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 2012年01月の記事一覧 

 #5 森林文化と農耕文化 

雑木林の衰退 私たちも今、その最中にいる。

明治以降、ヨーロッパ起源の近代文明の波が日本に渡来
日本列島に長く続いてきた自然への対応は根本から変わった。
順応から支配への思想の転換。住民と自然の結びつきを断ち切る。

「官民有区分」 財政基盤確立のための地租改正に基づく。
自然と人間の共生系として多面的に利用され、
生活林として住民の自主的管理のもとに維持されてきた森林が、突然住民から奪われた

法制林思想 ヨーロッパ直輸入の思想。官有となった膨大な山林の経営の基本となった。
林齢の異なる林地を計画的に造成・配置し、木材の成長量と収穫量を管理しようとする
一定の目的のために利用し尽くそうとする、合理主義的な自然の扱いの典型。

木材培養専用という見地から、
住民との多様な付き合いによって維持されてきた里山の雑木林は、
最も木材生産効率の低いものとして見放された



近代化を目指す林業
林種転換
 雑木林をはじめとする自然林を針葉樹の人工林に変える

現在、日本の森林の約2500万haの40%以上が人工林で、
実質的には林業が可能な森林の大半が木材培養専用の場として人工林化された。

そこまでやっておいて、現在の日本は中国、アメリカに次ぐ世界3位の木材輸入国
日本人が年間に消費する木材は、約1億1千万立方メートル
そのうち、国産木材の占める比率は約2割

日本の林業の衰退は、多くの森林を、本来の物とは異質の人工林に変えた末に、
一方では環境変動の多い季節風地帯の自然からの報復を受け、
他方ではほかならぬ近代社会の経済機構によって市場から見放された結果




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 #4 森林文化と農耕文化 

ヨーロッパ 1600年位前、ローマ帝国衰退後の5世紀
麦作がヨーロッパ内陸部に持ち込まれた
1、牧畜とのセットで持ち込まれた。
2、強烈な一神教を背負うキリスト教勢力によって持ち込まれた。
キリスト教では、
人間は神のもとで地上の全てを支配すべきものとして位置づけられている。

ヨーロッパの森林は急速に消滅して、農耕地と放牧地に変えられ、
長く共存してきた在来の森林文化を駆逐して、農耕文化が発展した。


10世紀頃  封建制度が発達。人口の増加と共に開拓の速度は早まる。
12世紀頃  「大開墾時代」
13世紀頃  ヨーロッパ西部の肥沃な地域では森林が一掃される
18世紀頃  ヨーロッパの95%を覆っていた森林は20%程度になった。
       特に英国は森林のほとんどが消滅してしまった。
18世紀後半 産業革命。工業生産活動が都市に集中し、近代都市の発展
       都市を拠点とする、かつてない大量生産と大量消費の仕組みの誕生
       経済が急激に発展し、西ヨーロッパを近代文明の拠点にした

しかし、ヨーロッパに興った近代文明の、その後の発展を資源の面で支えたのは、
ヨーロッパの資源ではなかった。


それは、海外貿易と植民地から得た海外資源だった。

15世紀      植民地政策が始まる。
16世紀~17世紀 スペイン・ポルトガルによるラテンアメリカの征服
          英国・フランスによる北米征服
18世紀      アジア諸国に、競って貿易と植民地づくりの手を伸ばした。

世界各地の資源を近代文明社会の傘の下に組み込み、塗り替えるものだった

20世紀以降、地球上の各地に残っていた自然との共存の文化は急速に駆逐され、
自然と人間の共存の拠点だった共生圏は消滅し続けている。


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 #3 森林文化と農耕文化 

日本列島 約2400年前に米作が渡来。
当初は陸稲と水稲は未分化だったが、まもなく水稲が中心となる。

農耕文化は西から急速に東進するが、森林文化を駆逐して入れ替わったのではない。
1、主に山麓に作られた田んぼに渓流の水を引き込む棚田から発展し、
  大規模な山林の伐開を引き起こさなかった
2、乾燥地帯の農業では穀物栽培とセットになる牧畜を伴わなかったので、
  放牧のための広大な森林の伐開も行われなかった
3、雑木林は、下草を緑肥として水田に供給するという重要な役割が新たに加わった

