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 世界地理・文化の記事一覧 

 #7終 ナバテア王国 

英雄たちの選択
ローマ帝国×驚異の砂漠都市・幻の王国のサバイバル戦略 より

106年 ナバテア王国の滅亡
ローマ帝国を史上最大の版図に広げた野心家、
皇帝トラヤヌスの軍隊がペトラに侵攻し、
ナバテア王国はついにローマに併合された。
しかしそのときの詳しい記録は未だ見つかっていない。

ペトラの最も奥にナバタイ人が独自の神を祭っていた遺跡がある。
ここでは山と太陽の神ドゥシャラが祭られてきたが、
キリスト教の祈りを捧げる場となり、「修道院」と呼ばれるようになった。
独自の宗教は奪われ、キリスト教の拠点都市となっていった。

ペトラは次第に廃れて忘れ去られていく。
なぜあれほどの繁栄を誇った都市が幻となってしまったのだろうか。

一つの原因は地震
ペトラは4・6・8世紀に巨大地震に襲われ、大きな打撃を受けた。

二つ目の原因は交易路の変化
そうしてペトラから人々は消え幻の都となったと研究者は伝えてきた。

だがそれを覆す発見があった。
ペトラから見つかった6世紀のパピルスから、
大地震に見舞われたあとのペトラの変化が見えてきた。

パピルスには農地の相続についての問題や、畑での農作業のことなど、
農業に関するたくさんのことが書かれていた。

町の周囲には麦やぶどうの畑が広がっていた。
今も麦畑・いちじく・オリーブの畑が広がっている。

ペトラの人々は町の中心部や教会などの周辺に住み続けていた

交易都市ペトラは農耕が営まれる土地へと変わっていった
砂漠を農地に変えたのは古代ナバタイ人が築いた水の技術
今も畑の水は当時の水路から送られている。
「名もなき泉だけど、この泉は我が家の財産だよ。」

雨期の前には水路の手入れを行い、雨の到来を待つ習慣が今も残る。

ペトラにはナバタイ人の言葉があちこちに残されており、
特に「サラーム」は、現在もアラビア語であいさつに使われる。
意味は「平和・平安」。

2000年前、大国のはざまを生き抜いたナバタイ人。
その文化や願いは、今もここに生き続けている。


現在、世界中で使われているアラビア語
アラビア文字ナバテア文字から派生した。

ナバテア王国は小さな国だったが、
その国の文字が現在世界中で使われているということは、
広い地域で交易していた証拠の一つ
になる。


小国が生き残るには
1、独自の商売の技術や方法を持っている。
2、一つの他国に入れ込みすぎず一緒に倒れない。
3、大国側の事情や落とし所を慮ることができる情報力。
4、寛容でいろんな多様性を取り込む。
5、無いものを取り入れ、必要に応じて取り出す。
6、手のひら返しを恥じない。
7、損得が分かっている人は賢く逃げる。



感想 出演者の方々が楽しそうに語り合っているのが良いと思います。



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 #6 ナバテア王国 

英雄たちの選択スペシャル 
ローマ帝国×驚異の砂漠都市・幻の王国のサバイバル戦略 より


ナバテアの危機と更なる繁栄
オクタウィアヌスは南アラビアへの遠征を決めた。
当時、南アラビアと地中海を結ぶ交易路は、
ナバテア王国が独占
していた。

ここで取り引きされていたのは、
乳香や没薬という木の樹脂を固めた特産の香料。
当時は流通量が少なく、金に匹敵する価値があり、
れき青と並ぶ重要交易品
だった。

乳香を南アラビアから仕入れ地中海の港まで運ぶ費用は、
ラクダ1頭で688デナリウスだったが、
売り値は倍近い1300デナリウスだった(1デナリウスは約1万円)。


ナバテア宰相シュライオス 
王に代わって実質的なリーダーシップを執った。
千人の兵でローマ軍が遠征の拠点としていたエジプトへ向かい、
一万のローマ軍に加わり、道案内
をした。

