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 縄文ZINE創刊号の感想 

縄文ZINE創刊号
家の片づけ中に発見。読み返したら面白かったです。
2015年夏か~。どこかの展覧会で頂きました。

編集後記ではかなり不安になっていらっしゃる。
面白かったですよ~!すぐに感想を送ればよかったなあ。

今も活動なさっているか調べてみたら、サイトがありました!
縄文ZINE
5月31日には「石棒フォトコンテスト開催」の記事がありました。
追跡!土偶を愛した弥生人たち
↑石棒についても書いてあるので、良かったらどうぞ♪


遅くなりましたが、創刊号の纏めと感想を書きます♪

表紙:読モならぬDOGUMO。

P2:縄文人が暇な時に考えていたことも現代とあまり変わらないかも。

P3:もくじ。

P4:登呂遺跡中の芹沢銈介美術館
縄文時代の作品は約30点。
土偶・壷・皿の写真
が良いです。色も質感もいいなあ。
形は簡素だけど模様が複雑。ごてごてしていなくて素敵です。
縄文晩期、東北地方の亀ヶ岡文化。雲形文様。

芹沢氏は物を通して作り手の痕跡、人を見ていたのではないか。
柳宗悦は物を通してさらにその向こうの神を見ている印象を受ける。

おまけ
登呂遺跡博物館は2010年にきれいになって、
300円で見応えがあっておすすめです♪

芹沢銈介美術館は420円。
ご自身が染色家としてたくさん作った作品と、
世界中の作品を収集したものが見られます。

近くにふじのくに地球環境史ミュージアム(300円)もあります。
こちらはまだ行ったことがないです。

P9:縄弱のための縄文時代質疑応答

P10:立話、最近の縄文人

P12:生き馬の目を抜け!どきおくん
「人生でこれだけ個人の道楽に付き合った感があったのは初めてです。」

P14:縄文の土鈴の「音」
縄文中期
に作られ、後期には作られない。
東京都の西部・山梨県・長野県が中心地。
3~5個の丸、7個のものもある。
小さい音。何千年も土に埋まっていた。

古墳時代に再び作られるが、縄文時代のものとは形状や作り方が違い、
金属製の鈴とほぼ同時期に作られ、鈴を模して作っているようだ。
つまり、縄文時代の土鈴のようなものは、鈴ではないかもしれない。
現在は土鈴と名付けられているが、鈴ではないかもしれない。

基本形が密閉型
↑わざわざ密閉型にしたのが作品に込めた思いの強さを感じます。

縦書きの「カサ、カラカラカラ……カサカサカラカラ」がすごいです。
字の大きさが違うのもすごいです。

子授かりのお守り・呪具ではないか
土偶型の土鈴 臍にあたる部分や下腹部に穴がある。

丸は子供の霊魂ではないか。

縄文時代の土器・土偶
自然にあるものを写実的に象ったものは非常に少ない。
同じ装飾を施してはいけない。全く同じものを作ることは禁忌。

写真に撮られるのを嫌がる考えと似ているのだろうか。
↑自分と同じ姿がもう一つ現れることで魂が抜けるという考え方かな?


P16:縄弱のための縄文時代質疑応答2
↑畳みかけてきた(笑)! 笑ってしまいました。

P17:どっちも土器、されど土器
縄文と弥生をはっきり分けるのは難しい。
↑そうですね、弥生が優勢になっても縄文文化の揺り戻しがあったりね。
一万年以上続いた縄文時代の土器が多様になっていく様子が面白かったです。

草創期は季節ごとに移住する半定住暮らし。
九州から東北までの地域で深鉢に粘土紐を貼りつけたり、
指やヘラで粘土を隆起させた帯状の文様
が作られた。
次に、爪・縄・植物の茎などを押し当てる連続模様が一般的になる。

早期は定住化が進み、地域性を帯び始める。
関東では、紐の撚り方を工夫した様々な縄文様。
効率のよい、縄を棒に巻き付けた道具を発明。


東北・甲信越・西日本では、木の棒に凹凸や文様を掘りこみ、
転がしてつける押型文が隆盛。


九州南部では、貝殻を押したり引いたりしてつけた貝殻文。
関東・東北でも縄文様が流行した後に取り入れる。


文様の技術を確立し、駆使する。
伝統を守ったり・応用を利かせたり・他の地域の特徴を取り入れたりした。


幾何学模様 渦巻き・菱形など。

さらにこれらの技法を組み合わせて立体的で複雑な土器を作る。

火焔土器
縄文中期、気温が今より2度ほど高く、人口が増え、
独立のために他の地域に負けない個性的な土器

が作られるようになったのではないか。
↑環状列石の話みたいだと思いました。結束を高めるため。
超古代からの挑戦状! ①縄文ストーンサークル編
良かったらどうぞ♪

もし共同体同士の軋轢を芸術に昇華させて競っていたのだとしたら、
命の貴重さを理解して、大切にしていた世界だったのだなあと思います。

個人的な考えですが、唯一無二なことよりも効率化を選んだ時と、
唯一無二のものをお金に変えることを受け入れた時が、
人類が大切なものを失った分岐点かもしれないと思いました。
そして、縄文時代には、まだそれがあったのかな、と思いました。