日本列島への農耕文化の進出は、在来の森林文化との融合という形で進められた。

里山に水田・畑・桑畑・水路・溜池などが加わり、より多様な環境構造を作り出した。

集落の周辺一帯に、森林性に加え、
草原性・湿原性・水性などの、人が作った多様な生物相が生まれた。

花鳥風月
「風月」は気候の周期、「花鳥」は人間も含む動植物の営み

豊かな花鳥風月の世界は、元からある日本の四季だけではなく、
森林文化と農耕文化の融合した共生圏の豊かさがもたらしたもの

↑人の自然への働きかけがあるからということですね。

縄文時代から続いた自然への順応の精神は、戦前まで続いた。
自然を大きく変えることなく、
地域と場所の特性に合わせた集約的な土地利用の上に、
森林文化と農耕文化の融合が成り立っていた。



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 #2 森林文化と農耕文化 

日本列島の縄文時代 雑木林、共生
自然との共生の鍵は、持続可能な自然利用の仕組み
自然と人間の間に共生の世界「共生圏」を作り、自然資源の採取を主にそこから行う

共生圏 人間の自然への働きかけとそれに対する自然の応答の上に成り立つ世界
焼畑  一回に三反(900坪)以下。
    そこに蕎麦・稗・粟・豆類を栽培。
    その後放置すると、伐採や火に耐えて生き残っていた切り株から萌芽し、
    落葉広葉樹の二次林が再生。これが雑木林
雑木林 火入れに強く、萌芽の力が強い落葉性のオーク類が中心。
    燃料として火力が強く、用材としても丈夫、食用の実が取れ、落ち葉も使える。

雑木林は約30年で伐採、再び焼畑となり、一万年以上にわたって繰り返されてきた。
日本列島では、焼畑は、昭和20年代まで全国各地で続けられていた。

ヨーロッパの人々も、
狩猟に依存する一方で集落の周辺に広葉樹主体の生活林を持ち
そこからの資源を利用しながら森林との共存を長く続けてきた

しかし、乾燥地帯起源の農耕文化が渡来。
ヨーロッパへの麦作と、日本列島への米作。
その受け入れ方は両者の間に大きな違いがあった。



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 1月12日の拍手レス 

今日は、#2 世界の食糧問題 纏めと感想 に拍手を頂き、ありがとうございました!
本当に、前置きにも怯まず読んでくださって感謝いたします☆

昨日、頂いた拍手がきっかけで「大豆」のwikiを読んだのですが、
やっぱり田んぼの片手間に作るのがちょうどいいものなのかな。
なんで作らないのか調べてみたいです。

またの拍手を、お待ちしております!

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 #1 森林文化と農耕文化 

森林と人間 石城謙吉 第8章より
森林と人間―ある都市近郊林の物語 (岩波新書)森林と人間―ある都市近郊林の物語 (岩波新書)
(2008/12/19)
石城 謙吉

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エデンの園 旧約聖書「創世記」の第2章を見ると、
オアシスを原型として、自然と人の共生の世界を描いたと思われる。
人間の生活の原点が、自然と人間の共生関係から始まったことを示している。

農耕の起源
12000年前 ヤンガードリアス期
 後氷期初頭に寒さがぶり返した時期。
森林が後退し、森林と草原のはざまで農耕を始めた。
イラク北部のザグロス地方の麦作、長江流域の雲南・アッサム地方の米作など。

6000年前
 ヒプシサーマル期(高温期)が終わり気温が低下した時期。
気候の乾燥化により、農業と牧畜を大河流域のオアシス地帯に引き寄せた。
人と物質の集中は、通商の拠点となり、鍛冶・建築・陶器などの二次産業
を生み出す。

