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 2015年11月の記事一覧 

 冬ごもり 日めくり万葉集 

万葉四季の歌 森陽香さん 2011年11月1火放送

万葉の人達は、秋になると、
くず・萩・梨など、様々な植物の色付きを楽しんでいた


ある日天智天皇は、春山万花の艶、秋山千葉の彩、どちらの方が良いかと尋ねた。
人々はそれぞれ漢詩を作って答えたが、なかなか決着がつかなかった。
そこで、最後に額田王が歌で判定を下した。

冬木成   春去来者
不喧有之  鳥毛来鳴奴
不開有之  花毛佐家礼抒
山乎茂   入而毛不取
草深    執手母不見
秋山乃   木葉乎見而者
黄葉乎婆  取而曽思努布
青乎者   置而曽歎久
曽許之恨之 秋山吾者


1巻・16 額田王


冬ごもり  春さり来れば
鳴かざりし 鳥も来なきぬ
咲かざりし 花も咲けれど
山をしみ  入りても取らず
草深み   取りても見ず

秋山の   木の葉を見ては
黄葉(もみち)をば  取りてそしのふ
青きをば  置きてそ嘆く
そこし恨めし 秋山そ我(あれ)は



春がやってくると、鳴かなかった鳥が鳴き、咲かなかった花も咲くけれども、
山は茂っているので、入って取ることもしないし、
草が深いので、手に取って見ることもしません。

秋の山の木の葉を見る時は色づいた葉を折り取って愛で、
まだ青い葉はそのまま置いてためいきをつく。
そう、そこだけが残念。
私は秋の山の方が好きです。


額田王は、春の山と秋の山、両方への配慮を見せてから、自分の意見を述べた。



もみち葉の 過ぎにし児らと  携はり 遊びし磯を 見れば悲しも
黄葉之   過去子等      携   遊礒麻  見者悲裳
もみちばの すぎにしこらと たづさはり あそびしいそを みればかなしも

9巻・1796 柿本人麻呂歌集より


もみじの葉が散っていくようにこの世を去った妻と、
手を取り合って遊んだ磯を見ると悲しいことだ。


哀惜
色づいた葉が散る時に寂しさや悲しさを感じる心の動きは、昔も今も変わらない。


感想 
16は、「そこし恨めし」から唐突に結論に行く所に違和感を感じました。
「でも」のような接続語はつけないのか~。
春に比べて、秋は手に取って愛でることができるから、
秋の方が良いと言っているのですね。
両方への配慮、そうか、春は上げて落として、秋は落として上げたのかな。

1796は、妻を「児」と言うのですね~。確認しました。
色々なものの中で、もみち葉に例えたのがすごいなあ。
人間は儚いが、磯は変わらない。変化と不変の対比も詠っているのかな。
でも実は、自然も刻々と変わっていくんだよね。



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 なかなかに 日めくり万葉集 

なかなかに 人とあらずは   酒壺に  なりにてしかも 酒に染みなむ
中々尓    人跡不有者   酒壷二   成而師鴨   酒二染甞
なかなかに ひととあらずは さかつぼに なりにてしかも さけにしみなむ