P20:縄文人おすすめの映画 
トゥルーグリット 時代を越えた星空の美しさ。
トンマッコルにようこそ 共通の味を共有したら仲間になる。
コーヒーをめぐる冒険 街との対話に通じる森との対話。
シェフ~三ツ星フードトラック始めました 弥生ではなく縄文を選んだ男。

P23 縄文3コマねこまんが
↑猫は遣唐使船に乗ってきたと言われていましたが、その後、
弥生時代のカラカミ遺跡(壱岐市)でイエネコのものとされる骨を発掘。
見つからないだけで、縄文時代にもいたかもしれないですね~。

P24 行ってみよう、縄文イベント 良い情報源ですね♪

P25 絵と文。 ←文章が読みづらいです。

P26 都会の縄文人
土偶と同じ姿勢をしたお嬢さん方。読モならぬDOGUMO。

P30 編集後記
「正直な所、読者にどう受け止められたのか不安で胸が苦しいです」
を読んで、感想を書こうと思いました。

真面目な部分とナンセンスな部分の配合が良かったです。
それと、すごく都会的なおしゃれなデザインで、
あまり縄文時代に興味がない人にも読まれやすくなっていると思いました。
無駄な部分が多いと思わせて、情報も詰まっていました。
私は自分なりに纏めたら手放す派なのですが、これはまだ持っています。

P31 フェリシモの広告
古墳グッズ。前方後円墳の醤油皿が一番欲しいです。

広告も縄文時代に絡めたりして面白かったです。
このような個性的な雑誌を応援する会社は面白そうだなと好感が持てます。


サイトも拝見いたしました! 特に面白かった所と感想も書きます!

縄文人立話 毎回漫才みたいで面白いです。
フリーペーパーと縄文人 数年間放置してすみませんでした! 

ダジャレと縄文時代 私もダジャレブログパーツを2つ付けています(笑)。

君の名は。と、シンゴジラと縄文時代
軽く「君の名は。」のネタバレをされたけど未だに見ていない方が悪い(笑)?
その系統のバンドにお詳しいですね(笑)。オチがついてすごいです。

名前と縄文時代

道具と縄文時代
機能性より、特別な・とっておきの模様の道具を作る。
お気に入りの道具だと気分が上がるということかな。

フォースの覚醒と縄文時代
「スターウォーズ フォースの覚醒」は弥生寄りな思考で作られている。
スターウォーズは、1~3はあまり面白くないけれど、
今回は4~6のいい所取りをして、
何もかも、慎重にスターウォーズの世界観を壊さないように作っている。
ファンのニーズを完全にマーケティングして、
人気の高かった部分を忠実に再現して確実にヒットさせた
のは、
田植えから稲刈りの過程と同じ。
予定通りに予定通りのことをやって確実に収穫。
やってみなければうまくいくかどうかわからない狩猟採取とは全く違う。

司馬遼太郎と縄文時代
司馬史観 
↑影響力が強いらしい。私は「竜馬がゆく」しか読んでいませんが、
始めにフィクションだと書いておけばいいのではないかな~。
「主人公を親友のように描く」オチが衝撃の事実で面白いです。

Perfumeと縄文時代
創刊号の三コマは面白かったです♪ 私もperfumeが大好きです♪
そうか、面白いものを見つけたらツイートすればいいのか。

人工知能と縄文時代
ホーキング博士の「人工知能の進化は人類の終焉を意味する」に対する、
「稲作の始まりは縄文の終焉を意味する」。
「本当に人類はうまく人工知能をコントロールできないのかな。
 稲作みたいにさ。」
↑地球は有限だと認識しその中で生き続けられる使い方が必要だと思います。


佐野さんとデザインと縄文人

「おれたち縄文人はさ、同じものを作らなかったんだ。
 同じ土器でも土偶でも。
 同じように見えてもまったく同じ装飾は作らないんだ。
 『オリジナル』『唯一無二のもの』ということを
 すげえ大切にしていたんだよ。」


↑今回一番ためになった情報です!!だからどんどん複雑になったのかな。

現代は人数が多くなったので、唯一無二のものを作り出すのは難しい。
影響を受けることは恥ずかしいことではなく、
そもそも物事は無垢な状態から生まれたりすることはない。
しっかり引用元を示すと良い。

↑なるほど「私もそれを良いと思った」という気持ちも十分に個性ですよね。


旅に出る理由と縄文人
人類は8万年移動していた歴史があるから、
定住し始めて1万年経ったとしても、簡単にそのDNAは体から抜けない。

旅に出たくなるのは当たり前。食欲のような、生理現象みたいなもの。
薄れている人もいるが、旅が好きな人は縄文人寄りなのかもしれない
↑『縄文の思想』という本に「離群の衝動」のことが書いてありました。
『縄文の思想』を読んだメモ ←良かったらどうぞ♪