5000年前 四大文明などが前後して成立。

森林の消失→その跡地に放牧→草の生育が悪くなり開墾→
その結果、穀物も育たない荒廃した大地となる。
洪水を多発させ農地を襲い、運ばれてくる土砂により灌漑溝の維持も困難になる。
これらの古代文明は、500年位で衰退。

自然との共存から一方的な収奪へと変わった。

ミノア文明→ミケーネ文明


12000年前、
湿潤地帯のアジアとヨーロッパは森林後退が起こらず森林文化が続いた。

小さな集落を単位とする分散的なものであり続けた。
自然を大きく改変せず、自然の生産力の範囲の中で必要な分だけ利用する生活を維持。
再配分 特定の人への富の集中を回避する。

自然信仰に支えられた文化のもとで、
多様な食料を調理したり、貯蔵するための土器を古くから開発し、
狩猟や食物採取のための様々な技術や生活用具を発達させ、
一万年以上、自然との共存を維持してきた。

それが人間の生活として次元の低いものだったのではなく、
農耕文化と対照される一つの文化だったと認められるようになったのは近年のことである。

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 1月11日の拍手レス 

今日は、拍手を頂きありがとうございました!
#1 世界の食糧問題 大豆のwikiを見てきたら、いろいろ面白かったです。
世界の5大健康食品に「日本の大豆」が挙げられているのに、自給率5%は良くない。
今度纏めてみたいです、良い機会を下さり、ありがとうございました!

#316 日めくり万葉集 おおっ、この歌は人気なんですねえ。
現在でも誘う時に使えそうな気がします。誘われた方も思わず行こうかなとつられそうな歌です。
 
#2 コズミック・ダイアリー 
10万4000年単位の暦とか、私たちに関係あるの?とつい思ってしまいます。
この暦を作った人たちは、何を見ていたのでしょうか。

#5 高校講座地理 印象に残ったところだけを書いていますね。
今後あげる予定の次とかその次とかすごくこまごまと書いています。もっと短くしよう。
ハンモックが欲しいけれどつるすところがないです。


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 古代アンデス グルメ紀行 

世界ふしぎ発見! 
アンデス生まれの野菜
とうもろこし、ジャガイモ、トマト、かぼちゃ、ピーナツ、唐辛子など
世界で食べられている食物の20%はアンデス原産

ペルーの多様な環境
海岸地帯、砂漠地帯、アンデス地帯、ジャングル地帯。
それぞれに独特な作物、食文化が作られた。

ペルー料理 じゃがいもが基本。

ジャガイモなしではインカを語ることができない。
ジャガイモは、ビタミン、炭水化物など、栄養バランスが良い。

ジャガイモの故郷は高地4000mのチチカカ湖周辺だと言われている。
プーノ チチカカ湖ほとりの村 400種類ものジャガイモを作っている。
                 調理方法により使い分けている。


チチカカ湖には、トトラという草を積み上げて作った浮島が大小30位ある。
家の建材からかまどの燃料まですべてトトラでまかなっている。

インカに秘められた農業科学
ピサック遺跡(クスコ近郊) 段々畑
3300mはトウモロコシの生育の限界
など、作物の特性に合わせて使い分けていた
神殿だけではなく、段々畑にも石垣を使っている。石は太陽の熱を放出し、冷害を防ぐ
このような高地では冷害や大雨など、自然環境の大きな変化が度々ある。
段々畑で仕切っておけば、その部分だけの被害で済む場合もある。
他にも病気などの危険を分散させる効果がある。

ティポン遺跡 今も水が流れ続けている。
水を高い所から落とし、空気を含ませる。
一方で水流が土を削らないように水路を上げて水の勢いを落とす
水路は、藻の栄養も水と一緒に運ばれるように工夫している。

インカの山岳地帯の環境は厳しかったが、太陽と水と知恵で農業を可能にした。
自然を壊さずに上手に利用した。

モライ遺跡 標高差を付けた農業試験場
どうすれば収穫量が増やせるか、気温によってどのように作物が育つのか。

これによって、ジャガイモの品種改良が進み、インカ全土に伝えられた

チャルカワイヤ 5000mでも十分に育つジャガイモの品種。

「どんな高さでどんな品種や土ならば育つのか、昔ながらの方法で作ってみると、
 現在よりも多くの収穫が得られることが分かり驚いた。
 昔からの言い伝えは知恵は、現代の私たちが知っている科学的な知識よりも
 優れていると考えています。」