しかし、ローマ軍はアラビアが過酷な場所だと知らされず、
必要以上に長い距離を歩かされ、水が不足したため撤退
した。
ローマに従うふりをしたナバテアの勝利。


アラブではずる賢さも美徳
例えば値段を聞いたら高い値段を言われる
自分で適正値段を調べて主張しないとぼったくられる。
信頼すればそれでいいと責任を託してしまうことが一番危ういという考え方。

状況に対して非常に柔軟
相手によって値段が違うが、悪気はない。



ローマはなぜシュライオスを許したのか
大国としては統治ができない空白地が生まれることが一番怖い。
北のパルティアが南下してきていて、
ローマ軍もそんなに損をしていないので体制を守るためにそのままにした

「来た、見た、勝った」
共和制の議会で遠征できたことを報告できればそれでよかった
3分の2の目的は果たしているので、結構満足していたのではないか。
シュライオスもそういう事情を理解していたのではないか。


ナバテアの交易網は壮大な発展を遂げていく。
南アラビア・エジプト・ヨーロッパ・アフリカ・インド。
スイスの遺跡からナバテアのコイン
が見つかり、
スリランカではナバテアの土器が発見された。

中国の「漢書」に「リケン」の文字
ナバテア語でペトラのことを「ラケム」と呼ぶので、
一説にはペトラだと考えられている。

ペトラは東西交易の十字路として世界の先端文明を吸収し、
数々の巨大建築を誇る国際都市として、
その後も百年以上の間、最大の繁栄
を謳歌していく。



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 #5 ナバテア王国 

英雄たちの選択スペシャル 
ローマ帝国×驚異の砂漠都市・幻の王国のサバイバル戦略 より


紀元前44年 ユリウス・カエサル暗殺
ローマを揺るがす大事件に、ナバテア王マリクス1世は翻弄される。

まず東の大国パルティアが、
ローマの領土であったシリアから死海の近くまで一気に侵攻

パルティアは強力な騎馬軍団を擁し、
300年もの間ローマと激突を繰り返していた。

マリクス1世はやむを得ずパルティアについたが、
女王クレオパトラ率いるプトレマイオス朝エジプトが、
ナバテア王国の財源の、れき青が採れる死海周辺に狙いを定めてきた。

ローマとエジプトは協力し、ローマ軍がパルティアを押し戻し、
死海周辺をクレオパトラに与えた
マリクス1世は土地の使用権を訴え、
毎年銀200タラント(6トン)を納めることで辛くも取り戻した



紀元前31年 アクティウムの海戦
ローマはアントニウスとオクタウィアヌスが争い

地中海諸国はどちらにつくか決断を迫られた。

マリクス1世はアントニウス・クレオパトラ連合に援軍を送ることになったが、
海戦でオクタウィアヌスが勝利すると、
味方のクレオパトラ側の船を焼き討ちし、オクタウィアヌスに許しを求めた。
結果、死海周辺を取り戻すことに成功する。



小国の生きる道
1、バンドワゴン 強い国に賭ける。
2、勢力均衡策 同じ位の小国と同盟し、強い国に対抗。
3、中立策 意外に難しい。重武装、干渉されたら攻撃する。

歴史ではバンドワゴンが多い
しかし同盟国が崖に向かって進むこともあるかもしれない。
外交手段の多様性を忘れて、一緒につぶれてはいけない。


オクタウィアヌスは都合よくふるまうナバテアにいら立たなかったのか
オクタウィアヌスは世界の歴史上の政治家としてかなり優秀だったと思われる。
体制をどう作るかという観点を持っていた。
大国として余裕があり、恭順さを示すなら受け入れた

クレメンティア(寛容) 
ローマ帝国はたくさんの王国を含んでいる。
皇帝と王がいて、皇帝は王の中の王。
異質な王様たちを寛容に受け入れなければ巨大帝国は成り立たない。