3巻・343 大伴旅人 2011年10月31月放送

なまじっか人間でいるよりは、いっそ酒壺になってしまいたいものだ。
そうしたら酒に浸っていられよう。


酒を讃える歌13首の一つ。旅人64歳。大宰府で妻を亡くした頃。


選者 桂文珍
辛い情況で笑いを生み出し、生きる力に変える。
自分を客観的に見つめる。


感想 万葉仮名が、不思議な感じ。



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 昔が生きている!すごい奈良 

ろーかる直送便 ええトコ

橿原市今井町
戦国時代に一向宗の寺内町
として誕生し、江戸時代には商人の町として栄えた。

家は先人から代々補修して住みつづけている。
修繕は新築の3倍の時間がかかるが、それを上回る利点がある。
冬暖かく、夏は涼しい。

通り庭 玄関から庭まで抜ける土間。風が通るように計算。

無双窓 一度に開け閉めできる。

土壁 竹の骨組みに土を塗る。隣の家が近くても類焼しない。

どて炊き みんなが集まるとふるまう料理。
木造の家のように町の皆が温かく、家族のようだと言う。



室生寺(宇陀) 十二神将立像など、すごい仏様がいっぱい。
紅葉 10月中旬~11月中旬。

室生大野(宇陀市)
くずきり 室町時代から変わらない作り方。
吉野本葛を使うくずきりは、他にはほとんどなくなってしまった。

ご主人の本業は漆職人だが、子供の頃に食べていた味を絶やしたくないと言う。
昔はお米が少なくなると食べさせられたと言う。



古墳王国
艸墓古墳
(桜井市)7世紀中ごろに作られた方墳。
↑かなり内部が広そう。

1300年以上崩れない、精巧な石積みの技術。


桜井市 鹿路(ろくろ) 飛鳥時代から大和の建物を支えてきた。
桜井や吉野の木は年輪が均一で細かいと評判。
杉や檜は手を掛けるだけ真っ直ぐきれいに育ってくれると言う。

天一神社 ご神体の、一際高い杉が生い茂る。

木のボールペン 愛情かけた木材の有効利用。こぶの部分を使用。


檜原神社(桜井市) しめ縄に夕日が沈む絶景。



明日香村 稲渕

男綱 明日香川の上に張られた綱。
女綱 川の上流にある栢森(かやのもり)集落の入り口にかけられている。

集落の子孫繁栄・災厄を防ぐ結界。毎年一月に張り替えられる。
一度だけ張らなかった年は、感冒で15人亡くなった。

棚田 千年以上前から営まれている。
土地の高低を生かし、飛鳥川から引いた水路。


ずいき 茎も、根っこのえび芋も食べられる。
     酢で何度もあくを抜き、軽く絞り、生姜醤油で食べる。
      皮をむくときに湯を通さないと手が真っ黒になる。
ころり和え 味噌・砂糖・ごまを混ぜ、煮た芋を和える。


飛び石 飛鳥時代からある。表面が大きく平らで渡りやすい。

明日香川  明日も渡らむ   石橋の   遠き心は   思ほえぬかも
明日香川  明日文将渡    石走    遠心者     不思鴨
あすかがは あすもわたらむ いしはしの とほきこころは おもほえぬかも

万葉集11巻 2701

明日香川を明日も渡って、あなたに会いに来ましょう、
私の心は石橋の石のようにとぎれとぎれではありませんよ。


万葉の花、鳥の声、自然の味わい方を教えてもらったことが、
自分の肥やしになっていると言う。



明日香村 入谷(にゅうだに) 明日香村で一番高い場所にある。
壬申の乱の時に、大海人皇子を助けたと言う伝説がある。

すごい斜面で野菜を作る 水はけがよく、うまみが凝縮。先人から受け継いだ知恵。


1300年前から変わらない景色。澄んだ空気が空高く広がる。
古代人も眺めた山の連なり、はるか向こうには大阪の街が見える。

受け継がれてきた先人の知恵と豊かな自然。
古代からの恵みに感謝しながら、静かに営まれる暮らし。




おまけ 
艸墓古墳の行き方 すごく分かりやすかったです。行きたいなあ。

檜原神社 すごく詳しい。



感想 
難読地名が多いなあ。さすが昔からの土地だなあ。
今回の番組で色々読めるようになってよかったです(笑)。

万葉時代から使われているものと共に暮らしていてすごいなあ。
特に万葉集に載っている石橋を今も使っているのがすごい!

ずいき料理も、葛の粉を集めるのも、手間がかかる。
食べ物が少なかった頃には当たり前のことだったけど、
今では贅沢なものになったんだなあ。

手間をかけて身近なものを活かすこと、
お金をかけて遠くのものを買うこと、
どちらも贅沢なことだけど、選べるならどちらがいいかな?



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 話し合い 

伝える極意 
話して聞いて幸せになろう!

