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 2013年07月の記事一覧 

 #26 マガジン感想2013 

7つの大罪
賞品はディアンヌの戦鎚!
 けんか祭り予選開始。

我間乱
兄が善丸をかばって死に、善丸は九条を倒した。

AKB49 最後の否認派が票を投げつけ、みのりが転倒。
さすがに管理者が強制退場させようとするが、みのりはそれでは意味が無いと言う。
楽屋に戻った皆は動揺で崩壊寸前になるが、
入院していたリーダーが戻ってきて、次々に指示を飛ばし始めた。
「SKE5年間の汗は、この日のためにある!!」
↑1ページ使っているよ、かっこいいなー。

反逆の影使い 2話目にして、早くも影になる前のシヴァが見られた。
シヴァが何を言っているのか分からないけれどかわいい♪ あわてんぼ!
小さい横長のコマが多いけれど、そのうち良くなるでしょう。
ときどき、とても良い表情があるなあ。

フェアリーテイル 炎竜王イグニールの友達(竜)が味方になった。
そういえば、イグニールのことはまだ謎なのかな(話を見失ったから分からない)。

アクマゲーム 悪魔の鍵の謎。頭が良すぎても大変だなー。

コードブレイカー
みしるが異能で虚無化を食い止めている間に…どうするんだっけ?平家が現れた。

タカラの膳
真剣に料理をやるために、おばあちゃんと話して許可をもらった。

おばあちゃんは本当はやさしい人だなーと感動したら、
翌朝からさっそく猛特訓開始!

ベイビーステップ 清水さん。荒谷・難波江戦は荒谷君が負けた。

AKB49 アンコール。さっき振りを合わせてくれたSKEの皆の踊りに合わせる
観客はその一体感に感動。

ちょいもり
反逆の影使いの作者様。
大阪の人は助言好き・世話好きなんだねー。あったかい。





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 7月5週目の拍手レス 

今日は、久しぶりに拍手を頂き、ありがとうございます! 確認して良かった(笑)。
自分の富士登山の経験
わあ、実はこの記事は蛇足かなと迷いつつあげたのですが、
書いてよかったと思いました。ありがとうございます!

またの拍手を、お待ちしております☆



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 自分の富士登山の経験 

富士山について纏め始めて一か月、予想外に長くなりました。
これからも後から書き足したり直したりすることがあると思います。
そのために、短くても話題が変わると次の日に続けたりしていました。
ひとまず今日で終わりです。10年以上前ですが、自分の富士登山のことを書きます。

富士山には昔から登ってみたい気持ちはありましたが、
神様の山だから気軽に行ってはいけない気がして登っていませんでした。
でも何度か登っている友達に誘ってもらって、我慢できずに登りました。

他にも登りたい人が8人集まって、一か月位訓練と称して皆で走ったり、
体育館で運動をしたりしました。
訓練と言いつつ、その後の雑談や食事が目当てだったと思います(笑)。

一合目から登ろうかとも話し合ったのですが、
初めて登る子が多いから、今回は五合目から登ることになりました。

さて当日は、17時位に人が少なめな須走口五合目の駐車場に到着。
車に乗ったまま富士山に入ってしまったと恐縮しつつ、
高度に慣れるために、持って来たおにぎりを食べながら、
2時間位のんびりしてから登り始めました。食べ終わったラップはリュックに♪
↑富士講の先達は山では食事をしないんだよね。食べてごめんね。
 
振り向いた下に夜の富士五湖が見えてきれいだったなあ。

雨が降って来て雨具をかぶったけれど、しばらくしたら止んだ。

夜空を見上げたら何かが横切っていった。流れ星にしては遅い。人工衛星だと思う。

下を見ると明かりを持った人々がどんどん登ってくる。
前にも人がいっぱいいるので迷うことはない。

時々道の端に寄って休むことができたので、チョコなどを食べて休憩しながら登った。
↑神聖な山でものを食べるのは行儀が悪いとか当時は気付かなかったんだ。

また雨だ、急いで雨具をかぶる。すぐ止んでよかった。

8合目辺りで山小屋があった気がする。そのそばで休憩をして先に進む。
ゆっくり登ったし、立ち止まって休憩する回数も多かったので大丈夫だった。

しかし、一人が動けなくなってしまい、経験者2人が付き添うことになりました。
「ここまで来たら登るけれど、皆で立ち止っていたら邪魔になってしまうから、
 先に行って頂上で待ってて」←かっこいい。

ゆっくり登っていたら夜が明けてきた。
頂上に着いて、曇っていたけれどご来光を拝んだ。

無知ゆえに富士山に不作法なこともしてしまったと思いますが、
お山開きや、いろいろな儀式をきちんとして下さっている方々のおかげで、
無事に登ることができたのだと思います。ありがとうございます!
 