年に何回かある正式なお祭りの時だけはローマの神様に頭を下げれば、
異教徒でも受け入れる。



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 #4 ナバテア王国 

英雄たちの選択スペシャル 
ローマ帝国×驚異の砂漠都市・幻の王国のサバイバル戦略 より

ライオンの口から水が噴き出す噴水
ゆとりのインフラ。

ペトラの高度な治水技術
水を供給できることは国家の正当性を見出しやすい。

モーセの泉
ペトラから6km離れた山の上の町にある。

ナバタイ人はこの小さな泉の水を、
起伏の激しい地形を越えたペトラまで引いていた

水路は砂岩で出来ているが、
砂岩は水がしみこみやすいので、モルタルでコーティングしている。

一時間半ほど岩場の水路をたどると2000年前の水道橋があった。

町に近づき渓谷が開けると10mも上の岩山に水路があった。
水路は山や谷の中を約4度の僅かな傾斜でずっと保たれていた。

地形をうまく読む、ナバテア人の知恵。

水道管の跡
よく見ると水路に何かが張り付いている。
場所によっては 水道管をいくつも連ねて水を通していた。

この地域の水は硬水だったため、石灰で水道管が結晶化し、
あれ位の太さの水道管だと2~3年に一度交換が必要だったのではないか


モーセの泉から岩山を縫うように十数km、ようやくペトラの町に辿りついた。


貯水槽
山頂のあちこちに開いた不思議な穴の下は壺のような形で、雨水の貯水槽。
岩の傾斜を利用しながら溝を掘ることで雨水がうまく集まる。


高官の邸宅とみられる遺跡の貯水槽
地下の岩の中に巨大な貯水槽が掘り抜かれていた。
深さ・幅共に3m、これが2つもあった。
邸宅には 水路が張り巡らされ、台所や水洗トイレなど、
水がふんだんに使われていた。

町には四角いブロックのような石を積んだダムもあった。

ペトラ全体では現在200を超える雨水の貯水施設が見つかっている。

砂漠の都ペトラは冬の短い雨期にしか雨が降らず、
年間降水量は150mmで、日本の十分の一以下。

僅かな水を残さず集める必要があった。


巨大な貯水槽の跡
ペトラでは一人当たり一日約600Lの水が供給されていたことが分かっている。
今の東京都民一人が家庭で使う量の約3倍。

もしローマの大軍がぺトラを囲み封鎖しても
ぺトラは水に困ることなく長期間耐え抜ける都だった。



戦争で攻める側は水の手を切ることが大事

ギリシャ時代
攻城戦の時、水源地に下剤になるクリスマスローズの茎の汁
を垂らした。

忍者
井妙散など、敵の井戸を毒で使えなくするための薬
がいっぱいある。

守る側は水源を隠す。



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 #3 ナバテア王国 

英雄たちの選択スペシャル 
ローマ帝国×驚異の砂漠都市・幻の王国のサバイバル戦略 より

紀元前1世紀頃
ローマは数百年の間に成長
し、古代オリエントに目を向け始めていた。
大将軍ポンペイウスは全権力を握ろうとしていた。

紀元前66年 ローマ軍が10万近い大軍でオリエントへの遠征を開始。

ナバテア王のアレタス3世
開明的でギリシャの進んだ文明を積極的に取り入れ、
地中海の貿易港ガザの周辺や交易の一大拠点ダマスカスに勢力を拡大。
さらにエルサレムを包囲するが、そこへローマの大軍が来た。

ローマ軍は戦わずにペトラに引き返し、そのままペトラに進軍した。
しかしローマ軍は、ペトラの要害、ナバテア王のゲリラ戦法、
乾燥地域の気候などが原因で占領できなかった。