例、規則を作る話し合い

1、はっきりした目標を決める。
2、実際に確かめる。
3、誰かのためになる意見に耳を傾ける。

より良くなるように変えていく。


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 写真 この一枚に思いを込めて 

伝える極意

写真は撮っている時の気持ちが見る人に伝わる
撮る人が興味を持った時にいい写真が撮れる。

花を撮る時も、何を撮りたいのかをはっきりさせる
花に近づいて、自分がきれいだと思った所を撮る。

遊んでいる人達 ルーズで全体を撮る。

ピアノを弾く人 いろんな角度から撮る。

笑顔が撮りたい 笑顔で撮ること。


感想 確かに何を撮りたいのか、はっきりしていないこともあったなあ。



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 新聞 限られた文字数で事実を伝える 

伝える極意

読みたい文章とは 面白い文章 自分が知らないこと。

読ませる文章とは
相手が知らないことを、分かりやすく簡潔に書く。

基本 いつ、どこで、だれが、どんなふうに、どうしたか。

物語風に書く 書きたいことの後に、そして・しかし・つまりなどの結果を書く

何度も声に出して読み返し、変な所を直す。

見出し 伝えたいことを強調。



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 #8 あっぱれ!江戸のテクノロジー 

直伝 和の極意
第8回 伊能忠敬 日本地図225枚の極意

伊能忠敬(1745~1818年)

千葉県佐原市の商人。江戸時代は水運業で栄えた。
50歳で隠居後、天文暦学を学ぶために江戸に出た。

55歳になって、地球の大きさを知るために蝦夷地測量に旅立つ。

当時、外国の脅威が高まってきたこともあって、正確な地図が必要になってきた。
その成果が幕府に認められ、日本地図の測量を始めることになる。

伊能忠敬は日本沿岸をくまなく歩き回って正確な地図を作った。
伊能の死後3年たって、弟子たちによって日本地図が完成
する。

大日本沿海輿地全図
日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした。


伊能忠敬記念館
伊能図
 小図、中図、大図の3種類。

小図 畳10畳分の日本地図。
中図 つなげると縦横10m。
大図 縦横50m。


技術 導線法と交会法
当時の日本で一般的に使われていた方法。
当時の西洋で主流だった三角測量は使用していない。

導線法 2点の距離と方角を連続して求める方法。
長い距離にわたって続けると、だんだん誤差が大きくなってくる。
修正するために交会法が使われる。

交会法 
山の頂上や家の屋根など、共通の目標物を決めておいて、
測量地点からその目標物までの方角を測る
方法。


忠敬による測量の特徴的な点
誤差を減らす工夫を随所に設けたことと、天体観測を重視したこと。


遠山仮目的(えんざんかりめあて)の法
富士山などの遠くの山の方位を測って測量結果を確かめる。

天体観測
観測地の緯度や経度を求めることができるため、地図の精度が向上する。

建部賢弘が当時の80年前に指摘していたが、実行したのは忠敬が初

恒星の南中観測
誤差を減らすためにたくさんの星を測ったり、同じ天体を長期間測ったり

いくら好きでも大変そうだ。

日食・月食の観測
経度を求めるのは、緯度を求めるのと比べて格段に難しい。
主に伝統的な日食・月食を使って経度を測定。

少ない機会を逃さぬように、食が起こる7日位前に現地に到着し準備していたが、
江戸と大坂の両方で観測できたのは13回中2回だった。

木星の衛星食の観測
木星の衛星が、木星の後ろに隠れたり、現れたりする時刻を観測。

日食や月食より頻繁に起こる。
ラランデ暦で勉強し、11回観測したが、今回の測量にはあまり使えなかった。


おまけ1 江戸の科学技術は世界水準 

感想
wikiがすごく詳しい。
前半生、いろいろあったのですね~。
村の色々な問題に対応したり、村を救ったりもしている。
そのまま頼られて有力者で終わったとしても十分すごい人生だと思うけれど、
隠居して勉強したいと思ったのがすごい。
「人生を二度生きた男」と言われることもあるそうです。