おすすめの本も読んでみたいです。youtubeもそのうち見たいです。
Twitterをフォローさせていただきました! よろしくお願いします♪



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 追跡!土偶を愛した弥生人たち 

英雄たちの選択 
追跡!土偶を愛した弥生人たち~縄文と弥生をつなぐミステリー~

一万年以上続いた縄文時代は列島の歴史の基層・土台を作っている。
縄文時代と弥生時代は、
昭和時代と平成時代のようには、きっぱり分けることはできない。

九州の雀居遺跡から東北地方の土器が出土。
青森県の亀ヶ岡遺跡から出土した壷形土器の文様と非常に似ている。

雲形文
縄文時代晩期の、東北地方北部の文化を象徴。


雀居遺跡からは、
樹皮製漆容器(青森県八戸市・是川中居遺跡)によく似た物も出土

東北の縄文人が始まって間もない水田稲作の情報を収集するため、
自分たちの土器を持って九州へ来ていた
のではないか。

稲作は、西から東という方向だけで伝わったのではなかったかもしれない。


疑問
1、なぜ東北の縄文人は西で稲作が行われていると知ったのか。
2、交通手段 造船技術。


2万年以上の旧石器時代から遠距離移動はあった。情報も移動しただろう。

お米はおいしい 一度食べるとやめられない。

最近は鉄は稲より500年遅れて伝来したということが分かってきて、
鉄が無い弥生時代もあった。



是川縄文館(青森県八戸市)
合掌土偶 とても大きい土偶。
座産をしようとしている姿ではないか。
やせていて妊婦としては栄養状態が良くなさそう。
厳しい条件の中で妊娠して出産に挑もうとしている。
当時の精神的な支えに大事なものだった
のではないか。
土偶は縄文時代に欠かせない、
子孫繁栄の祈りを込めたもの
だったのではないか。

合掌土偶は屈折像土偶に分類され、
全体の土偶の中では5%位で、全国に100点以上あるが、
東北から滋賀、大阪に伝わっていったという仮説
が出てきた。


稲作が始まった西日本の遺跡 武器による殺傷痕のある人骨。


縄文人と弥生人の共生
田井中遺跡
(大阪府八尾市)
遺跡の中央には弥生集落の環濠集落や弥生式土器が出土し、
両脇は縄文集落と縄文土器が見つかった。
両者の集落から石棒が出土した。

近畿地方62遺跡では153本の石棒が出土。

紀元前600年頃の近畿は縄文時代と弥生時代の移行期で、
石棒が92本出土している。


北九州で新しい武器が普及し始めた時代に、
近畿地方では縄文の文化の象徴の石棒がこれまでになく尊重されていた。


大開遺跡(神戸市)
石棒が12本と、その祭祀跡が発掘された。
祭祀跡は熱を受け、バラバラに砕けた石棒と一緒に大量の土器。
縄文時代と同じ祭祀儀礼を行っていた
ことを示す証しとなった。

弥生時代になると、北九州では集落同士の激しい争いが起こったのに対し、
近畿地方の暮らしは、
弥生の文化が縄文の文化を力で覆い尽くすという通説とは異なっていた。

稲作が早く伝わった九州の玄界灘沿岸は平野が狭く、資源が少なかった。
近畿地方はそれよりも広く、
稲作の生活と森の生活が共存できる状態が長く続いたのではないか。

もう一つ、玄界灘沿岸では大陸の新しい技術や道具を手に入れれば、
一気に優位に立てるのに対し、
近畿地方は大陸から遠く、東からの影響を受けやすい地域だった。

大きな石棒を作る
 集落の象徴ではないか。 
自分の集落を誇る、緩やかな競合はあったのではないか。


弥生型の暮らしは、非常に前頭葉を使い、合理性を重視する。
直線や正円を多用。
人間は前頭葉を使うと疲れる。

縄文は弛緩・弥生は緊張
でも、弥生時代でも弛緩したい・緩みたい気持ちはあり、
転換期は弛緩と緊張がせめぎあっていたのではないか。


小銅鐸(大阪府茨木市・東奈良遺跡)と、
弥生時代の土器(石川県・八日市地方遺跡)。
どちらにも楕円の文様。
縄文時代の楕円を横に連ねた文様が、
弥生時代の土器や銅鐸へと引き継がれていた。


銅鐸は新しい祭祀の道具として大陸から伝わったものと言われているが、
東奈良遺跡から出土した銅鐸は、
東日本の縄文文化の要素を刻み込んでいた


日本最古とみられる銅鐸は内側がすり減っていた。
祭りや儀礼の時に鳴り響く鐘として、かなり長い期間用いられていた。



近畿地方の人々は最先端の金属を使って、
銅鐸という、音によって全体を調和し結びつけるものを作った。
土偶や石棒のような精神を引き継いでいる道具であり、
銅鐸に縄文の文様が入っているのは自然だと感じる。

弥生時代の最初の頃、近畿地方では文様がある土器が復活した。


弥生時代は地域色が多様で、
縄文時代に戻る集落もあれば、
九州のように国家に向けてまっしぐらに進む社会も、
東北のように縄文の大本山として残った所もあった。

考古学では、文化とは、
同じ形の道具を使い、同じような家に住み、
同じような暮らしをしている集団が残したものをもって、
弥生文化・縄文文化などと言うが、
むしろ、弥生時代とは、
日本列島を包み込むような一つの文化が無くなった時代だったのではないか。



祈る文化
日本列島は森林面積が3分の2を占め、
多様な動物や生態系に埋もれるように人間が生きてきた。
美に重きを置き、合理性や戦いに興味がない人たちの文化が長く続いた。