岩と砂漠の要塞都市
ペトラはギリシャ語で岩
という意味。
アフリカから地中海までを貫く大地溝帯の上にある。

ナバテア王はローマとの争いの長期化を避け、
銀300タラント(約9トン)を送り、ローマと講和
した。

ローマ兵は海戦とゲリラ戦が苦手
当時の戦いは、まず司令官同士が戦いの前に、
日時を示し合わせて話し合いをし、決裂したら戦い
になった。

ローマは本気で攻めたらペトラを占領できたかもしれないが、
交易都市を壊してしまうと意味がない。だから和解した。



おまけ wikiにはこの講和の時点でローマの属国になったと書いています。
ローマ帝国の中のナバテア王国として自治していたようです。




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 #2 ナバテア王国 

英雄たちの選択スペシャル 
ローマ帝国×驚異の砂漠都市・幻の王国のサバイバル戦略 より

死海 ペトラから北へ約100km。

死海博物館にれき青の写真。
湖の底から浮かんでくる 不思議な物体。

れき青 石油由来の天然のアスファルト。
熱を加えると約80度で溶けてコーティングの材料になる。
日本でも縄文時代に矢じりの接着やコーティングに使った。

エジプトではミイラの腐敗を防ぐために塗られたり、
船の防水加工にも欠かせない材料だった。
「旧約聖書」のノアの箱舟にも使われたという。

ナバタイ人は希少で価値の極めて高いれき青を、
砂漠を越えて取り引きし、交易によって富を蓄えていった。


隊商都市
なるべく自由に物資を通過させなくてはならないが、
手頃な税金を取らないと町としてやっていけない。
その兼ね合いがうまくできれば繁栄する。
税金は、高級品には5~10割だったかもしれない。
小麦などにそんなことをしたら競争できなくなってしまう。

各地から多くの商人が集まると、行き届いたもてなしで迎え入れた。

2000年前の壁画 旅人をいやすため。
地中海の各産地ワインつぼ 舶来の一級品をふるまってもてなした。

位の高い人物の邸宅の遺跡
客間の床下が空洞になっている。
砂漠の夜は気温が零下になることもあるので、
薪を入れ、客を寒さから守った



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 #1 ナバテア王国 

英雄たちの選択スペシャル 
ローマ帝国×驚異の砂漠都市・幻の王国のサバイバル戦略 より

ナバテア王国
砂漠が国土の8割を占める国ヨルダン
かつて、ここに大国と渡り合った小国があった。

東西の文明が出会い、貴重な品々が行き交った十字路で、交易で繁栄
紀元前後、約300年間続いた。

西のエジプト・東の強力な騎馬軍団を擁したパルティアローマ帝国に囲まれ、
地中海の覇権を争う海戦に巻き込まれる。

ペトラ ナバテア王国の都。
行く手を遮るように現れる岩山の奥にある。

歴史書によると
ペトラで暮らしていた人々は砂漠の遊牧民だったという。
彼らは「ナバタイ人」と呼ばれ、王国を「ナバテア王国」と言った。

シーク(狭い谷) ペトラへ続く1200mの一本道。
両側の絶壁は高い所で80m。

古代都市の玄関口に、ヘレニズム様式の傑作の宝物殿がある。
外側の柱や彫刻など全て巨大な一つの岩をくりぬいて出来ている。
当時のトルコ周辺やペルシャなどの影響を受けている可能性があるという。

都市の内部に進むと、左右の岩に町を囲むようにがある。
古代メソポタミアから取り入れた階段状のモチーフが刻まれている。

4000人が収容できるローマ様式の劇場は、
座席に切れ目がないのがペトラの特徴。巨大な岩を掘りぬいて作られている。

町の中心部の本格的な発掘はこれからで、王宮もまだ分かっていないが、
ギリシャのパルテノン神殿のような大神殿があったこと、
大神殿の向かいに噴水があり、
巨大プールで人々が泳いでいたことが分かった。



