FC2ブログ
≪ 2015 11                                                2016 01 ≫
 - - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 - -
 2015年12月の記事一覧 

 #8 江川英龍 

韮山反射炉 実際に稼働した反射炉として日本に唯一現存。

1854年着工
1853年に命を受けてすぐに取り掛かることができたのは、
英龍が以前から反射炉の必要性を感じ、蘭書による研究を重ねていたから


不純物の多い銑鉄から純度の高い鉄を作りだす溶解炉。
石炭などを燃やして発生させた熱を、内部の天井に反射、一点に集中させ、
千数百度の高温を実現。反射させて溶かす。
炉の中で溶かされた鉄は、出湯口から鋳型に注がれ、大砲に加工した。

高い煙突が上昇気流を大きくし、燃焼時に必要な空気を大量に送り込む構造。

当時、高い煙突がある建物はなかった。煙突は煉瓦製。
当時の日本には煉瓦もなかった

耐火性の煉瓦 26000個以上。
英龍は自らの足で天城山を駆け回り、質の良い粘土を探しては煉瓦を作った。
粘土は梨本(河津町)でしか取れなかった。

煙突は15.6m、後ろ側を梯子のようにして、漆喰を真っ白に塗り固めた。
日本の風土に合わせて、風雨に耐えられるように作った。

現在は鉄筋で覆われているが、当時は白亜の塔だった。

反射炉の周りには、細工小屋・錐台小屋・鍛冶小屋・炭置小屋などがあり、
最新技術を集めた、大砲の一大製造工場だった。

反射炉の後ろには古川があり、造った大砲の砲身を水車の水の力でくり抜いた。


鋳型ではない理由
大砲の外側から固まり、内側に不純物が溜まるから。
内側をくり抜くと、外側が丈夫な大砲ができる。


作った大砲を運ぶのに苦労した
狩野川に運んで船に乗せ、駿河湾から江戸
に運んだ。

始めは下田に作り、江戸に運ぶつもりだったが、
米国艦隊が下田に入港したので、英龍の地元に建設
した。
内陸部に資材を運ぶのも大変だっただろう。


現在の狩野川を見ると浅い。船道を人力で掘った苦労が偲ばれる。



関連記事
スポンサーサイト



web拍手 by FC2
11 | 2015/12 | 01
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
月の開運法ブログパーツはJavaScriptを有効にする必要があります。


presented by
生きがいアフィリエイトのすすめ


問い合わせ先
日本国憲法

世界人権宣言


「ここの人、前になぜかニーチェについて書いてたよな、気になる」てなときに、『ニーチェ』と検索するとその記事が見つかるのです。すごいね!
ちなみに、書いていなそうな語句を検索すると、記事は見つからないけど、関連商品などが表示されます(笑)。
「5月の初め頃の記事…」と時期で探す時に便利です。

全ての記事を表示する

始めの10件位、この機能に気付かず「もくじ」の記事を作って、記事を書くたびにハイパーリンクしていました…。

日本語→英語 自動翻訳
English
♥. ♠. ♣Alice
Web page translation
最新トラックバック
まどろみ島の管理人

遊子

Author:遊子
このブログについて
トップページへ

RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

StyleKeeper