九州は、大陸の影響でそこから離れるのが早かった。
戦闘的な人たちにより文化が塗り替えられたり、揺り戻しがあったりした。

合理的な生活に疲れて、
もっと心安らかに、できれば美しいことを考えて過ごしたいと思う時、
私たちの中にも縄文人の血が眠っていると感じる。

一方向に向けて同じように進むのではなくて、
多様な考え方が出現し、徐々に未来に向かっていく。

完全に相手を塗りつぶす形で、
一方的に進化したとかいうものではないだろう。
融合したり、お互いに影響をたくさん受けたことだろう。

心のありようを読み解くのが考古学
自分とは違う時・空間を生きた人々、
目に見える物で、その背後にある人の心を読み解く努力をする
のが考古学。


感想
面白かった。石棒を拝む近畿の弥生人たち。
弥生時代の人たちも、その後のいつの時代の人たちも、現代の私たちも、
一度は「縄文時代の人はいいなあ」と思ったことがありそうだな。



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 ピラミッドも顔負け!?驚異のニッポン古墳 メモ 

ピラミッドも顔負け!?驚異のニッポン古墳 
世界ふしぎ発見!2019年11月9日放送

葉佐池古墳(愛媛県)
石室を公開している貴重な古墳。
長い間外の空気にふれる事がなかった。
遺体が石室の外に1週間以上置かれ、殯が行われていたことを証明した。

問題1 葬られた人数が分かる、石で作られたものは枕

五色塚古墳(神戸市)
兵庫県最大の前方後円墳で、全長は約194m。
完成当時の姿が分かる古墳。葺石と呼ばれる石が敷き詰められている。
瀬戸内海が見える。瀬戸内海からも見える。


楯築遺跡(岡山県)
弥生時代最大の墓。
現在も弥生時代の石が御神体として神社に祀られている。
死者を葬る儀式が行われ、前方後円墳の原型になったといわれている。

儀式は真ん中の丸い部分で行われ、両端には儀式に行くための道が造られていた。
偉い立場の人は一般の人から隔たっていき、
限られた人だけが葬儀に参加するようになり、
道がどんどん高くなって前が壁のようになり、
儀式を行う祭壇の場所として一つになり、前方後円墳の形になった
という。


今城塚古墳(高槻市)
二重の堀を含めた、全長350mの巨大な前方後円墳
堀の外には長さ50mにわたって約200体の様々な埴輪が並ぶ。
強大な権力を手にした大王の厳かな葬儀を再現している。

埴輪は古墳と共に日本各地に作られ、死者の副葬品として置かれていた。
実際に発見された埴輪の複製品を展示している、地元の人の憩いの場。
武人・力士・巫女など、様々な埴輪がある。
円筒埴輪は、古墳に入ってこられないように柵の役目もあった。

問題2 毛皮として利用され埴輪になった生きものはムササビ


チブサン古墳(熊本県) 装飾古墳。
古墳が円熟期を迎えていた頃、九州では独特な古墳が造られていた。
装飾古墳は日本各地に600基以上あり、九州はその半数を超える。

石棺などに装飾 眠る人を守るために描かれた文様といわれている。
壁画に使われている赤は血の色を表し、
再生復活や魔除けの意味
があるとされている。


王塚古墳(福岡県)
四方八方に色鮮やかな装飾。
6世紀中頃
に造られた王塚古墳の石室は、
装飾古墳の中で最も多くの色
が使われている。
壁には戦いで使うアイテムが多く描かれているため、
埋葬者は武人
と考えられている。
壁に描かれているスイジ貝は魔除けとして腕輪に使われていた。


古墳時代の終わり
文字や仏教が日本に伝わって、古墳を作る必要がなくなり、
約400年続いた古墳時代は終わった
とされている。


問題3 古墳から見つかった日用品は握りハサミ。
古代ヨーロッパ~中国~日本にたどり着いた。
今でも同じ形で使っているのは世界で日本だけだという。


おまけ
美鈴ハサミ株式会社
握りばさみは細かい作業に向いている。

Shisaku.com
日本最古のはさみ 7世紀頃に作られた握りはさみ(奈良県の珠城山古墳)。


感想
ハリー杉山さんの取材報告は聞き取りやすかったし、
楽しそうに興味を持って取り組んでいたのが良かったです。



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 どこから来た? 縄文人の真実 

にっぽん! 歴史鑑定

北海道礼文島 約3800年前の縄文人骨
顔は四角く、眉間は少し出っ張り、鼻は高め、上下の歯のかみ合わせが合っている。
耳垢は湿っている。身長は男性が約158cm、女性は約153cm。

氷河期が終わり、定住生活。
植物から糸を作り、衣類を作った。刺繍も行っていた。

三内丸山遺跡
茅葺の竪穴式住居 直径4m未満。6畳位。4~5人が住んでいた。
屋根が傾斜しており、雨は外に流れていく。
夏は涼しく、冬は火を焚いて暖かい。
真ん中に炉の跡。
板や植物を編んだ敷物を使っていたのではないか。
燻製を作っていた。土器や石皿も場所を決めて置いていた。
煙が木材を燻し、家の耐久性が増す。竪穴式住居の寿命は10~30年。

大型竪穴住居 長さ約32m、幅約10m。
300人位入れる。集落の中央辺りにある
ので、集会所や共同住居だったのではないか。

5~10家族(30~100人)ほどの集落だったのではないか。
けがや病気の人を助けながら、協力して生活していた。


縄文人の起源
長い間、縄文人の特徴は東南アジア系の種族に近い、つまり南方説が有力だと思われてきたが、
2017年、福島県の三貫地貝塚から出土した約3000年前の縄文人骨の奥歯のDNAは、
東南アジア系の種族とはかけ離れていた。