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 クレオパトラが残した古代エジプト天文学 

コズミックフロント・NEXT

デンデラ神殿複合体

ハトホル神殿 主神殿。
天井に円形天体図があった。2m四方のレリーフ。
北の空が中心。十二星座や、古代エジプト特有の星座がある。

周極星 天の北極の近くにあり、地平線の下に沈まず円を描くように動く星。
永遠の象徴。


階段ピラミッド 最初のピラミッド。
王の死後、北の星になりたいという願いで建造されたと言う。


クフ王のピラミッド 高い精度で北を向いている。
歳差運動により星の位置は変わっていく。

当時の北の空の中心には星はなかったが、
コカブとミザールという二つの星が天空の中心近くを回っていることにに気がつき、
両者を結ぶ線が地平線に垂直になる時、真北
になることを利用した。


暦と時間は南の星から生まれた
再び天体図を見ると、 
南の空は中心の北の空を取り囲むように描かれ、
さらに南の星空の外側を取り囲むように36の神々
が描かれている。

シリウス 暦の始まり、一年の始まり。
古代エジプトでは、7月下旬に日没の直前に地平から姿を現した。
ナイル川が増水を始める雨季の始まり。
シリウスの出現を心待ちにするうちに、その周期が365日であることに気付く。
365日を一年と定めた。


セティ一世の墓
長方形の帯状の表 36分割した南の星空
が描かれている。
10日毎に地平線の近くに出現する星に神を設定、5日は祭礼のための特別な日。


時間 夜を12分割 
シリウスが地平線に出現する一年の始まりに、
暦にも使われた星の帯がいくつ見えるかを観察すると、
日没から日の出までに12の帯が見えたので、夜を12分割することにした。
一晩中、定期的に神に祈りをささげていた。

水時計 夏は間隔が短い。

昼の時間も夜に合わせて決めた 
夜と昼の時間が12ずつ 24時間の概念の起源。



クレオパトラの時代に日食が起きた
当時はローマ帝国の脅威があり、動揺を抑えるために天文図を作ったのではないか。
しかし、天体図を作った20年後に古代エジプトは滅亡。
3000年の歴史に幕を閉じた。



感想 
少し調べて見たらクレオパトラが作った天体図かははっきりしていないようですが、
古代エジプトが積み上げてきた知識を結集した感じはします。

たった一枚のレリーフだけど、とても正確なのでいろんな情報が詰まっている。
ギリシャ神話の十二星座もあるのが興味深い。

時間の概念は先に夜から始まったのが面白い。

番組の感想はゆったりしていて映像が豪華。
コズミックフロントはあまり見たことが無かったけれど、のんびり見る番組なのかな?
もっと簡潔に纏めれば30分で纏まりそうだと思いました。


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 エジプト大ピラミッド隠された王墓と財宝 

エジプト大ピラミッド隠された王墓と財宝 日本と古代ペルーの神々が解く7つの鍵
吉村さんが案内してくれました。

第1の鍵
ピラミッドは王の墓ではなく、石の箱は棺ではない

蓋が無い 始めから空で、なめらかではあるが装飾が無い。
ツタンカーメンの棺より一回り小さい。
太陽の船を発掘してその謎を解く。

第2の鍵
太陽の船の、ツヤの有る面がある木材。船室に使われていた。
ツヤツヤではあるが装飾はない。

大ピラミッドの王の間・壁・石の箱も、
つるつるに仕上げてあるが装飾も財宝もない。
神聖な場所は入念に清め、塵一つないようにするから、
これは、神様の居場所だからではないか。



第3の鍵
福岡県宗像神社
 天照大神の娘 三女神を祀る

沖ノ島 海の正倉院。
1650年程前、国を挙げての信仰が始まった。禊をしないと入れない。

8万点もの国宝 金の指輪・馬具など、三女神に捧げる為に集まった。
しかし、沖津宮は質素な造り。大ピラミッドの王の間のように。

耳石 
古代エジプトでも神様の声を聞くために耳木を作って埋葬品に入れた。


みあれ祭 特別に撮影が許された。
100隻を越える漁船団がご神体を守って出港。
雨に祟られたが本土についたころには雨は上がっていた。
天候により船の数は増減するが、祭りが中止になったことはない。