測量の様子 長い!本当に日本全国を歩いたんだなあ~。
蝦夷地など、幕府はあまり協力的でも無かったようだ、大変だったんだなあ。

おまけ2 #12 和暦で暮らそう



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 #7 あっぱれ!江戸のテクノロジー  

直伝 和の極意
第7回 国友一貫斎 反射望遠鏡の極意

滋賀県長浜市国友町 江戸時代には、幕府御用達の鉄砲職人の町だった。

国友一貫斎
鉄砲鍛冶を束ねる家に生まれ、17歳で当主になった。

鉄砲以外にも、空気銃、灯火道具などさまざまの道具を作った。
鉄砲技術を生かした画期的な発明をしたいという夢を持っていた。

国友鉄砲の里資料館

発明品
玉燈  燃料の補給なしで一晩中使えた明かり。
懐中筆 墨が自動的に補充される、万年筆顔負けの優れたもの。


43歳の時、江戸で西洋の反射望遠鏡を初めて見た。
国友に戻って職人としての使命を全うした後、55歳で現役を引退し、
反射望遠鏡づくりに取り組んだ

一貫斎の望遠鏡 
倍率70倍という、同じ型の中では世界最高
の出来栄えだった。
参考にしたオランダ製のものよりも二倍大きく星が見えたと言われている。

その精度を支えたのは、鏡を磨く繊細な技術だった。
研磨技術 現代の反射望遠鏡との誤差は一万分の一ミリしかなかった。

材質 青銅(銅と錫の合金)製。
青銅は、錫を30%以上にすると銀白色になる一方、
40%になるとひび割れができてしまう。

そこで、一貫斎はぎりぎりまで錫を多くして錫33%の合金を作った。
この硬い合金は錆びにくく、180年経った現在も銀白色の輝きを保っている。

このごろは毎日観測を楽しみにして居り候 (手紙の言葉)




感想 現在でもぴかぴかだった! 良いものはお手入れ要らず?




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 #6 あっぱれ!江戸のテクノロジー  

直伝 和の極意
第6回 関孝和 円周率解法の極意

和算 江戸時代に発達した算数。
庶民の間で実学と娯楽を兼ねたものとして流行。
商売の計算・田畑の開墾・治水工事などにも使われていた。

塵劫記 江戸時代に大流行した和算の本。
    日常生活に即した数多くの問題
が載っていた。

積まれた俵の数
油分け算
図形問題



一関市博物館 和算の資料が多い。
一関市    29の算額が現存。

算額 13歳の少年が考えた図形問題は、相似や三平方の定理を使う必要がある。
問題を自分で考えたのがすごい。

信州 和算が盛んだった地域の一つ。
主な流派 関流、宮城流、最上(さいじょう)流。


関孝和 算聖と崇められる。
著作「発微算法」


当時、計算には算木と算盤が使われていたが、複雑な計算には対応できなかった。
関は、筆算法として紙の上で計算できる傍書法を考案した。

関は、円周率を小数点以下十桁まで求めることに成功した。
関の研究は「括要算法」にまとめられており、円周率の計算も書かれている。


今につながる和算
現在、直接和算を習うことはないが、
江戸時代の和算があったから、西洋の数学を理解することが容易になった。


感想 
塵劫記は一家に一冊という位に浸透していたそうです。すごいね!

江戸時代の人達は好きで取り組んでいたから面白いし、
いろいろ考え付いたのだろうな。

算数の問題が解けて、それを神様のおかげと考えたり、
算額にして、みんなに見せてあげるという心がやさしいなあ。

現在の算数の授業で、与えられた問題を解くのがめんどくさかったり、
解けなくてつまらなくなったりするのは、
義務的で、「なんでだろう・知りたい」と思わせる部分が少ない気がします。
卒業したらあまり使わないし、テストさえしのげばいいという感じ。
もったいないよね。

おまけ #前 和算を楽しむ



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 #5 あっぱれ!江戸のテクノロジー  

直伝 和の極意

第5回 渋川春海 日本初!「暦」の極意
1684年 日本で初めて暦(貞享暦)を作った。

それまでは 中国の唐の時代の宣明暦を800年間使っていたので、
誤差が大きくなっていた。

春海は、中国元代の授時暦を学び、天体観測を行って、自ら大和暦を作り、
貞享元年、江戸幕府に採用された。


京都にある幕府の碁方の家に生れ、二代安井算哲という名も持っている。
貞享暦が幕府に採用されてからは、初代天文方となり江戸に移り住んだ。



円光寺(京都) 
観測機器である渾天儀の台座
が残っている。

渾天儀
天の子午線・天の赤道・地軸を基準にして星の位置を計測
できる。
春海はこれを用いて日本初の星図を作った。

暦を作るには、
一年の日数を正確に知るために、正確な太陽の観測をすることが重要。
影の長さを10年以上観測した。
正確な測定のために、景符という細いスリットを用いた。