縄文人は東南アジア系の種族が進化したのではなく、
北方・東方・南方、複数の経路から来た種族が日本列島で交わり、独自に進化した、
アジアでも特異な人々だった。

縄文土器の変遷
無紋土器(青森県) 16000年前、日本最古。

定住を始めた縄文前期に、三内丸山遺跡などでバケツのような土器が多く作られ、
縄目の模様は100種類以上
あったが、模様の意味はまだ分からない。
縄目の模様を中心とした土器から粘土を張り付けた模様に変わった。
土器作りは主に女性。

生活が安定した中期に、新潟周辺の火焔型土器など、装飾過多な土器が出現。
模様は単なる装飾ではなく、縄文人の世界観・哲学・思想などを表現している。

それぞれの地域に、時代によって独特の様式の土器が発達した。

後期以降には日常用の簡素な土器・儀礼用の繊細な土器などを作り分けている。

製塩土器

縄文ハンバーグ


三内丸山遺跡の6本柱
登ると八甲田山や陸奥湾が見える。
当時はここから海岸線が一望でき、海からやってくる際には目印になったのではないか。

二支二分 一年という時間感覚があった。


1992年に三内丸山遺跡で見つかったヒスイの大珠は新潟県糸魚川産。
海や川は丸木舟。
北海道白滝産の黒曜石が青森県で見つかっている。
オノマトペを利用して、他の地域と情報も交換していた。


土偶
遮光器土偶も左足が欠けている。


一歳未満の子供の、手形・足形の陶板
穴があり、ひもを通してぶら下げていたのかもしれない。
生まれたお祝いか、それとも形見か。
どちらにしても子供を思う気持ちが強く感じられる。



感想 岡田康博さん・小林達雄さんが出演していました。気になったところだけメモしました。



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 『縄文の思想』を読んだメモ 

『縄文の思想』 瀬川拓郎さん 第四章のみ

自然との共存とは、低開発ではなく、
自然と結び付いていた世界観、他界観が現実の世界そのものであり、
自然自体が人々の生と死を結び付けるものであった。

狩猟する海民

卜部、亀卜、卜骨

平安京にも組み込まれた芸能などを担当した人々は縄文の伝統を持つ。

海民とアイヌは自らの社会を成立させるために不可欠な自由と自治のために、
縄文の思想を選んだ。


アイヌのいろんな場面で使う呪文の話 ←ラピュタを思い出しました。

贈与 アイヌ社会で最も社会的価値があった。
神と人も贈与で結ばれる。人間は生を与えてくれた者への負い目を抱く。
贈与こそが人間を肯定する唯一の手段であり、不断の贈与や生の肯定を生み出す。

平等と分配 
神からの贈与は魂
でもあり、商品化して売り払ったり独り占めすることはしない
商品経済は人間性を否定している?


喧噪の思想 話し合いは全員で同時に発言。
何日もかけて皆の知識と意見が出尽くせば自然に結論が出る。
強制や圧力とは無縁。



海賊的なアイヌ 弥生時代以降。
縄文時代は一つの大きな閉じた系だったので暴力とは無縁
だった。

中世アイヌは傭兵としても活動。

離群の衝動 体制からの離脱。国境など関係ない行動範囲。


感想 ひらがなが多いと読みにくい。今回は特に覚え書きで分かりにくくてすみません。
現代の考え方と違うことがいろいろあった。
話し合いの方法はストレスが少なそうだと思った。
自分の言いたいことを言いまくっていたら段々周りの声も耳に入って来て、
考えが変わっていくんだろうな。全員同じ場所で言うから陰口もないんだろうな。
現代社会は同調圧力が高くて、それが日本の特徴かと思っていたけれど違うのかもしれない。



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 #4終 縄文文化が日本人の未来を拓く まとめ 

縄文大和言葉
定住によってヒトになる

自然から抜け出て自分と自然を対象化する。
ものや自分に名前を付ける。共有の知識となる。

「人間は基本的文法をちゃんと先天的に持っていた」ノーム・チョムスキー


言葉は人間の共通した能力であり、どこの地域の人も持っている。
だから世界には5000以上の言語がある。


日本語も人間がヒトとしての意識を持った頃からあった。
弥生時代に海外からやって来たわけではない。


日本語は自然と共感共鳴した言葉 
自然の声を聞き、自然と話している。



多種多様な食料の利用 生育場所・旬・調理加工法・保存法。
しかし、自然を一方的に利用したのではなく、
名付けたあらゆる自然のものに人格を認め、耳を傾けることができた。


オノマトペは縄文の中から生まれた
擬音語 川がさらさら流れる・風がそよそよ吹く
擬声語 つくつくほうし(鳥や虫の声と人の言葉を重ねて表現)
擬態語 じっと見る



外国には無い表現は日本独特の感じ方
懐かしい・物悲しいなど。


一万年以上続いた自然との共生の体験の中で縄文世界観が醸成され、
日本人的心の基盤が形成されていった。
それは、文明先進国がどこも体験することのできなかった貴重な時間だった。


年間を通した行動指針
言葉があると、過去や未来、観念的な話
もできるようになる。
縄文文化の一万年以上の歴史は日本語の歴史であり、
弥生時代~古墳時代~古代へと続いていく。