分かりやすい場所で友達を待ちつつ、家族や友達にメールを送ったり電話したりした。
当時の携帯電話は、写真はまだ撮れなかった(撮っている人もいたと思うけれど)。
↑今思えば、郵便局があったんだよね、葉書を書けばよかったなあ。

次々に登って来る人達を眺めていたら、2時間後に友達も登頂。よかったよかった。

皆でラーメンを食べた。多分袋入りの即席麺で、丼に入っていて500円だった。
このような不便な所でラーメンを注文するのはお店や店員さんに迷惑かなと思って、
一人だったら食べなかったと思うけれど、浮かれて食べてしまいました。
感動と興奮と無意識の疲労であまりおなかはすいていなかったことを思うと、
自分の意志を強く持っていなかったと反省しています。

御鉢巡りをして山を下りた。

御鉢巡り すごい迫力です。自然に拝みます。友達に「拝むのが長いよ」と言われた。
富士山に語りかけたいことがいっぱいあったんだよ。

砂走り 石がごろごろしていてうまく走れなかった。御殿場口の方が降りやすいらしい。
両方の親指の爪が割れて流血した。←思い出すだけで痛いです。
終始体調は良かったけれど、これは辛かったなあ。

埃っぽくなったので、御殿場温泉会館でさっと温泉に入ってごはんを食べて帰った。
次の日は月曜日で会社に行った。あのころは元気だったなあ。

富士登山のwiki
自分達も弾丸登山になるのかな、でも半日以上かけてゆっくり登ったよ。

もう一度ちゃんと作法を守って一合目から登ってみたい気もしますが、
多分登らないと思います。

登山者がものすごく増えたこともあるし、
「富士山に 登らない馬鹿 二度登る馬鹿」という言葉もありますしね。
でも五合目までの自然をあまり知らないままなのは残念な気もします。

やたらと富士山に足を踏み入れるのは恐れ多いけれど、
想像もつかない体感がいっぱいできました。準備は怠りなくね☆



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 夢の富士山傑作10選 

日曜美術館
1、葛飾北斎 富嶽三十六景 1831~35年 富士山を世界に知らしめた。
凱風快晴              赤富士の堂々たる赤。
御厩河岸より両国橋夕陽見 控え目な青。
甲州三坂水面          河口湖に映る逆さ富士。北斎の大胆な表現力。
甲州三島越            雅と俗・静と動・富士山と旅人達など、いろいろな対比。
すごいサイト様を見つけました。作品が見られます。

谷文晁 1763~1840年
有力大名の家臣の家に生まれ、絵画の英才教育を受けた。
2、富士山図屏風 1835年
単なる水墨画ではなく、北斎のような自由で大胆な手法を用いている。
頂上付近の右側に群青色が塗られていて、見る角度により表情が変わる。

片岡球子
 1905~2008年
マジックで下書き、上からクレパスやパステルで仕上げる。
迫力が出てきれいに仕上がると言っていた。指で絵の具を塗る。
自由奔放な画風で日本画壇に衝撃
を与えたが、若い頃は日の目を見なかった。
面構 葛飾北斎 1971年 
何物にも束縛されず、命を懸けて描き続けた北斎が心の師だった。
3、富士に献花
 1990年
↑富士山が可愛く見える。麓に大きな花がいっぱい描かれている。

奥村土牛 1889~1990年
4、平成の富士 1990年
何度も何度も筆を重ねつづけた、透明感のある絵。絶筆。
70歳を過ぎてから、家族に支えられながら富士山を熱心に描いた。

下書きをして家に戻ったが一向に筆が進まない。
家族に横山大観の「天霊地気」という掛け軸をかけてもらい、再び筆を握った。
富士山を書くには第一に精神が必要。
横山先生は心が無ければ富士山は描けないと言っていた
と語っていた。

横山大観 1868~1958年 生涯で1500枚もの富士山を描いた。
群青富士      1917年
或る日の太平洋 1952年
5、朝陽霊峰    1927年 皇居にある、皇室を飾る屏風。

富士山は日本画家たちにとって、生涯をかけて追い求める美の象徴。
見たままを描くのではなく、見た人が生きる力を感じられるように描こうとしている。

6、富士参詣曼荼羅図
 室町時代
富士山が信仰の対象として崇められていたことを示す。

7、富士御神火文黒黄羅紗陣羽織
 桃山時代 大阪城にある。
秀吉が愛用。噴火する富士山が描かれている。闇に浮かぶ金色の富士山。
黄色と黒の、とても目立つ大胆な構図。
←山が少し左寄りなんだね。
頂上の上の火がかわいらしく、親しみも感じる。

8、尾形光琳 扇面貼交手筥(せんめんはりまぜてばこ)
江戸中期。華やかな装飾。三保の松原からみた富士山。
頂上は3つの峰ではなく
、見たままを描いても富士山は美しいことを表している。
富士を写実的に描き、表現の幅を広げた先駆的な作品。
↑「頂上は3つの峰で描く」というお約束が無くなってきたのね。

梅原龍三郎 1888~1986年 洋画家。
9、朝陽 1945~7 ←2年かかったのか。
朝焼けの富士山。線が太く、躍動感がある。
ルノワールから学んだ色彩で人間の血の赤色を巧みに使い、
風景画でも赤を使い分けた