人類は、一万年をかけて品種改良を続け、大きくておいしいジャガイモにした。
南米、スペインからヨーロッパ、世界中に広まった。
高地でも寒冷でもやせた土地でも育つジャガイモは、人々の飢えを何度も救った。


しかし、ヨーロッパに渡った当初は形が悪く、聖書にも載っていないと評判が悪かった。
ジャガイモは裁判にかけられ火あぶりの刑にあった。
ヨーロッパでは12~18世紀頃まで野菜や動物の裁判が行われていた。

首都リマ 国際ポテトセンター 1973年設立
世界中のジャガイモを集め、保存していく。
現在一万種を保存。
品種改良 187種の原種を保存。
種イモは小さくて苦い。4度で保存。
ジャガイモの種は-20度で100年保存できる。

2008年 国際イモ年 食糧危機が懸念される世界へジャガイモの重要性を発信。




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 1月10日の拍手レス 

今日は、七五三に拍手を頂き、ありがとうございました!
そのように考えないとつらくて生きていけなかったんだろうなと思いました。
死がいつもそばにあった時代。

またの拍手を、お待ちしております!


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 1月9日の拍手レス 

今日は、拍手をありがとうございます!!
ヘンリー8世と6人の王妃たち
追記は、超自分勉強でおそるおそるという感じですね(笑)。
拍手心強いです、ありがとうございます! 補足など、教えてくださればうれしいです。

神はπに何を隠したのか 頭がしびれるテレビ
何でそこまで追求するのかが分かって、凝った番組でした。
きっちり割り切れないのが世界の理、なのかな。わくわくしますね。

謎ジパング  常識を超えた不思議な話も大好きです!


最近、続き物の記事が連続しておりますが、まだしばらく続きます、すみません!
今後もいろんな分野を取り上げる気はありますので、また来てやってくださいねー☆

またの拍手を、お待ちしております☆

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 #4終 インカのすべて 

インカはミイラが治める国
ミイラ 
内臓を取り除き、皮膚に防腐剤を施してある。
ミイラを何度も連れ出して、儀式に参加させていた。
人は死んでもミイラとして生き続ける。
皇帝は生きていた時と同じように領土を治め続けた。
即位した次の皇帝は遠征して新たな土地を獲得するために大帝国になった。

イロ 
西海岸の町にミイラ。
wikiより
西海岸部の砂漠地帯を領土に取り込んだ際、現地にあったミイラ信仰を取り込んだ
歴代の皇帝はこれを人心掌握や権威の保持など、政治的に利用した。
歴代皇帝は死後ミイラにされて権威が保たれ、
皇帝に仕えていた者達はミイラを生前と同じように世話をすることで領土や財産を保持。

代を重ねるにつれ死者皇帝が現皇帝の権威を凌ぐようになり
必然的に各々のミイラに仕える者達の権力も増大
12代目の皇帝が、それまでの全ての皇帝のミイラの埋葬と、
それに仕える者達の所領や財産の没収を企て、それが内乱へと発展。

その混乱の最中にスペインの侵攻があり滅亡した。

ミイラ信仰は今でも残っている
先祖のどくろを玄関先に飾っていたりする。
死んでも共にいる。
ミイラは自然界の神々と人を繋ぐ重要な存在。
ミイラを崇拝することで生と死は継続し、永遠に繁栄することを信じた。