その結果、1年の長さを 365.2417 日と求めた。
ちなみに、現在分かっている1年の長さは 365.2422 日である。

貞享暦によって初めて日本全国統一した暦ができた。

各地でばらばらだった暦は、
この暦以来、幕府と朝廷で一緒になって作り、全国に配布するようになった。

八十八夜・二百十日など、季節の移り変わりを掴む雑節も加えられた。


その後、宝暦暦、寛政暦と日本人により改暦が行われた。





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 #4 あっぱれ!江戸のテクノロジー  

直伝 和の極意

第4回 華岡青洲 全身麻酔手術の極意

青洲の里(和歌山県紀の川市) 博物館。

医師の家に生まれ、父から手ほどきを受けた後、京都に遊学。
実証的な古方派(こほうは)の漢方医術と、
カスパル流(蘭学以前の南蛮医術)の外科を学んだ。

漢蘭折衷の医学を開発 どちらにも固執しない柔軟さ
があった。

和歌山に戻った青洲は、麻酔薬「通仙散」の開発に成功した。
麻酔薬の開発では、妻が被験者になって失明するという困難もあった。

通仙散の主要材料
曼陀羅華(チョウセンアサガオ、神経を麻痺させる)と、
烏頭(トリカブト、筋肉を麻痺させる)。


1804年10月 「通仙散」による全身麻酔で、世界初の乳癌摘出手術に成功

多くの軟膏を開発 漢方の生薬をうまく使い、痛みを和らげた。
現代でも紫雲膏(しうんこう)という消炎殺菌薬が用いられている。
青洲流の漢蘭折衷医学は、明治時代まで日本の医療を支え続けた。

新しい手術道具も開発 より手術が成功するように、鍛冶屋に依頼した。

全国から患者が集まり、134人が治療を受けた。

他にも、舌がんや白内障の患者も治療した。


唯思起死回生術 
私の願いは、ただただ、これまで治せなかった病を治すことにある。



感想
自然の植物で体に影響を与えるものを何回も試して薬を作ったのだなあ。
多くの人を救いたいという揺らがない理想があったから、
よりよい物や方法を次々に考え付いたのだろうな。



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 #3あっぱれ!江戸のテクノロジー 

直伝 和の極意

第3回 大野弁吉 箱形写真機の極意 

大野からくり記念館(石川県金沢市)
からくり師として知られるが、科学技術一般に優れていた。

銀板写真 19世紀前半にフランスで開発。
湿板写真 1851年、イギリスのフレデリック・スコット・アーチャーが発明。
       数十分かかっていた露出時間を大幅に短縮

俗に「ダゲレオタイプ」と呼ばれる、
世界初の本格的な銀板写真機が日本に輸入された翌年(1849年)には、
既に写真技法を習得していることが判明
している。

しかも彼の撮影した写真は銀板を進化させた湿板写真で、
これは写真史上における「公式な」湿板写真の発明に2年も先んじている

箱型カメラ
湿板 ガラス板にコロジオンを塗って、硝酸銀を分散
させたもの。

コロジオンはもともと「水ばんそうこう」として用いられていた。
適度な粘り気があり、銀を分散させる媒質として都合が良いことが分かり、
転用された。


日本で普及したのは湿板写真。

大野村は加賀の港町で、商人が多くいた。
海運業者の銭屋五兵衛は、莫大な資金力と人脈で弁吉を支えた。



おまけ 日経の記事 おもしろかった。



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 #2 あっぱれ!江戸のテクノロジー  

直伝 和の極意
第2回 田中久重2 万年時計の極意

1551年、ぜんまい式の機械時計をザビエルが献上したが、
日本では日の出と共に起き、お寺の鐘を聞きながら、日の入りと共に休み、
不定時法と共に生きていた。

日本では、24時間を正確に刻む時計よりも、不定時法に則した時計を必要とした。
不定時法は、季節により昼と夜の時間が変わっていく。一刻の長さが変わる。

先人達は、本来機械時計では表しにくい不定時法を、
知恵を絞って和時計にした。


和時計 
不定時法(日の出・日の入りが基準)に対応した、日本だけが作った機械時計。
二丁天符式
(針の進み方を変える)と割駒式(文字駒を手で動かす)があった。

二丁天符式 季節により、時を刻む速度を変える。
天符におもりを、夏は端に付ける。

割駒式 普通は手で文字盤を交換していたが、
久重は、自動で文字盤を変えることを発明した!!