富岡鉄斎 1836~1924年 
10、富士山図屏風 1898年
右側の富士山は遠くから見た全体図。左側は頂上だけを大胆に描いている。
自分で登って感じた富士山が描かれており、特に左側は有機質な表情がある。
富士山と向き合い、格闘した末の、自分だけの富士山を表現している。


画家の個性を鏡のように映す山
川端龍子 怒る富士
 1944年 赤い富士山の頂上以外を黒い雲が覆い隠している。

藤島武二 青富士  1941年 抽象画みたいな絵。

山下清  日本平よりの富士 
上の方は空と富士山と海が青く、下の方は紅葉で赤と緑。あたたかな作風。

山口晃 東京圖 奨堕不楽乃段 2001年
浮世絵のような絵で、過去・現在・未来を融合させて作り上げている。
富士山は、風景の一部として描くことはあっても、主題に据えたことはない。
富士山は描き尽くされているから手が出し辛かった。
でも、自分に描ける富士山があるかもしれないと思い始めているようだ。

富士山は見る人が投げかけた問いを沈黙で返し、背中を押してくれる。
画家は描く、自分の富士を。



感想
昨日の記事で、他にも富士山の絵に詳しくなりたいと思っていたので纏めました。
打ち込んでいる途中で思ったけれど、どの絵が良いかは好みによると思うし、
いまや富士山の絵は一般の人も書いているからごまんとあるよね。
でも有名な絵や、知らなかったことがいろいろ分かって良かったです。

今日知った絵の中では、北斎さんの絵がもっと見たいと思いました。
二年前に行った国芳さんの展覧会がとても面白かったので、
今度は北斎さんの展覧会に行きたいな。

そして、奥村土牛さんの絵もきれいでした。
奥村土牛記念美術館があって、行きたいけれどちょっと遠いなあ。

広重さんが出てこなかった(おろおろ)。どうしたんだろう。
東海道広重美術館にも、ゆっくり見に行きたいなと思いました。



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 描かれた名峰富士 

新日曜美術館 1998年
平安時代 富士山が描かれ始めた。

鎌倉時代 
聖徳太子絵伝
 四天王寺
聖徳太子への信仰を広めるために、鎌倉時代に盛んに作られた。
聖徳太子にまつわる伝説が、絵物語として描かれている。
黒い馬に乗って富士山を乗り越えようとしている部分は、超人的な能力を表現
富士山は極端な急斜面に描かれている。←これも頂上の峰がみ3つに見えるなあ。

↑日曜美術館では、秦致貞 1069年 平安後期。
富士山を神聖な中国の山の絵に因んで、急斜面の緑の山に描いた
と言っていた。
詳しくは、大和絵のwikiで。

伊勢物語絵巻 鎌倉時代末期 和泉市久保惣記念美術館蔵
東下りの場面 ここでも富士山は急斜面に描かれている。


室町時代 
物語ではなく、風景として富士山を描いた作品が登場し始める。
禅文化と共にもたらされた、中国の山水画の影響
と言われている。
しかし、山頂は現実と違って3つの峰で描かれている。

富士曼荼羅図
 富士山本宮浅間大社
富士山を見たことが無い地方の人達に、
富士山の偉大さやありがたさを説くために作られた。
富士山の参詣の仕方が細かく描かれている。
山頂は3つの峰になっており、人々を極楽浄土に導く三尊が座している。
右は大日如来・左は薬師如来・真ん中は阿弥陀如来。

山頂を3つの峰で描くことは、
江戸時代中期まで400年もの間、絵師たちの決まりごと
になっていた。

仲安真康の富嶽図 
なだらかな富士山と美保の松原辺りの風景が、繊細な筆遣いで情緒豊かに描かれている。

伝雪舟 富士三保清見寺図 日本の山水画を大成した人。
手前は力強い筆で寺院を、背景はなだらかで大きな富士山を見事に表現。


江戸時代 江戸に暮らす人にとって、富士山は当たり前の風景だった。

江戸時代中期
西洋絵画の技法が用いられ、写実的な絵画が描かれるようになった。

司馬江漢 御茶水景図 洋風画。遠近法を使い、立体的で影が付いている。

江戸後期
遠近法がもたらされて以来、江戸の画家たちにとって富士山はより身近な題材になる。
その最たるものが、浮世絵の風景画。

それまでは描く事さえ畏れ多かった富士山を、この時代の絵師はこぞって主役にした。

歌川広重
東海道五拾参次 

名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣
遠近法を巧みに使った奇抜な構図
で、
江戸の日常の様々な情景の中に富士山を取り入れた。

名所江戸百景 する賀てふ

呉服商が立ち並び、町人たちで賑わう駿河町。
通りのはるか遠くには巨大な富士山が町を見守るようにそびえている。

葛飾北斎
富士山を描くことに最も情熱を傾けた画家の一人。

富嶽三十六景 富士山と人々の営みを感動的な構成で写し出した。
甲州石班沢  漁師と富士山。石の構図で富士山が引き立つ。
神奈川沖浪裏 大きな波を強調しながらも中央の小さな富士山に目が引かれる。

