないでいると、骨組みの木が黒く燻され、頑丈になる。

寒冷化が進み、栗などが減った
中心にあった大きな集落が食料を求めて分散
していった。

焼け落ちた7つの土屋根住居を発掘 
生活させて頂いたことに感謝し天に還すために自ら火をつけたようだ。

配石遺構 ストーンサークルの原型。
其々の石の近くにたくさんの墓が見つかっている。
大切な人や祖先が眠る共同墓地だった。
離れて行動するようになった人たちが集まれる特別な場所。


大湯環状列石 4000~3600年前位。
日本最大の環状列石が2つある。野中同遺跡と万座遺跡。
7200個もの石を使って人力で作った。

各環状列石からは数の規則性が読み取れる 
巨大な天文カレンダーの可能性。

万座遺跡
2重の円は、中心から8m・16m・24mと正確な倍数
で設計、など。

土版(どばん) 数を表す穴が土偶の顔のようでかわいい。
↑子供に足し算を教える道具のように見える。

日時計状組石 東西南北も分かる。
食べ物を採取するため、季節の変わり目を知る

2つの環状列石の中心と2つの日時計状組石の中心は一直線上にあり、
北西(夏至の日没方向)を向いている。


夏至を特別視 
夏至を知り、冬に向けて備えを始めたのかもしれない。

イギリスのストーンヘンジ 同じ時代に同じく夏至を重視。

本 石にこめた縄文人の祈り・大湯環状列石


伊勢堂岱遺跡(北秋田市) 
たくさんの土偶 まじないや祭りに使われたようだ。様々な表情。

環状列石が4つあり、4つの村が競い合って作っていた。
大湯環状列石が2つあるのも関係があるかもしれない。


ストーンサークルが世代を越えて作られた謎
小牧野遺跡(青森市) 4000~3600年前位
直径35m、三重の円。
標高150mの山を切り開いて土を均し、中央に土を盛っていた。


小牧野式配列 土が流れないように美しく石を組んでいる。

景色が良い 集落から離れた山の上。神聖な場所として選んだのではないか。

200年かけ、2900個もの石を運んだ。総重量は30トン。
500m離れた川から石を運んだ。

一つ運ぶのに一時間かかった。でも運んでいる間に連帯感が生まれた。
石運びも祭り
の役目を持っていたのかもしれない。


天候や季節に左右されながら、自然と共に生きる暮らし。
十分なゆとりが無かったからこそ、心の拠り所を作っていた。


残念ながら現代人は損得勘定で物を見ているから、
縄文人の精神活動を理解できなくなっている。

縄文のストーンサークル
共同墓地・祭りの場・太陽の運行を知る場。


確かな知性を誇った縄文人の姿と、人々の強いつながりを物語る場所。
日本人の心の起源とも呼べる大切なものが、今も刻まれている。



おまけ 
#前 発掘 ストーンヘンジ(STONE HENGE)
スコットランド“巨石神殿”の謎
他にもあるので、よかったら左側で「ストーンヘンジ」と検索してみてください。

紹介 超古代からの挑戦状! ②縄文仮面男の謎
すばらしい纏めをありがとうございます!

感想 
まだこれで確定!とまでは決めつけられないかもしれないけれど、
寒冷化→分散→環状列石を作るようになったというのは説得力があるなあ。
寒い中、少人数で生きるのは寂しくて大変だっただろうな。
たまに人と会えたらうれしくて楽しかっただろうな。
皆で少しずつ立派なお墓を作っていって、
いつかは自分もそこに眠ることができる、先に眠っている人が迎えてくれる、
自分が死んだ後も、子孫たちが変わらずそこに集まってくれる、と思えたら、
生活はしんどくても、死ぬことについてはあまり悩まずに、
前向きに生きることができていたかもしれないと思いました。

現代の事を考えてみると、もし自分のお墓に眠ることができたとしても、
自分の子供はお墓詣りに来てくれるかもしれないけど、
その後は誰からも忘れ去られるんだろうな、別にいいけど、とか、
不安とまではいかなくても、あやふやなことに驚きました。

大陸では文明が発達していたのに縄文時代は…と比較されることも多いですが、
縄文の人々は、自分達の生き方に納得していたのではないかと思います。
だから同じ生活を続けようとしていたのだと思います。

さらに、縄文人の行動範囲は広かったから、
大陸の文明を知っている人もいたかもしれなくて、
その上で、自分達の生き方はこれでいいんだと思っていた気もします。
これは私の想像なので、違っていたらやさしく教えて下さい(笑)。

拙い想像はさておき、
当時のご先祖様の思いに近づこうと考えるのは大事なことだと思いました。
そこには忘れられたり顧みられなくなったものが残っているかもしれません。
だから今もそこに在るということが、ありがたいと感じました。


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