ご神体は光であり空気であり、形のあるものではない。
日本の神道も古代エジプトも共通。

2017年11月 大ピラミッドに新たな空間があると報道。

1987年 電磁波レーダー調査
女王の間の北側の壁の先に空間の存在を発見。
女王の間に繋がる通路がもう一本ある可能性。


吉村さんの話 
ピラミッドには空間がたくさんある。

耐震構造の為や、大事な神様が通る所とか。
ピラミッドはご神体であり、そこに神様の霊が祀られる。



大ピラミッドが墓ではないなら王の墓はどこにあるのか
大ピラミッドの西側に大臣や貴族のマスタバがあり、この下に王の墓がある。

秦の始皇帝のような地下帝国に近い。
ここにはないだろうと思わせる所にある。マスタバは王の墓のダミーではないか。


第4の鍵 古代ペルーのピラミッド
太陽信仰が盛ん。
首都リマを少し離れると砂漠が続く。
苛酷な方が文明が起きる。
自然との戦いから人間は一生懸命になる。

カラル遺跡 リマから北へ200km。砂漠の真ん中にある。
20のピラミッド。高さは大体20m。
日本の石垣のようにいろんな大きさの石を積み上げている。
植物も一緒に積んでいる 
い草を編んだ網 小さい石も有効活用。
石が貴重だった。
い草は約4600年前のもの。エジプトの大ピラミッドと同じ頃に造られていた。

カラル遺跡のピラミッドは神殿だった 
頂上は平ら。墓ではなく、頂上で神様に祈りを捧げていた。


円形遺跡 ピラミッドの正面。直径36m。
二重の円 太陽を象徴。
古代エジプトの太陽神も二重丸で表現される。



トゥクメ遺跡 カラル遺跡より北。
煉瓦を積み上げて作ったピラミッド 聖なる山の北側に26ある。すべて神殿。


第5の鍵 エジプトとペルーを繋ぐレリーフ
ワカ・ラス・バルサス神殿のレリーフ
二艘の船が一列になって進んでいる。鳥が乗っている。鳥は方角を決めるのに重要。

古代エジプトの壁画にも船に鳥が乗っている。
古代エジプトでは王が亡くなると魂バーは鳥の姿になり、太陽の船に乗った。

レリーフの前方の船の鳥はオールを持ち、後方の船の鳥はオールを持っていない。

古代エジプト貴族アメンエムハトの墓(約3500年前)の壁画
前方の第二の太陽の船が帆を張りオールで漕ぎ進み、後方の第一の船を牽引。
前が動力船で後ろの船に神様(王様の魂)が乗っている。

吉村さんの話
聖なる山とレリーフの位置関係 南西。
聖なる山からレリーフのある神殿は夏至の頃に太陽の沈む方角。

支配者の墓は未発見 神殿の南側を発掘する計画
がある。
吉村さんは神殿の手前の砂漠地域だと推測。
帰国後、推測が当たり南西地域に墓と思われるものが見つかった

ピラミッドに登る。見事な夕焼け。←これは信仰心が湧きそうだなあ。
生きとし生ける命は太陽が支えていると実感していた。


第6の鍵 シパン王と莫大な財宝
シパン王墓博物館 シパン王(約1350年前) 
約30年前にほぼ完全な形で発見
された。副葬品は財宝に満ち溢れていた。

金銀を使った王笏、黄金の腰当、銀の腰当など。
金が太陽、銀が月
 一日を表し、一年を表し、永遠を表している。

シパン王の胸飾り 細かいビーズを繋げ、太陽のような図柄。
それを被るシパン王自身が太陽だった。王は太陽と同じ存在になろうとした。

ワカ・ラハダ遺跡 ピラミッドのすぐそばにシパン王の墓がある。

シパン王の墓 保存されている。埋葬されていた様子を見ることができる。
足を切られた王の護衛役 逃げないように。
若い王妃 王が亡くなった時に殺された。

残酷ではない 
吉村さんは王妃や家臣たちが自ら一緒に墓に入った
と言う。
あの世でも一緒に暮らしたい、つまり現世が幸せだったということ。
↑そうかなあと思ってしまいます。「王にとっては」なら納得。なぜ足を切るのか。