凱風快晴 赤富士の絵。富士山に真正面から取り組んだ傑作。
大胆な色使い・富士の高さを表現する、鋭い稜線の描写。


北斎はこの絵で、
それまで日本人が抱いていた富士山の印象を打ち破る新しい富士山を生み出した。



感想 西洋絵画の技法は日本に影響を与え、浮世絵は世界に影響を与えた。
お互いに影響を与え合っているんだなあ。



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 #3終 ある富士講の夏 

2013年のお山開きに参加した講社は5つ位だった。
20年位前は約13。年々減っている。
しかし、現代でも、
富士講という形ではなくても富士山を大切に思っている日本人は多いと思う。

富士山を守り、伝統を受け継ぐ取り組み
忍野八海 
江戸時代に富士講の修行場として使えるように整備し、
飢饉などで苦しんでいた村が巡礼地として救われた歴史を持つ。

地元では小学3年生に忍野八海の成り立ちや村の歴史を教えたり、
住民皆で清掃活動を行っている。
子供達は、地元を大切にしたい、皆に分からないことは教えてあげたい
と言っていた。

富士山をどのように保全し、次の世代に引き継ぐか。
規則を作り、守ることが、今の世代の大きな仕事になるだろう。

日本人の自然観を、富士山を通して世界に伝えたい。
富士山に登ることは文化であり、スポーツではない。
じっくり登って頂きたいし、周辺の文化的な建物も散策して頂いて、
山も麓も大切にして、次の世代に引き継ぎたい。





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 #2 ある富士講の夏 

年に一度の富士登山
バスが富士吉田に到着。
御師の「たつ道」を、念仏を唱えながら歩いて到着を知らせる。
御師が出迎える。

御師 石柱の門が目印。宿や食事を提供し登山の安全を祈る。
時には登山の手助けもした。信仰を広めるために講社を回ることもあった。

江戸時代の富士登山は往復10日、富士吉田から山頂でも往復3日かかった。

そのため30年ほど前までは、登山者は前日は御師の家に泊まって休息を取り、
お礼にお布施や座布団、茶碗などを納めた。

大国屋 16代目の御師。
『三十一日乃御傳』の巻物
がある。
富士への熱い信仰が人々を救うという身禄の教えは巻物に記録され、
御師を通してたくさんの信者に伝えられた。

現代は5合目までバスで行けるので、御師の家に泊まる人はほとんどいなくなったが、
この講社では毎年欠かさず立ち寄り、最後の身支度をする。

白装束 全て手作り。
鈴(れい) 腰に下げた鈴。
登る時に音がして励まされる。

昼前に浅間神社に参拝。
5合目まではバス、8合目で一泊。
←身禄さんが仏になった所か。

先達は下山するまで食事をとらない。御神体を背負って登る。
苦行しながら、全ての講員が無事に登山できるように気を配っている。

山小屋
 身禄を祀る神殿がある。
神主は夏場の一か月間をここで過ごし、
各地から集まる富士講の人達のために儀式を行う。
身禄の霊力を講の人に分け与える儀式
を、明かりを消して行う。

ご来光 朝4時半。
ここまでの無事を感謝して、歌うように祈りを捧げる。
雨の年も小屋で祈る。

山頂まで、4時間かけて登る。
急な斜面を、六根清浄(迷いや欲を断ち切った清らかな境地)と唱えながら登る。

正午ごろ、山頂に到達。

富士山頂上奥宮 神聖な場所。白装束に朱印を押してもらう。
毎年一つ増える。

御鉢 浅間大菩薩が宿る聖地。
一年に一度、ご神体をここに里帰りさせている。
背負ってきたご神体の包みを解き、皆で祈りを捧げる。


今回で158回目の登山だった。←先達が登った回数だと思うけど違うかも。
昔ながらの行事を毎年欠かさず行う講社は数えるほどになってしまった。
誰もが登れる山になっても、この人たちの信仰の重さは変わらない。

先達の言葉
富士山は自分で登ってありがたいと思って下りる山。
でないと信仰の山という価値が無い。征服するものではない、ありがたい山。
体力の続く限り登り続ける。



感想 本当に、ゆっくり登るなあと思った。
高齢という理由ではなくて、登ることを大切に噛みしめているようだった。



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 #1 ある富士講の夏 

ふるさとの伝承 霊峰に魅せられて ある富士講の夏 1995年

富士山は古くから神が宿る聖地とされ、人々の信仰を集めてきた。

文献では、富士登山の信仰は平安時代の末期に初めて登場する。

角行 室町時代の修行者。食べず、眠らずの行を続け、独自の教えを開いた。
弟子たちによって広められ、富士講として庶民に受け入れられた

江戸時代、富士山の信仰が庶民の間に急速に広まった。
人々は各町内で富士講という集団を作り、聖なる山を目指した。

山梨・静岡・東京などの関東地方で特に盛んになった。

江戸末期には、講の数は300を数えた。
マネキ それぞれの講の旗。
目印になった。


富士講を守り続ける人達 東京 丸藤宮元講社
250年続く講の先達
(代表者のこと)は、
代々行ってきた信仰の儀式を口伝で受け継いでいる。
年に一度の富士登山や、毎月「お炊き上げ」の儀式
を行っている。
7歳の時に先達であった父親に連れられて富士山に登って以来、
79歳の現在まで、戦時中以外は毎年富士山に登っている。