虫歯車 歯がある所と無い所がある。
軸は一定方向に回っているのに、右に回ったり左に回ったり往復する。
大きな歯車に伝わり、小さな12個の歯車に伝わる。
これに文字駒がついていて、半年かけて右に回って下から上に動いて冬至になり、
逆に動いて夏至になる。ゆっくり動き、磨耗しない。


万年時計 160年前の時計。和時計の最高傑作で、工芸品としても超一流。
一度ぜんまいを播くだけで一年間動く。


複製の万年時計 神奈川県川崎市の東芝科学館。本物は国立科学博物館にある。 
百人の職人が一億円以上かけて作った。

高さは約60cm、異なる時計が埋め込まれた6つの面を持つ。

天頂部 天球儀
正確に描かれた日本地図上を、月と太陽の位置を示す金属球が移動する。

6つの面
1、正面 昼と夜の長さによって時刻の間隔が変化する和時計。
文字盤は一日一回転。
2、裏面 二十四節気 約15日毎の四季の変化。
3、七曜 曜日。
4、十干十二支の日付
5、旧暦一か月の日付と月の満ち欠け(月齢)
6、西洋時計

さらに時を知らせる鐘も鳴り、これだけの機構がすべて連動して動く



しかし、ぜんまい仕掛けの機械時計が使えたのは大名・豪商など一部の人々だった。
江戸時代に一般に使われていたのは香時計。

香時計 1400年前頃に中国から伝わった。
線香の燃える量を測って時間を知る。一筋で30分。
役所・寺・遊郭で重宝
された。


感想 
現代でも一億円かけて百人がかりで作るような時計を、
江戸時代に作っちゃったのよ!

この万年時計いいよね~! 大名や大商人が欲しがったのも分かるなあ~。
どうぶつの森の私の家に万年時計を模した「だいみょうどけい」があります(笑)。

現在のカレンダーが及ぼす弊害は#14和暦で暮らそうにもありますが、
江戸時代のご先祖様は、機械に人間の生活を合わせるのではなく、
人間の知恵を使って機械を自然に合わせ、暮らしを楽にする工夫をしたのだなあ。
人間も自然の一部であることを、しっかりと分かっていたのだなあ。

「え、ただ24時間を正確に刻むだけ?これじゃ生活に使えないじゃん」
ご先祖様、かっこよすぎです!


おまけ 
#13和暦で暮らそう 日本がグレゴリオ暦に変えたことについて詳しいです。
「一切の年中行事を、新暦の同じ日付に見せかけ、虚にしてしまった。」




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 #1 あっぱれ!江戸のテクノロジー  

直伝 和の極意

第1回 田中久重1 からくり人形の極意

田中久重(からくり儀右衛門) 1799~1881年
久留米藩の、べっこう細工職人の家に生まれた。
近くの五穀神社のお祭りでは、各町内がからくりを使った芝居を見せていた。
全国から、からくり興行師が集まり、自慢の人形を競い合う様子に惹きつけられた。
久重は親に懇願し、からくり興行師になった。

48歳で京都に移り住み、発明品を商った。
万年時計や弓曳童子は、京都時代の作品。

55歳で佐賀藩に招聘され、
明治維新後、76歳で東京に移住し田中商店を設立。後に東芝に発展。



久留米駅 からくり時計がある! 3時に動いた!

東芝科学館
須弥山儀
 太陽と月の動きを表す。

懐中燭台 明かりを取る旅人のため。
平和だったので、幕末には夜も明かりを使って生活するようになっていった。


弓曳童子 ←微笑んでいる。
からくり人形の最高傑作。童子の人形が矢をつがえて放つ。

金属のぜんまいは力が強いので、調整するためにさざえ車を使っている。

さざえ車 ぜんまいの力を均等にする滑車。
西洋の時計を応用した。
わざと的を外すこともできる。 
↑機械としてでなはく、人間に似せることを目指したんだね。

11本の糸と7枚のカムでやわらかな動きを作り出している
首も動く。文楽の動きのようだ。矢を放ち終わった後の余韻の動きもすごい!