1532年 スペインが200人足らずでインカ帝国を滅ぼす。

スペイン人にはインカの風習は野蛮に見えた。
リマを拠点に、人々からインカの風習を消そうとした。
リマ大聖堂
 フランシスコピサロの遺骨

主立った都市をことごとく破壊、全ての黄金を略奪。
黄金細工は溶かされ、スペインに送られた。

スペインの大聖堂には、奪った金を使った夥しい金の装飾がある

心のよりどころを失ったインカの民
砦の跡 40年もの間、インカの民が立てこもって抵抗した。

チョケキラオ遺跡など、クスコの奥地にはいくつもの空中都市がある。

トパック・アマル インカ最後の皇帝
1572年 奥地で抵抗を続けていたが、処刑された。

インカの家来たちがマチュピチュのことを語っているようなスペイン側の記録があるが、
スペインはマチュピチュを見つけることはできなかった。

太陽の祭り スペインに禁止されていたインカの祭り。
心に眠っていた記憶がよみがえる。国が滅んでも、魂は消えない。

感想

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 #3 インカのすべて 

マチュピチュ 世界遺産 空中都市
標高2500mの断崖の上に合った廃墟。
ワイナピチュ(若い峰)とマチュピチュ(老いた峰) 
2つの山を結ぶ、尾根の馬の鞍のようになった部分。谷底との高低差は500m以上。

宮廷とその下の居住区域 日当たりのよい斜面に段々畑が広がる。
高みには多くの神殿
 窓の位置や向きが太陽の動きを観測するかのようになっている。
太陽はインカの最高の神。マチュピチュは太陽に最も近づける場所。

石壁は500年たった今でもびくともしない。聖なる場所の証。

石切り場 遺跡の中心部にある。堅い石で根気よく切り出した。  

山の民の石へのこだわり
アンデスでは、高い山の頂や、峠の道などに不思議な石の塚を見かける。
アパチータ 人々はふもとから運んできた石を山の神に備え力を授かる。
インカの風習は今も受けつがれる。
↑「図説 超古代の謎」によると、彼らの創造世界では精霊がいっぱい住んでいる。
 特にさびしい山道を行く時は、油断していると精霊に驚かされたりする。
 そこで贈り物として形の良い石をぴかぴかにして袋に入れておき道端に供える。
 (纏めました)

葬儀の石 生け贄のリャマの血を捧げた場所とされる石。
インカでは時にけがれの無い子供をいけにえに捧げ、神に願い事をした。
その儀式の場でも巨大な石が建てられた。

インカの人々は、山々を神聖なものとしてあがめてきた。
聖なる石 背後の山そっくりに削られている。
石には山の神が宿ると信じられている。

太陽の神殿
 マチュピチュの頂上
インカ文明は農耕が基本。暦による農耕の時期の見極めが重要だった。
インカの暦では、5月が収穫、6月が冬至、そして8月が種まきとされる

太陽の神殿には北東と南東に窓があり、
北東の窓に錘をぶら下げてその影を観測することにより、夏至と冬至を見極めていたという。

インティワタナ 太陽を繋ぐ石。太陽の神殿の頂上にある。

2010年 広場で何かの意図を持って配列された石と、傍らに土器が発掘された。
マチュピチュにはない、他の土地の石。

神殿の畑など耕作地で栽培された農作物は神への供物として栽培されていたか、
神が人間に下賜されたものとして人々に食べられたか、
いずれにしても宗教儀礼的意味を色濃く反映していることから、
マチュピチュはインカの宗教都市だと言われている。(wiki)

月の神殿 (wiki)
多くの遺跡には太陽神殿と月の神殿が対で祭られている
マチュ・ピチュの太陽神殿に対しては、ワイナ・ピチュの裏手の洞窟に作られている。

おまけ
マチュピチュ 世界ふしぎ発見!の纏めです。

感想
番組では「びくともしない」と言っていましたが、崩れかけているところもあるそうです。
たくさんの人が訪れてますからね~。まだ20年は大丈夫らしいけど。
これを聞いて、行くか、遠慮するか、人によって違うところなのかな。

今後マチュピチュについて分かったことがあれば書き加えます。



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 1月8日の拍手レス 

今日は、拍手を下さりありがとうございます!
伝える極意 一分間スピーチ おお、2回目ですね、意外に人気、なのかな?
#29 マガジン感想2011 
最近南海さん出てこないですねー。ドラクエ123は、たまにやっています♪
#3 上野動物園(動物・後編) 
パンダの報道の過熱ぶりに疑問を持っていました。タモリさんの言葉に同意しました。
#3 「24時間のふしぎ」 月と太陽のリズムを考える
人体についてここまで解明したのかすごいなあと感動しながら纏めました。

またの拍手を、お待ちしております!