お炊き上げ 札を火にかざして吉凶を占い、安泰を願う。
御身抜(角行の言葉)を札に書き写す
神殿(しんぜん)には、このはなさくやひめのみことが祀られている。
約20人の講員が集まり、歌うようにお伝え(経文のこと)を唱えながら、
線香を富士山のような形に立てていく。
この炎と煙は穢れを祓う。
3枚の札を火にかざすと、舞い上がり燃え尽きた。占いは吉。
線香が燃え尽きると、約40分のお炊き上げが終わる


富士吉田 富士登山道の始まり。
北口本宮冨士浅間神社
 富士講の人は登山前に欠かさず訪れる。
浅間=あさま。一説には噴火する山を指すと言う。

開山祭 6月30日。 ←今年は7月1日。
たぢからおのみことが縄を斬り、茅の輪くぐりをする。
茅の輪くぐりは疫病を防ぐ儀式で、京都の八坂神社でも行っている。
ここでは、登山者の安全祈願の意味もある。


おまけ 
よかったら、富士講について#5 富士山と日本人も読んで行って下さい☆



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 #後 富士山登録決定! 火の山のすべて 

2か月間の登山期間
登山者は約32万人。御朱印は赤富士の色。

日本一高い場所で行う結婚式も可能。 

富士登山は、日本人にとって特別な意味を持っていた。
富士参詣曼荼羅図 室町時代。
この絵で登山の手順を学んだ。
夜、手に松明を持って出発し、頂上でありがたい仏様に会えると信じた。

江戸 史上空前の富士登山富士講富士塚はこちらへ。

お中道 5合目付近の中腹を一周する信仰の道。

にほんかもしか
 めったに見ることのできない富士山の住人。日本の固有種。
溶岩に覆われた高地には、40種類の哺乳類が生息
している。

天空の庭園 強風で変形した木々。

ほしがらす
 下界にはほとんどいない珍しいからす。

大沢崩れ 最大の難所。山肌が深く削られた谷。
富士講では、山頂を極めたものだけに許された厳しい修行の場
だった。
現在も斜面は削られ、岩が落ちている。危険なため約30年前に立ち入り禁止になった。

標高2400mの5合目より上は、木が育たない。


御鉢巡り 8つの峰に囲まれている噴火口をめぐる3kmの雲上の道。
火口の深さは250m。

雷岩 巨石の向こうから雷が起こる
と言われている。

日本最高峰 剣ヶ峰 3772m。手前に馬の背という急坂がある。
黒く盛り上がった溶岩の塊。まさに火の山であることを最も強く感じられる場所。


見渡す遥かな世界。それは、日本一の山への恐れと憧れに繋がっている。
富士山は、人の心にも高くそびえている。

日本人が変わることなく心をよせる山。この国の真ん中に、富士山は立ち続けている。



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 #前 富士山登録決定! 火の山のすべて 

THE 世界遺産 富士山‐信仰の対象と芸術の源泉

噴火を繰り返した火の山 赤い色は溶岩の鉄分が酸化したもの。

現在の姿になったのは縄文時代 
数十万年前  小御岳火山 2000m級の火山
80000年前 古富士火山 ふもとで新たな火山ができた。
10000年前 新富士火山 古富士火山が噴火し、小御岳火山を覆い尽くした。

富士山の下には2つの火山が隠れている。
噴火を繰り返すことにより溶岩が円錐形に流れ、美しい形になった。


火の山は巨大な濾過装置を備えた水の山
 ←富士山 水めぐる神秘 


青木ヶ原樹海
溶岩樹形
 溶岩が木を覆い焼き尽くし、木の形に空洞が残ったもの

無戸室浅間神社 拝んだ先に、総延長68mもの地下への巨大な溶岩樹形がある。
1000年前の噴火でできた、世界でも珍しい入り組んだ溶岩樹形。
一番奥の空間は広く、富士山の神様
が祀られている。富士山信仰の巡礼地。

山宮浅間神社 流れた溶岩の先端
にあり、ここで荒ぶる神が鎮まるように祈った。
ご神体は富士山そのもの。古い富士山信仰の形を現在に伝えている。


影富士
 ご来光の時、山頂の三島岳の真後ろに見える富士山の影

赤富士 溶岩に含まれる鉄分のため、朝日と共に赤くなる。
縁起の良い風景として愛されてきた。

七面山敬慎院 春分と秋分の年2回だけ、真正面からご来光が見える。


吉田の火祭 400年前から富士山に炎を捧げ、噴火が起こらないように祈っている

夫婦岩 三重県。富士山が見える限界距離。



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 富士山の穴場 

マサカメTV
御庭駐車場 5合目が曇っていても富士山頂上が見えることがある。
強風で曲がった松がある。

大沢駐車場 一面の雲海。

ご来光だけではなく、夕日も美しい

サンショウバラ 世界で富士山麓とその周辺にしか自生していない。
花はわずかな期間しか咲かない。
↑島田市ばらの丘公園とbunicoさんちの近くでは栽培しています(笑)。