他にも2か所を同時に動かす仕組みなどがすごかった。


茶運び人形の解説 ←思ったより素早く動く。
茶碗を取ると抑えが働き止まる。
飲み終わって置くとカム・フック・前輪が働き、逆戻りして主人の方へ戻る。
逆戻りする距離はカムで調整できる!
ぜんまいは金属ではなく、よくしなり、加工しやすいクジラの歯
で作られていた。
しかし、使わない時はぜんまいを外しておかないと、型がついて動かなくなる


日本最古のからくり
日本書紀の斉明天皇4年(658年)に見られる指南車

指南車 必ず南の方向を指し示す。
一旦方向を決めると、どちらに動かしてもいつもその方向を見ている。
歯車だけの仕掛け。

和漢三才図会 


おまけ からくり

田中久重が作ったもの 年表になっていて分かりやすい!




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 うめやなぎ 日めくり万葉集 

万葉玉手箱 上代文学研究者 藤原茂樹

梅柳    過ぐらく惜しみ 佐保の内に  遊びしことを  宮もとどろに
梅柳     過良久惜   佐保乃内尓  遊事乎     宮動々尓
うめやなぎ すぐらくをしみ さほのうちに あそびしことを みやもとどろに

6巻・949 作者未詳 2011年10月28金放送

梅や柳の良い季節、過ぎていくのが惜しいので、佐保の当たりに遊んだことが、
御所中に響き渡るほど騒ぎ立てられていることだ。


遊びしこと 打毬のこと。

打毬(だきゅう) 
万葉人の遊び。毬杖(きっじょう)で毬をゴールに入れる。
騎馬打毬と徒歩打毬
がある。

起源はペルシャ辺り。Europeではポロになった。

豊烈神社(山形県)
 今も打毬の行事がある。


727年1月のある日、急に雷雨が来た。
雷の時はお付きのものが天皇を守るという決まりだったが、
その時、打毬に夢中で誰もいなかった。
罰として謹慎中だった人々がこの歌を詠んだという。



高松塚古墳の壁画にも毬杖を持つ男の人が描かれている。

徒歩打毬は子供にも人気で、打毬は身分や男女を問わずに行われていた。


645年 乙巳の変

鎌足と中大兄皇子が結び付いたきっかけは打毬。


感想 打毬?!
蹴鞠だと習ったなあ。社会の資料集も蹴鞠をしている絵だったなあ。

打毬も絹の道を通って日本まで伝わってきたんだなあ。

奈良時代の歌だね。724年は聖武天皇が即位した年。
712年に古事記、720年に日本書紀。


謹慎をくらった人が、「このことが御所中に知れ渡っているぞ、まずいな」、
という気持ちを表した歌なんだね(笑)。



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 なんてったってヴィオラ 

#2412 題名のない音楽会

ヴィオラ
ヴァイオリンより一回り大きい弦楽器。重厚で深い、人の声に近い音色。

形の違いはほとんどないが、弓が10g重く、弦を抑える間隔が広い。
指の動きを大きくし、しっかり押さえる必要があり、
旋律を弾くのはヴァイオリンより難しい。


ヴァイオリンとヴィオラの対照的な扱い
ヴァイオリン
    華やかな音色で旋律を奏でる楽器の女王。
ヴィオラ・ジョーク いなくてもいいような存在だと揶揄する。

ヴィオラ奏者はヴァイオリンからの転向者が多い

地味な演奏法
刻み
打楽器のように拍子を刻む。
ワルツで裏拍を刻む。
ヴィオラだけだと何の曲かわからないことがある。


ヴィオラ・ソロの曲は少ない
不協和音が多い曲がある。

ヴィオラソナタ ヒンデミット 美しい曲。

タングアーノ(ピアソラ)
ヴィオラの低音の魅力を引き出し、鋭い瞬発力をも感じさせる現代曲


ヴィオラは陰の支配者
ヴァイオリンとチェロの両雄を影で操る。
戦略を練るのが好きな人
に向く。
楽団員組合の理事になる人が多いらしい。「暇だからやるわけじゃないです」


アメリカ(新世界より) ドヴォルザーク ヴィオラが主役。

ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 ヴィオラの駆け引きが重要な曲。


最後に
4つのヴィオラのための協奏曲 第2番より


出演者
青島広志さん、奏者:川本嘉子さん・須田祥子さん・生沼晴嗣さん。   



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ちなみに、書いていなそうな語句を検索すると、記事は見つからないけど、関連商品などが表示されます(笑)。
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