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 1月6日の拍手レス2 

昨日は拍手を下さって、ありがとうございます!
#2 コズミックダイアリー 「生物」に分類したのは、暦は生命に深く関わると思ったからです。
左側にコズミックダイアリーのリンクがあるので、毎日の暦や誕生日の刻印が確認できます☆

またの拍手を、お待ちしております!


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 #2 インカのすべて 

ペルーとボリビアの5つの古代遺跡
1、聖地カラル=スーペ遺跡 四大文明と同じくらい古い。
5000年前の葦を編んだ縄 ピラミッドを作る時に使われた。
キープも出土 その頃にはすでに存在していた証拠。
ペリカンやコンドルの骨で作られた笛。
女性神官と推測される土偶。
無数の貝塚
 海産物が主要な食物。
釣り針、網、魚の骨。

人類は農耕から始まる・大きな川が近くにあるという世界史を書き換える事実。

人間が暮らすには厳しい高地にも、人々は見事に適応してきた。

現在世界中で知られる野菜の多くが、古代アンデスで初めて栽培に成功したもの
とうもろこし、ジャガイモ、トマト、かぼちゃ、ピーナツ、唐辛子など

今も物々交換が行われる市場
インカ帝国の主食はジャガイモ。
世界の4大文明が穀物に支えられたのに比べて独特。

2、チャビン遺跡 ペルー北部 標高3200mの山腹。
チャビン文化はアンデス全域 B.C.1000頃~B.C.200頃
ジャガーの像 石の柱。天と地を繋ぐ豊作の象徴。
地下に続く迷路のような神殿に、3000年前、すでに農作物を栽培していたしるし。

アンデネス 段々畑。
 「アンデス」の由来。
上の段には寒さに強いジャガイモ、下にはとうもろこしなど。

アンデスの山々で古代から独自の農業を行われ、インカ帝国はそれを引き継いだ。

山岳地帯の農業の生命線は水
雪解け水の湧き出す場所を突き止め、灌漑水路を張り巡らせた。
乾いた荒れ地を、人々は緑に変えた。

3、ナスカ遺跡 地上絵 ペルー南海岸
ナスカ文化は西暦1年頃~600年頃
空からしか全体像を確認できない巨大な絵。絵の多くが一筆書き
雨がほとんど降らないのであまり変化がなく保たれていた。
その線の上を人々が歩き、豊作を祈ったと言われている。

4、ティワナク遺跡 チチカカ湖畔
ティワナク文化は西暦1年頃~900年頃
ピラミッドや神殿は、ハンマーのみで作った。
高度な石積み技術
はインカに受け継がれた。
 ↑図説 超古代の謎によると、
 ティワワナコの遺跡は想像を絶する太古の時代に遡る可能性がある。
 かつては海面の高さにあったことがほぼ確実。
 確かにナスカもティワナクも、西暦が適当に見えますね。
 ↑ティワナク 2700年間続いたと言う。

5、チャンチャン遺跡 チムー王国の都。最盛期10万人。
チムー王国はペルー北海岸 1000年頃~1476年頃)
王宮は王が変わるごとに作られた。
都市に9つの区画があり、それぞれが独立した町。
高い壁は日干し煉瓦。
黄金の王国
 金や銀。
高温で練った金属を叩き、限りなく薄い板状にする。のみで打ち出すと模様が浮かび上がる。
キチェ文化、シアン文化などの技術を受け継いだ。