青木ヶ原樹海 生命力が強い酵母菌があり、パンが良く膨らんで甘くなる。


富士吉田市の地図は南が上 富士山を基準にして生活しているから。
江戸以前の日本では、地域の象徴を上にした地図を地域によって使っていた
奈良では東大寺などがある東が上だった。

西洋では北極星を基準に北が上。明治時代に日本も西洋の基準を取り入れた。
富士吉田では富士山が確かな目印
になるので、今でも南側の富士山が上の地図を使う

しかし、観光客用に北が上の地図を作った。



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 #4終 富士山 水めぐる神秘 

水の謎
忍野八海
 姿や色合いの違う池。
湧池 青く澄んだ水には竜神が棲むと言われ、巡礼の地。
池の底には知られざる空間
がある。

水中洞窟の入り口 立ち入り禁止だが特別に撮影。
全長55m、水脈が11本あった。
海底洞窟の全貌

↑すごい! 竜神がいるというのも頷ける。昔に潜った人がいたのかな、いやまさか。

水があることを忘れるほど透明。
洞窟内の広い所 洞窟内は美しい

天井が平らなのは、洞窟の誕生以来、常に水で満たされていたということ。
もし水が無い時期があると、空気に触れて一部が崩落し、でこぼこしている。
水の同位体を調べると、標高2000mの地点が水源であることが分かった。
高い場所から流れて来た水は、勢いをつけて白い化石の層を次々と浸食し
一滴から始まった富士山の水の力で、水中洞窟はいまも成長を続けている


駿河湾
海底湧水 海水に10%もの相当な量の地下水
が含まれていることが分かった。
生態系にどのような影響を与えているのか、これからも研究を続ける。


感想
水中洞窟が、いまも変化し続けていると言うのがちょっとどきっとしました。
無常だなあ。
浸食など、人間がどうしようもない変化もあるけれど、
自分達も多くの変化点の鍵を握っているというのが身が引き締まる思いがします。

富士山の地下水の行方の研究が進んでいるのですね。
でも、難しいことはともかく昔の人は本質をちゃんと分かっていたのですね。
でも、現代にはあまり受け継がれていなかったのですね。
でも、皆が富士山のすごさを再認識する機会がやっと来たんだなあと思いました。

現代は知ることができる範囲がとても広がっていて、広い視野を持つにはいいけれど、
自分が実際に生活していることに関する情報はあまり知る機会が無く、
知らなくても生きていけて、次の世代に伝えることもできなくて、
自分もそうだけどそういう人が増えて、足元が危うい感じがします。



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 #3 富士山 水めぐる神秘 

水の恵み
御殿場市高根地区 
田んぼ・野菜・わさびなど。野菜を洗ったり洗濯をしたりして生活に利用している。

富士高砂酒造 創業1830年。地下28mから汲み上げる富士山の水。
水質はとても柔らかく、新米にたっぷり含ませるのが美酒になる秘訣。
ゆるやかに発酵させ、まろやかなお酒に仕上げる。


水への祈り
噴火が続く富士山に、人々が救いを求めたのが水だった。

富士山は、湧き出る豊かな水を通じて人々を守り続けてきた。
富士山は水源の山として崇められた。

村山浅間神社 開山祭
 地元の子供たちが湧き水で身を清める。

富士山本宮浅間大社 地下水が湧く所には神社が作られた。
このはなさくやひめ 水の女神。

湧玉池 池の水は夏でも13度
水で身を清め、人々は山頂を目指した。
開山祭 湧玉池での禊ぎは、池の保護の為2010年に中止されたが、
伝統継承の為、2013年に禊ぎ体験
が行われ、一般の人が参加した。


江戸時代、富士信仰が人々の間で広まった。
人々は富士山を「水分(みくまり・水を分け与える)の山」と呼んだ。




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 #2 富士山 水めぐる神秘 

青木ヶ原樹海 昼間でも薄暗く、湿っている。
平安時代の大噴火で、大量に流れた溶岩の上に原生林が生まれた。
養分がほとんどない溶岩台地。雨水もすぐに流れる。

木は必要な水分を、苔からもらう。

洞窟 気温2度。足場が悪い。巨大な地下空間。
1000年前の大噴火でできた。溶岩が冷えて空洞ができ、溶岩洞窟になった。
水の流れを探す手掛かりになる。赤茶けた溶岩は鉄分を含んだ水が通った印。