王墓の周辺の墓
軍人の墓
 シパン王の軍隊の最高司令官。

軍隊のトップを守るための護衛とリャマの墓

シパン王は家臣たちと同じ地域に埋葬されていた。

ピラミッドの頂上では、シパン王が黄金の鎧を身に着け、
昼は太陽、夜は月や星に祈りをささげていた。

シパン王は聖地のピラミッドの傍に王と家臣の墓を作り永遠に暮らしたいと願った。



吉村さんの話
ピラミッドとシパン王墓の位置関係
ピラミッドの西側にお墓があるべきなのに東にある。


ピラミッドの西側を調査すると、もう一つピラミッドがあった。
中央のピラミッドのシパン王の墓の200年前、
西側のピラミッドはシパン王の二代前に造られた。

中央と西側のピラミッドの間では既に様々な儀式が行われていて、
王の墓を作れなかったのかもしれない。


シパン王の研究者の話
東は太陽が毎日登る所であり、そして永遠に繰り返す所。
東は命の始まる所という考え方から、東側につくったのではないか。

再生と復活を願うエジプト人と同じではないか。


クフ王のピラミッドの東側に、クフ王の母と妃と子供達の墓がある。
再生復活がエジプトのテーマ。太陽が昇ってくることが再生。

東に家族、西に大臣や貴族に囲まれて、クフ王は眠っているのではないか。



一番大事な祭りの日のために太陽の沈む方向にお墓を作る。
太陽が沈む方向に、太陽と共に逝く。



第7の鍵 宗像大社の西側の古墳
日本の古代の支配者も太陽の沈む方向にお墓
を作っていた。

新原・奴山古墳群 辺津宮の2km南西。
当時、海に突き出すような地形に造られていた。
宗像の君のお墓と、家臣たちのお墓が集まって埋葬されている。


西部墓地 クフ王の大ピラミッドの西側。
空き地がある ギザの三大ピラミッドを設計したヘムオンの墓のすぐ南。
ひょっとしたら三人の王の複合墓かもしれない。
最新の技術で測量中。


感想 
ここで終わるんかーい! 
吉村さん一方的にお久しぶりです。
アナウンサーさん、大ピラミッドの王の間に入れていいなあ~。
ペルーや宗像神社にも行けていいなあ。真面目で好感が持てました。お疲れ様です。

「大ピラミッドはご神体説」は良いと思います。
王様だけのためのものだったら作る気にならないのではないかなあ。
みんなのためのものなら頑張って作る気になると思います。

でも王の墓を見ると、やっぱり個人的な願いのために造ったのかなという気もします。
王様たち、寂しがり屋過ぎない?! そして自分勝手すぎない(苦笑)?!
それに神様の居場所が簡素なのに、自分の墓だけ絢爛豪華だなんて、
神様に清らかさを求めすぎじゃないですか(笑)?

>ご神体は光であり空気であり、形のあるものではない。
というのは日本人の自分なら納得するけど、本当に古代エジプトの人も同じなのかな?

