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 #2 江戸の復興代官 奇跡の4年~巨大地震・富士山噴火からの再生 

宝永地震 1707(宝永4)年 10月4日の穏やかな昼下がりに起こった。
津波や家屋倒壊のため、死者は2万人を越えた。
しかし、これは悲劇の始まりに過ぎなかった。

49日後、富士山が大噴火した。
16日間にわたり、推定18億tもの火山灰や火山礫が噴き出した。
特に静岡県御厨地方と神奈川県足柄地方の村々は壊滅的な被害を受けた。
熱い軽石が燃え移り、焼き尽くされた村もあった。


火山灰は江戸にも到達し、町は薄暗くなり、数cm積もった。人々は咳き込んだ。
火山灰が0.5mm積もっただけで稲作はできなくなると言われる。
当時の農業にも深刻な影響を与えた。
噴火が収まっても、大地に積もった膨大な火山の噴出物は長く人々を苦しめた。

1708年 忠順は代官として砂除け(火山礫)と川ざらいの指揮を命じられた。

富士山の麓が復興の重点地域とされ、酒匂会所という災害対策本部を置いた。

早速忠順は復興基本方針のお触れを出した。
冬のための蓄えを大切に食い、飢えることの無きように、
女子供も砂除けに協力せよなど、幕府の援助を当てにするなという内容
だった。

食糧支援や大規模な工事を期待していた被災者は衝撃を受けて怒ったが、
忠順は酒匂川の復旧を優先し、決壊を未然に防ぐことを指示されていた
小田原は関東の入り口で交通の要所であり、万一の謀反を食い止める要所でもあった。

復興を妨げる驚きの真実
幕府は忠順を任命したのと同じ日に、災害復興資金を全国の大名に、
百石につき二両、一部の大名にはさらに負担を命じた。

未曽有の危機に対し、全国一律の資金を集めるのは国内史上初の画期的な政策だった。

しかし、50万両(現代なら300億円)が集まったが、
忠順が実際に復興資金として使えたのは6万両
に過ぎなかった。

16万両が江戸城の御殿増築に使われた。 新井白石『折たく柴の記』より


綱吉の側室である大典侍のための屋敷だった。

幕府は財政難で、復興資金を他の事業にも流用するつもりで集めていた。
さらにわずかに残った資金も有効に使われたとは言えなかった。
工事業者に支払われた代金の大半は接待や賄賂に充てられたと言われる。

こうしたしわ寄せは災害復興の現場に集まり、
十分な人員資材も確保できないまま工事
を行わなければならなかった。
梅雨の大雨で増水する前に工事を終わらせなければならない。
困難な状況で、忠順は経験を活かし、全力で工事の指揮に取り組んだ。

4か月後の6月、梅雨に入る直前にどうにか堤防の補強を完了したが、
直後にあっけなく決壊した。
辛うじて残っていた家や田畑までも濁流に飲み込まれた。
これまで実績を重ねてきた忠順は、この様を呆然と見ることしかできなかった。


おまけ 安政年間の地震 あまり上手く纏まっていませんが、よろしければ(汗)。


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