洞窟の冷気で冷えた水が大量のつららになっている。500tもの水の巨大貯蔵庫。
氷筍(ひょうじゅん)
 不純物がきわめて少なく、透き通っている。


富士五湖 川は無く、富士山の湧き水が溜まったと考えられている。

水の同位体を調べると、どの高さから流れて来た水か分かる。

本栖湖 水深122m。
湖底湧水
 1000年前に溶岩が流れ込み、
標高1300mからの水が溶岩の隙間を通って湧き出ている。

白糸の滝 富士山から15年かけてここに届く。
溶岩の隙間から、一日16万tもの水が湧いている。

柿田川湧水群 富士山から南東に35km。
一日100万t以上。標高1400mからの水
が溶岩を通って流れてきている。
酸素が豊富な清流に魚が集まり、魚を狙って80種類以上の鳥も集まる。

富士山の水は、生き物たちを繋いでいる。



感想 
樹海・洞窟・湖底湧水は平安時代の噴火でできたのか。意外に最近だなあ。



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 #1 富士山 水めぐる神秘 

NHKスペシャル
富士山は、周囲に高い山が無く、圧倒的な高さの独立峰なので、
あらゆる方向からの風にさらされ、年間24億tもの莫大な雨や雪が降り注ぐ。

冬から春は、東の海から来る風が大量の水蒸気を運んで来る。
風は、1500mの箱根の山々を越え富士山にぶつかり雪を降らす。

夏から秋は、南の海からの湿った風が富士山にぶつかり、雨を降らせる。

厳冬期 氷点下20度以下。猛烈な風。雪煙。霧氷。複雑な乱気流は予測不能。


春 水の旅の始まり。溶けた雪の一滴一滴が集まり、下へ流れて幻の滝を作る。
10度を越える日中にしか見られない。
しかし、川にはならず、溶岩の隙間から地下に吸い込まれ、すぐに消える
富士山の地下水はどこからどこへ流れていくのか。


地球の表面は12枚の板状の岩盤(プレート)に覆われている。

富士山は、3枚のプレートがぶつかり、深く落ち込む場所にある特異な火山。

3つのプレートの間
玄武岩質の溶岩は日本では珍しい。
粘り気の少ない溶岩流は、噴火の度に広く流れ、
富士山の美しい円錐形と広いすそ野を作り上げた。


富士山を覆う溶岩は幾層にもなっていて、溶岩の隙間が水の通り道になり、
周辺の水の豊かさに深く影響している。




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 富士講について 

※番組名は忘れました。

富士宮 人穴 8000年以上前に、富士山が噴火してできた洞窟。
富士講の開祖である角行が1000日間の厳しい修行をした。
頂上が天国なら、ここは地獄だとした。ここで修行し身を清めてから富士山に登った。
今でも同じようにお参りをする人達がいる。

御胎内 印野の溶岩隧道。入口から入って出口から出ることにより生まれ変わる。

富士信仰
富士山に登れば生まれ変わり、幸せになれる。富士山は自分の一部


富士講 
江戸を中心に広まった富士登山者の集まり。
そのいくつかは代々受け継がれている。
皆でお金を積み立て、代表者が参拝する。
開祖が作った御神体の鏡に登山の無事を祈る。

富士吉田 
御師の家 かつては90件近くあった、登山者を世話する宿。富士講の人が宿泊
した。
御祈祷師。宿や食事を提供した。←神の山に入る手続きをしてくれた。

江戸時代中期には、ひと夏に2万人もの人が登った。
富士山の湧き水を引き込んだ水路があり、旅人はここで身を清めた。

旧外川家 御師の家。
昭和42年まで
富士講の人を泊めていた。今は博物館になっている。
御神前の間 宿泊者の安全祈願の御祈祷とお祓いが一番の務め。
お札 版木で白装束に押した。
富士山に入る査証のようなもの。

白装束で富士山に登る
死装束 白い帷子・手甲・脚絆。杖は墓標になる。
自らも神の分身となって神の教えを伝え、命の果てるまで歩く者。


富士山山頂は極楽浄土。一度死んで生まれ変わる死出の旅。
鳥居をくぐると神の世界。

六根清浄(迷いや欲を断ち切った清らかな境地)と唱えながら登る。登山の掛け声。

富士山頂上奥宮 久須志神社
 飢饉や不況に喘いだ庶民の祈りを受け止めてくれた。

富士吉田市 国際交流員の外国の人がいる。
「富士山の中に神様がいることを知って、理解できないほど難しいと思った。
 でもこういうところに来て地元の人と話をして、そういう感覚に慣れてきました」


おまけ #5 富士山と日本人 庶民を救う富士 
      ある富士講の夏も、よかったら読んで行って下さい。

おまけ2 身禄さんのwikiを見るとややこしいけれど、
角行さんが富士講を開いて亡くなった後に身禄さんが生まれているんだね。
富士講は光清派と身禄派に別れて、その後もいくつか変化があったのか。



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 #6終 富士山と日本人 

富士塚 現在も都内に80か所以上残っている。
身禄の弟子たちが、富士山に登れない人達のために江戸中に作った
富士山の女人禁制が解かれたのは江戸末期のことで、
それまで女性は2合目までしか登ることを許されていなかった。

小山の上には信者たちが富士山から持ち帰った溶岩が積み上げられている。
ここに登れば富士山に登るのと同じ御利益が得られると教えた。
8合目には身禄の像が置かれている。