15世紀、最大であったチムー王国を滅ぼし、インカは大帝国になった。
金細工の職人たちは都のクスコに集められ、伝統の技は大輪の花を咲かせた。

アンデスで育まれた様々な文化を、インカはすべて飲み込んだ。
これが50年で大帝国が誕生した秘密。

収穫された農作物は税として備蓄庫に徴収され、惜しみも無く民に放出されたことも、
人心をつかんだ理由の一つ
(wiki)。

鉄、車輪、文字を持たず発展したインカ文明は、私たちの想像力をかきたてる。


おまけ
ティワナク1 高度な文明国家という印象を受ける。
ティワナク2 独自の信仰を持った宗教国家と言う印象を受ける。
チャビン   宗教都市だったんだね。




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 #1 インカのすべて 

THE 世界遺産
インカ帝国 50年でアンデス一帯を征服 最盛期は15世紀。
チチカカ湖 ボリビア 標高3800m
「世界の始まりの地」の神話
太陽の子としてインカ(王)が生まれた。
太陽の神はインカに黄金の杖を与えた。
「杖が沈む大地に神殿を作れ」
そこがインカ帝国の都のクスコ。

都 クスコ ケチュア語で「へそ」を意味する。
聖獣ピューマの形を模した計画都市とも言われている。
ピューマの頭の部分は、クスコを一望できるサクサイワマン遺跡である。

40000kmの街道 広大な領土を纏める要。
海岸地帯を標高3000mの山々の遺跡を結び、人・もの・文化を運び続けた。
インカ道 チャスキ(飛脚)が活躍。
キープ  縄を束ねたもの。縄の文書。
      色や結び目の数や形
で人口や家畜の数・物語や詩を表すことができた。

石積みの壁  形の違う石を積み上げた優れた技術を伝えている。
          スペインに破壊され、残っている石壁はほんの一部。
   
インカの太陽神殿 金で埋め尽くされていた。
金は地上にこぼれた神の涙 その輝きに神の存在を見ていた。

サントドミンゴ教会 スペインがインカの太陽神殿を破壊して、その上に作った。
              金は略奪し、スペインに送った。

海と山が隣り合う環境
ペルー沖 世界でも有数の漁場 沿岸を寒流が流れる。
内陸は砂漠で山が迫る。

「山の国が衰えると海の国が栄える。」




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 1月6日の拍手レス 

今日は、拍手を頂き、ありがとうございました!
#1 世界の食糧問題 ありがとうございます! これからも一緒に考えていきましょう!
クロスレビューにあげた「日本の食は安すぎる」を纏めている途中です。
今月中にあげたいです。

#316 万葉集 女性の立場になって読む歌が面白いですね。
男性の立場の返歌の方も湯原王が作っていたのなら面白い、一人上手(笑)

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 #3 上野動物園(動物・後編) 

こども動物園
日本古来の馬 凄く貴重。
日本に元々野生の馬として生息していた。
呼んだら来た! 賢い。 「心なしか『和顔』をしてますね」 上品でかわいい。
トカラ馬
木曽馬
 鹿毛(かげ)。武士が乗っていた。
野間馬 愛媛。この世に78頭しかいない。
今治でミカンを下ろしたり、施肥をする時などに使っていた。

高さ1m。サラブレットは1m60cm位。
競走用に品種改良されたサラブレットとは大きさが全然違う。
「あんな小さな馬に武士が乗っていたんですか。低い」
「時代劇の馬はサラブレットを使っているから嘘。」
「今は流鏑馬をサラブレットでやるから危ないらしいんですよね。」
江戸時代の絵を見ても、日本古来の馬は小さかったことが分かる。
戦争に勝つ強い軍馬を作るため、外国産の大きな馬を輸入して増やし、
日本の馬は減少の一途を辿る。

日本に元々いた在来種は50種類くらいだったが、現在は8種類しかいない。
中国のパンダは1600頭位。それより少ない。
テレビは日本在来種の特集を組まない。パンダより貴重な馬には見向きもしない。

日本古来の馬を守る地道な努力が、現代の動物園で静かに続けられている。
上野こども動物園では、生きた文化財と触れ合うことができる。

「生きている文化財を多くの人に見てもらいたい」
「日本人が作ったものを絶やさないようにしようということもやっている」

他にも日本在来種を育てている。
トカラヤギ 鹿児島県原産の小さなヤギ。
アグー   沖縄県原産の豚。
口之島牛  鹿児島県トカラ列島原産 100頭もいない。
      平安時代の牛車を引く牛にそっくり。
尾長鳥   高知県産。日本の特別天然記念物。