文化が言葉を生み、言葉が文化を彩る。
縄文大和言葉は次の万葉言葉につながっていく。

万葉集の歌の根っこは深く、少し遡ると縄文時代に入る。

ただ、原日本語には文字が無かった。
古代に中国の漢字を採用し、音読みと訓読みに使い分け、
さらに漢字の意味を大和言葉に合わせたりした。
万葉仮名・ひらがな・カタカナを発明。



古事記は日本人の根源を追究した
律令制と都城制で国の体裁を整え、古事記で国の主体性を表明。
当代王朝の正当性を証明する六国史とは違う。

序文が象徴的。
「古を省みて今の時代を照らし、人の道に学ぶものである」


古事記発の漢字交じりの日本語は日本文化の形成を促し、
日本文化は日本語の基本を維持しながら当世風に蘇生を繰り返してきている



古今東西の詩歌は恋に重心があるが、
日本では中国の影響を受けながらも自然や四季の素晴らしさを大いに詠う。
古今和歌集は全20巻の三分の一の恋歌と並んで四季の歌も三分の一
を占める。

自然を詠う心は俳句にもつながる。
縄文文化・思想は現代にもつながっている。
縄文文化の末端に、私達も居る。




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 #3 縄文文化が日本人の未来を拓く まとめ 

文人の空間認識
イエ 人工    ウチとソトが境界。
ムラ 人工    ウチとソト
ハラ 自然+人工 ウチとソト 生活に必要な物を頂いてくる。
ヤマ 自然    コノ世とアノ世 
ソラ 他界

ヤマ 神奈備 三角錐の美しい形の山。


記念物の始まり 村の設計にヤマを取り込んだ。
二支二分が山頂にぴったり重なって見える地点に村や記念物を作った。


多摩丘陵    中期のムラが富士山を目指して一直線に並んでいた。
山梨県牛石遺跡 中期後半
三内丸山遺跡  中期後半
大湯環状列石  後期前半



記念物 1~3の複合形もある。
1、石
2、太い柱・長い柱
3、土を盛り上げて土手を築く


世界観の表現 目に見えないものを浮かび上がらせる。天文学とは別。


縄文中期 太陽運行を取り込んだ。

三内丸山遺跡の6本柱
二至二分の日の出日の入りが分かる日時計。
3本と3本の柱の間に、冬至の日に太陽が沈む。夏至の日は2列の柱の間から日が昇る。

6本柱は縄文尺(手首からひじまでの約35cm)の倍数。



縄文後期 村とは別に大きな記念物を作る。
(三内丸山は村に記念物を設置できるほど良い場所だったから1500年も続いた。)

大湯環状列石
共同墓地ではなく、夏至の頃に集まって仕事をして、
その後にお祭りをしたのではないか。
日常を排した聖なる空間ではないか。
円形劇場で仮面劇や成人式などを行ったのかもしれない。

各地のストーンサークル 個性的。我は我なり。
超古代からの挑戦状! ①縄文ストーンサークル編 よかったらこちらもどうぞ。


現代につながる記念物
相模国 
中期の大遺跡が多く、縄文文化が行き渡っていた。
富士山と大山を風景に取り入れている。大山の山頂に土器を運び上げた。

神奈川県神崎遺跡
弥生時代の環濠集落は通説の防御施設ではなく、むしろ記念物としての名残が強い。


勝坂有鹿谷祭祀遺跡(相模原市) 古墳時代。

前方後円墳・古代の寺院・五重塔・天守閣・東京タワーも、景観づくりとしての効果。


縄文人の心は神社につながっている 
神社は、現代でも、縄文ムラの隣や、縄文時代の重要な地点
に残っている。

寒川神社 二至二分の全ての日に太陽が神社の真上を通る。
夏至は丹沢の大山、春分・秋分は富士山、冬至は箱根の神山
に日が沈む。

神道・神社は仏教の伝来により形になった
教義の発達よりは八百万神と自然との交感を旨とし、土着思想の主体性を確立し、
仏教と共存した。



感想 
寒川神社(神奈川県)は意外に行きやすそうな場所にあるのですね、行ってみたいです。



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 #2 縄文文化が日本人の未来を拓く まとめ 

土器
世界では少なくとも3か所で独自に始まり、周辺に広がった。
メソポタミア(9000年前)
アマゾン川流域(7000年前)
東アジア(ロシア・中国)

縄文土器 約15000年前 世界最古。 
世界各地で石斧が発明されたように、
縄文人が世界で始めに土器を作ってもおかしくはない。


漆も中国から伝わったと考えられていたが、
2000年に北海道で世界最古の漆器(約9000年前)が見つかった。
日本列島は縄文時代から人口密度が高いので、ひらめく機会が多かったかもしれない。



西アジアの土器は食料などの貯蔵・食事の盛り付け用。
縄文土器は深鉢を主体とする煮炊き用。
一万年以上作られた。

波状口縁 縄文土器の共通の特徴は口縁部の突起。
沖縄や対馬にも広まったが、朝鮮半島ではあまり発掘されていない。
言葉・文化・価値観などが共有できなかったのだろう。

機能を捨てて世界観を表現
突起の数は3とか5、7や9のものもある。
煮炊きの跡があるが使いにくそうな形。


物の後ろにある縄文人の生き様を見つける
現代人とは違う論理に基づいている。矛盾していることを見つけたら相当核心に近い。


造形の歴史は無駄なものを削っていく引き算だが、縄文土器は足し算になっている。
これは文化的な意味が大きい。
見る人と世界観を共有するためにつくったのではないか。
装飾ではなく、物語が込められているのではないか。
神話や自分達の歴史かもしれない。



土偶 同時代の朝鮮半島やシベリア沿海州には無い。
元から壊されるべくして作られたのではないか。
そして、それぞれの部位を別の場所に持っていった。


1、創成期   掌に入る大きさ。
2、早期・前期 顔が無い。精霊を形にするために人型を避けたのではないか。
3、中期    顔表現を始める。
4、後期・晩期 人型に見えるが意図的にかけ離れた表現。精霊のようなもの?