超古代からの挑戦状! ①縄文ストーンサークル編
日本では皆で自分達のために楽しみも兼ねて造ったらしい(仮定)のですが、
エジプトやペルーではそういうわけではないのかもしれませんね。
でも使役されるだけでこんなにすごい建造物が作れるのかなあ。
古代エジプト大ピラミッドの新事実で少し納得しました。
なるほど、王は神と同じということだったのか。
災害にならないように、豊穣のために必死だったのですね。
これも自分や家族の為ということになるんだね。

日本の神道・ペルーの太陽信仰と比べてみるのも面白かったです。
大ピラミッドの石室の簡素さに説得力が出たし、
ペルーの王のお墓がエジプトのお墓のヒントになるかもしれないですね。
でも同じ位の時代でもあんなに距離が離れているのになんで共通点が多いんだろう。
うーん、世界のどこに住んでいても太陽の存在感は絶大だったってことかなあ。



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 古代エジプト大ピラミッドの新事実 

地球ドラマチック 古代エジプト大ピラミッドの新事実 ※ざっくり纏めました。

大ピラミッドは完成当時は全て石灰岩(化粧石)で覆われていた。
17万トンにも及ぶ石灰岩は10キロ離れた採石場
で調達され、
当時、最先端の土木技術で整備された運河を通って、
木造船でピラミッドのそばまで運ばれた


ピラミッドの数百メートル手前まで水路を作り、ナイル川から石灰岩を運んだ。

ナイル川がなければエジプト文明は成り立たなかった。

ナイロメーター 川の水位を測る。船の運搬・灌漑工事に役立った。
クフ王の時代、川の適度な氾濫は王が民に満足し、
次に豊作がやって来ることを意味した。


当時の人々は、クフ王がナイル川を操っていると信じており、
王を満足させるためにピラミッドや墓を作った

王はエジプトの大地やナイル川そのものであり、豊穣であるほど権力が増した。


メレルの日誌 2013年に発掘された最古のパピルス。 
メレルは石や銅を輸送する約40人の監督官だった。
労働者には組織系統があり、それぞれに明確な目標と責任があった。
40人の班が4つ集まると組になり、大ピラミッドでは組が集まって作業していた。

考古学者のムハンマド・アブデルメギドさんは、
古代の貨物船を当時の技法そのままに復元し、石灰岩の巨石を運ぶ実験を試みた。
メレルの航路より距離は短いが川を渡ることに成功
古代の船乗りたちは一度に70tの石を運び、
スフィンクスの正面辺りに下ろしたのではないか。


緩やかな800mの坂を、そりやレールのようなもので驚くほど早く運び上げる。
古代エジプト人は力と加速の関係を理解
していた。

ピラミッドに到着した石は、傾斜面にぴったり合うように三角法で計算して削った。
直角三角形の底辺と高さだけ測ればいい
と知っていた。
それでも三時間かかった。採石場で石を切り出すより長い時間がかかった。


高度なネットワーク社会
埠頭の跡 世界で最も古い人工の港
があった。

ワディ・アル・ジャルフの港 メレルの日誌が発見された。
ギザから200km離れていて、大ピラミッド建造のためだけに造られ、
大ピラミッドの完成後に閉鎖され、二度と使われなかった。
対岸のシナイ半島の鉱山で採掘した銅を紅海を渡って運んだ。
石は正確に計算して切り出していたので銅の工具が必要だった。



古代の巨大インフラ
40人が集まれる建物の跡
 四角い大きな建物。組の宿泊施設だったのだろうか。
さまざまなパンの焼き型 一つ7kgの型が何百もある。

巨大な水路と港は、輸送の仕組みを変え、
都市は洗練され、効率良く食料と労働力を確保できるようになった。


食料はデルタ地帯・木材はレバノン・石灰石はトゥーラ・花崗岩はアスワン・
銅はシナイ半島など、あらゆる材料が組織的に運搬された。


大ピラミッド建造はエジプト文明や周辺の地域を進化させ、
エジプト文明はその後も2000年以上繁栄した。



感想 大ピラミッド自体もすごいけれど、
ピラミッドを作り続けている状態がこの国の動力源だったのかな、
ピラミッド建造を中心に国が動いていたのかな。



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