アフリカ出身のサンコン氏は、上野動物園で初めてライオンを見て感激したと言う。
動物園の役割は大きい。



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 #2 上野動物園(動物・後編) 

上野動物園 500種類、3000頭。世界有数。
タモリ 「パンダは個人的に来りゃいいじゃん」

アジアゾウ 大きなやさしい目。雌にも目立たないが牙がある。
鼻でしっかりバナナをつかんで、皮のまま食べる。
ピーナツ一粒でも上手に食べる。
耳に血管が通っていて、耳で冷やした血液を体に戻す。耳が放熱器の役割。
前に雄と一緒にした時に、耳をつつかれて穴が開いてしまった。
耳はもう大丈夫だが、ゾウの相性は難しいらしい。

日本初のサル山 房総半島の愛宕山というサル山に似せている。
昭和6年、鉄骨にコンクリートを手作業で塗って作った、左官職人の技の結晶。

ニホンツキノワグマ 日本初の人工冬眠に成功。今年、冬眠中に子供を産んだ。
冬眠準備室

-5度にできる。たくさん食べさせた後、ここで寒さを感じた熊は隣の冬眠室に移動。
園長は冬になると眠そうな熊たちを見て、いつか冬眠させてあげたいと思っていた。


園内の高低差
最初は国立博物館の付属で、動物園は一番悪い谷底を与えられた。
最初は1haだけだった。現在は14ha。17回作り足した。

130年の歴史
藤堂高虎と藤堂家歴代の墓所がある。
 長い石塀。普段は入れない。
動物園が増築を繰り返すうちに、墓所を取り囲むような形になった。
江戸時代の大名の墓の中で一番保存状態が良い。

最初の園内の様子が分かる、貴重な資料が残っている。
さる、きつね、たぬき、ねこ、とび、たか、やまどり、ぞう、とら、ひょう、などなど。
うをのぞき 日本最初の水族館。おおさんしょううお、金魚など。


飼育員さんの舞台裏
仕事が終わったら必ずお風呂
に入らなければならない。
病原菌を家に持って帰らないように。

動物脱出対応用具倉庫 長ーい網などが入っている。

昭和11年の三大事件 黒豹脱出事件。2・2・6事件。安倍定事件。
黒豹脱出事件
警察・憲兵隊・民間の鉄砲隊が出動する大事件。最後は園内のマンホールで捕まえた。



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 #1 上野動物園(動物・後編) 

ブラタモリ
前篇のおさらい。
江戸時代、生活に余裕が出て、すでにたくさんの種類の犬が輸入されていた。
江戸中期、中野に10万匹の野良犬を収容する施設。深刻な問題となっていた。
犬が水を飲んだ井戸の痕跡。
ある公園ではゾウがやってきた。

浅草 ちんや 
明治時代からすき焼き屋になったが、それまでは中国の狆(犬の一種)を商っていた
御旗本さんや御大尽さん、お金持ちや遊女にも狆を納めていた。

江戸時代の動物画 豹、ラクダ、山嵐、ヒクイドリ、オラウータンなど。

江戸時代、将軍や大名は身分的優位を示すために珍しい動物を海外の商人から欲しがった。
飼い主が死んだ後、売りに出されたり、それを見世物小屋が買い取ったりして、
庶民の目に触れるようになった。ゾウやラクダが人気。

ラクダの夫婦の、仲睦まじい様子にあやかりたいという客が押し寄せた記録がある。

花鳥茶屋 歌川豊国画
お茶を飲みながら鳥を眺められる遊び場。現代の掛川花鳥園?

動物園誕生の道
明治5年 湯島で日本初の博覧会。
当時のカタログが残っている。
人骨・ミイラ・アシカの剥製・サナダムシなど…。
生き物から標本まで雑多に展示されていた。

博覧会が常設の博物館に


人気だった生きた動物が大きく発展し、独立



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