超大型土偶 数は少ないが、完全に近い形を留めている。
並みの土偶とは違う特別な役割? 祀りに使われた?

人間離れした表現
人間の女性像ならもっと現実的に作る。精霊のようなものを表したのではないか



おまけ 縄文一万年の美と祈り



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 #1 縄文文化が日本人の未来を拓く まとめ 

縄文文化が日本人の未来を拓く 小林達雄さん
※纏めるために順番を大きく変えました。

人類は600万年の歴史があるが、旧石器時代まではあまり文化水準は変わらない。

人間の歴史で重要なのは、
第一段階の遊動的生活から、第二段階の定住的生活への変革。
しかし、農耕だけが定住を可能にしたのではない

縄文文化 
狩猟・採集・漁労の三本柱が定住で実現し、文化を高めた。


定住
食べ物を袋などに入れて持ち帰る。
体力のある者が食料を集め、老人や子供は家周辺にいる。
食べ物の情報が蓄積する。名をつけて覚える。

縄文文化で定住するようになってから文化が発展。

竪穴住居 技術と労力が詰まっている。

ムラ(村)とハラ(原)の共存関係 大陸の農耕文明はハラを征服しようとする。
ムラ 情報が集まり、文化が充実する生活地。
ハラ 活動を支えるエネルギーの供給源。


狩猟採集漁労生活 自然への適応を深めていった歴史。

旧石器時代 食料を貯蔵せず、移動生活。

縄文時代  食料の保存・加工技術を持ち、年間の食料事情を安定させ、定住。
早期(約11500~7000年前) 貝塚・海産資源。
前期(約 7000~5500年前) どんぐり類。
中期(約 5500~4500年前) あく抜きの技術、栃の実の食用。

可食植物の一部を栽培・管理・選択 しかし農耕ではない。 

イノシシの飼育 第一の道具が極まり、第二の道具が出現した中期以降。
第一の道具 生活に使う。
第二の道具 呪術・儀礼・祭祀に使う。


驚くほど多様な縄文の食料事情
何かの食料が少ない年も他の食料で補う。あらゆる食べられるものをありがたく頂く。
おいしい時期に食べる。



縄文カレンダー 年間計画を継続する。
多種多様な食物の利用は、それだけ多種多様な労働作業が行われていた。
相当計画的だっただろう。土器をつくる時期なども決まっていた。
食糧貯蔵や加工は未来のための作業。
縄文人たちはその日暮らしではなかった。



農耕が無くても豊かに暮らせた
つい最近まで、
人間は農耕や牧畜により食が安定し、労働が軽減し、余暇が生まれたと思い込んできた。

しかし、アフリカやオーストラリアなどの各地の狩猟採集民の研究の結果、
狩猟採集民の多くは、一部の極北や砂漠地帯以外は豊かな食物があり、
栄養バランスはむしろ農耕民より安定
していることが分かった。

狩猟採集生活は常に飢餓状態だったと言う考えは、
農耕社会が常に狩猟採集生活より優れているという思い込み

農耕民となった結果、異常気象や、不作や豊作の周期などによって、
現代においても世界人口の三分の一が飢えている。


労働時間も、狩猟採集民は一日2~3時間の労働に対し、
農耕民は4~5時間以上働き、しかも人手も要る。

狩猟採集民は特に男性が時間を持て余していることが多い。


おまけ 纏めきれなかった人口について思い出しました。
自然の中で生きていた縄文人達の乳児は母乳を3歳位まで飲んでいたので、
女性は人生で4回位出産し、成人したのは1人か2人位だったのではないか
と書いてあったと思います。
寿命は、昔の研究では20~30歳だったが、全体的にもう少し長生きしたのではないか、
かなり長生きした人も居たようだ
と書いてありました。



感想 サピエンス全史の「人類は小麦の奴隷になった」話を思い出しました。
寒冷化で自然の恵みが減ったので仕方なく農耕に移行したという事情もあるようですが、
結果的に現代はそんな状態になっていると感じます。

なるほどと思ったご意見
1、人間の社会性と単体での幸せは全く相関ないどころか、
具体的に小麦の奴隷にされたことで幸福度が下がった
話、皮肉っててめっちゃ好き

2、http://www.panyako.com/entry/Wheat-slave
人類は小麦と出会う前には戻れないから、小麦の奴隷ということに気付いたときに、
無理のない人口を維持すること
必要最低限の設備を完璧に整えること

この2つに尽力すれば、また気楽な生活を送れたんだ。
みんな何かに支配されていて、それを得るために日々ジタバタ頑張っている
でもその支配からの脱却を考えるよりも、
それと上手に付き合うことを意識して生きた方がいい
なって思った。