江戸・明治・大正になっても、富士山の信仰登山は途絶えることはなかった。
大正から昭和の初めが最も多かった。

富士講の数は減ったものの、現在も身禄の時代と同じように富士山に登る人達はいる
日常生活を離れ富士山と向き合うことで、清らかな気持ちになれると考えている。
男女も地位も関係なく富士山に祈りを捧げ、身禄の残した教えを唱える。
「~天地の神と同根なるゆえに 万物の霊と同体なり~」


遥か太古の昔から、信仰の対象として崇められてきた富士山。
大いなる自然の力に向き合う時に人が感じるもの。それが宗教の原点。


日本人にとって、富士山は、眺めて美しいだけではなく、権力の象徴でもなく、
もっと大きな生と死の循環、自然と人間の根源だと感じてきた。

自然を支配しようとせず、恐ろしさに目をそむけず、
自分は自然の一部であることを理解し、自然と共生して生きていた。

江戸時代の町民達は、縄文時代から連綿と続いてきた思想を富士講として表した。
それが世界遺産として認められた意義は大きい。




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 #5 富士山と日本人 

庶民を救う富士 

伊藤伊兵衛(身禄)
 1671~1733年
貧しい人々が苦しむ世の中で、油売りで稼いだ富を貧しい人に分け与え、
庶民を救うために厳しい修行を積んだ


1707年 宝永大噴火 
富士山の中腹が16日間噴火し、江戸も火山灰に覆われた。
宝永火口 江戸時代に起きた大噴火の跡。
全国から集まった救援金を幕府が流用し復旧が遅れた。

1732年 享保の大飢饉 関西では10000人以上の餓死者が出た。
江戸では打ちこわしが起こった。

1732年 御添書之巻 死の前年に書いた幕府への批判
身分が高い人ばかりひいきして、身分の低い人を些細なことで取り調べる。
米の値段をつり上げ、庶民を苦しめている。など。

身禄は庶民のために富士山の8合目で死ぬまで断食をした。
三十一日乃御伝
 
身禄は毎日一つずつ教えを弟子に書き取らせ、31日目に仏になった。
四民相助る 士農工商が助け合うことで万物が調和する。
今ある社会よりも理想的な社会を、人間は作ることができる。

その後、弟子たちが身禄の教えを広めた。
富士の前では男女も同格で、人間は平等である。
一生に一度でも富士に登り心を清めれば新しく生まれ変わり、
幸せになれる
と説いた。


江戸中期、山伏以外の庶民もこぞって富士山に登るようになる。
富士講 お金を出し合って登山資金を積み立てる集まり。
一生に一度は全員が富士山に登れるように
するため。
代参 行けない人の分もお参りする。

富士吉田市 富士山の登り口がある。
今も富士講の人が止まる宿がある。
御師菊谷坊 御師とは御祈祷師の略。富士登山の安全を祈願してくれる宿。



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 #4 富士山と日本人 

徳川家康
江戸幕府を開いたが、当時は家柄や血筋など、
力を越えた神の後ろ盾が無いと、人々に認められなかった。
そこで、富士山を大切にして加護を得ようとし、実行した。

1604年
、関ヶ原の戦勝御礼として、
富士山本宮浅間大社に、本殿を含む30余りの建物を寄進した。
本殿は浅間造という、2階建ての特別な造り。菊と葵の御紋がある。
 
本宮文書 家康による破格の待遇が書かれている。

江戸城の富士見櫓 歴代の将軍はここに全国の大名を集め、共に富士山を眺めた

駿河町 江戸で、埋め立てて一番に作った町。
現在の日本橋室町の一角を指す。
この町の通りに立って南西の方角を望むと、
真正面には江戸城を、 その背景には 富士山を眺めることができた。

江戸城の背後に富士山が見えるように計画し、
富士山を江戸の象徴にして、人々に強く印象付けた。

江戸の町民達は生活の中で富士山を眺め、敬っていくようになった。

日用品にも富士山の絵が取り込まれていく。

↑着物・櫛・入れ物など、美しいなあ。


感想 家康さんはそんなことも考えていたのか、深謀遠慮がすごい。




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 #3 富士山と日本人 

鎌倉時代、山伏が富士山の溶岩洞窟などを聖地とし、修行の場となる。
現代も行われている。

山中で加持祈祷を行い、心身を清めることで、
富士山の霊力を授かる
ことができると考えられている。

富士参詣曼荼羅図 大勢の山伏が富士山頂を目指している。
頂上では三尊の仏が山伏たちを待っている。
如来から霊力を授かった山伏たちは、ふもとに下りて人々を救済する。

富士の人穴
 山伏たちは、数日にわたって厳しい修行を重ねていた。
このような穴を胎内と言い、洞窟に入ると一度死に、
修行を終えて穴から出ると生まれ変わることができる
と信じられている。


富士山本宮浅間大社 平安初期創建。
山伏たちが富士山に登る前に必ず訪れ、禊ぎをした場所。
湧玉池 15000~10000年前、溶岩がここまで流れてきた。
溶岩の隙間から富士山の伏流水が流れ込み続けている。




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