幸福度を上げるために考えてみました
2のご意見をとてもいいと思ったけれど、物足りないと思う人も居るだろうな。
それに、全て同意というわけではありません。ちょっと違うと思う所もあります。
人はそれぞれの考え方があるから、一つの型にはめると不満を感じるのだと思います。

そこで、どのような環境で生きるかを選ぶことができたらいいと考えました。
最先端の文明都市に住みたい人はそれを維持するための生活(現代社会のような)をして、
忙しくても充実感を得ればいいと思います。
文明が無いと生きるのが難しい人や未来のために研究したい人もそこに居ればいいと思います。
一方で、例え電気が無くてもいい、お金を稼ぐ仕事に興味が持てない人も居ると思います。
毎日移りゆく自然の様子を感じる方が充実感を感じる人も。

国民の三大義務に勤労・納税(あと一つは教育)がありますが、
文明の利用量によって額を変えて、文明を使わない生活も選ぶことができたらいいと思います。
文明を使わない程度はいろいろな段階があり、暮らしてみたい場所に暮らせるようにしたら、
過疎化問題やエネルギー使いすぎ問題が緩和されると思います。
国際貢献は、国民の幸せも保障しながらできることを行っていけばいいと思います。
例えば休耕田でお米を作って余った分を送るなど、今あるものを活かせたらいいと思います。
もし額が減って文句を言われたら(文句を言われるってひどい状態だけど)、
「今まで国民を働かせすぎたし、エネルギー保全のため」など位は言ってもいいと思います。

そして、状況や考えが変わったら、手続きをすれば選び直すことができたら、
本当に文明を活用し、自由な生き方ができている世界ではないかと考えました。



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 縄文一万年の美と祈り 

歴史秘話ヒストリア

縄文文化 BC11000頃~BC400頃まで。
世界に先駆けて土器を作り始め、始まって間もない頃に漆製品も発明。

狩猟・漁労・採集を生業とし、自然の恵みを受けながら、
一万年もの間、安定した生活を続けた、世界でも珍しい文化


土偶から縄文人の願いを考える 

1、縄文の女神(紀元前3000~2000年・山形)
どっしりした安定感がある体。

2、縄文のビーナス(紀元前3000~2000年・長野)
厚みを削ぎ落した結果、かえって豊満に見える。

3、ハート形土偶(紀元前2000~1000年・群馬)
くびれた腰ときれいなハート形の顔。口もある。

3つとも女性の像。お腹に正中線があり、妊娠した女性を象っているようだ。


顔面把手付深鉢形土器
出産の場面
を造形として表し、安産や子孫繁栄を願った。
当時は医療や衛生環境が悪く、出産で子供も母親も死ぬことがあった


土偶の髪型を再現 
纏め髪で動きやすそう。編んで纏めて櫛を挿しておしゃれ。複雑な髪型。

赤漆塗飾 漆の櫛も発見されている。

土製耳飾り 5cm位で大きい。

メイクや服の模様も推測することができる。
目の周りなどをベンガラで塗る。

土偶は特別なお洒落をした時の女性を写し取ったようだ。


微隆起線文土器(11000~7000年前) 全国で出土。
先が尖っていて立てることができない。土に埋めて使った?

1、鍋ではなく、再生を祈るための造形物ではないか
月の水を集める儀式を行い、土器を土に埋めて月の水を集めたのではないか。
土偶は上を向いている物が多く、月を見ていたのではないか。

満月の夜は大潮。月は水とも関わっている。
月の美しい夜、空気中の水分が夜露となり、よく葉っぱにつく。
縄文人は夜露を月の水と考え、再生の力があると信じたのではないか。

2、尖り底の土器は、かまどの灰に押し込めばむしろ煮炊きに適しているという意見もある。
尖っている方が安定している。←かまども底が丸いし、満遍なく火が通りやすそうですよね。


神像筒型土器(3000~2000年前・長野)
月を表しているのではないか。縁の大きな穴は新月と満月。
月を表した縄文土器は他にもある。

29.5周期は、女性の月経などと同じなど、生物は月の影響を受けている。
月の満ち欠けに自らの一生を重ね合わせたのかもしれない。



死者を大切にする人々 
居平遺跡
(長野) 現在は埋め戻されている。
環状集落 300年住んだ。村の中心に広場とお墓があって住居が周りにあった。

大湯環状列石も墓地を中心とした遺跡。それぞれの石の下に人骨が埋められている。

死者は新たな命を得て再生すると考えられていた。


土器に使われる蛇の造形 とぐろを巻く蛇は再生を表している。
縄文土器の縄目は、蛇のうろこを表しているとも言われる。


今まで見つかった2万点もの土偶はほとんどがばらばらな状態
完全な形のものは一割もない。
わざと壊したのかもしれない。

子孫への祈りを託して造った土偶を分割し、
自分達みんなが恵みを受けられるように一つ一つ要所に埋めたのではないか。



自然への崇拝 
縄文人たちが美に込めたのは日々の糧そのもの。

中でも崇拝の中心は、日々の糧や土器の材料をもたらす大地

一度食べた命たちは、もう一度大地の底から沸き立って、
命がこの世に溢れるようになって頂きたい
と願ったのではないか。

土偶はまだ分からないことがたくさんある。


感想 
主に土偶と土器についてでした。まだ仮説です。
でもはっきりとは分かっていない時代の話をいろいろ考えるのは面白いなあ。



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