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 #4終 スピノザ『エチカ』 100分de名著 

第四回 真理

真理 物事を正確に認識すること。
持っている認識そのものがその正しさを教えてくれる感覚
数学の証明のように。

真の観念を有する者は、同時に、自分が真の観念を有することを知り、
かつそのことの真理を疑うことができない。
第二部 定理四三 


実に、光が光自身と闇とを顕わすように
真理は真理自身と虚偽との規範である。
第三部 定理四三 備考



真理が真理の基準
真理の基準を真理の外側に立てられない。
真理の基準は真理の中になければいけない。

スピノザの真理は正しさを客観的に検証できない。

デカルト あらゆるものの確かさ・正しさを疑った哲学者

我思う、故に我在り


今考えている自分が存在していることは否定できない。
誰をも納得させる絶対確実な原理。


スピノザは、デカルトのように相手を納得させる真理ではなく、
「私にとって真理がどう語り掛けてくるか」と考えていた。

現代社会はスピノザよりデカルトの考え方を採用した。
真理を共有することは科学の基本として大切なことだが、
それだけでは扱えないものもある。


ミシェル・フーコーの「デカルト的契機」

17世紀位に真理の捉え方が変わった。
デカルトの前には、真理は経験によって獲得するものだと思われていたが、
デカルト以降は、誰かに教えてもらって認識するものになった。
例外はスピノザで、真理を獲得するには自分が変わらなければいけないと考えた



主体の変容が真理・自由への道

この人生において、
我々は特に、幼児期の身体を、
その本性の許す限りまたその本性に役立つ限り、
他の身体に変化させるように努める。

第五部 定理三九 備考


人間は初めは不自由な受容体だが、
成長次第で受け取れるものの量や質が多くなる。


真理は体得するもの
自分で経験し、獲得するしかない。
自転車が分かりやすい例え。
認識する能力を認識する。世界が広がる。喜びの感情が増える。

人生において何よりも有益なのは知性ないし理性をできるだけ完成することであり、
そしてこの点にのみ人間の最高の幸福すなわち至福は存ずる。
第四部付録 第四項



スピノザと公共性 個人と社会の理想的な関係とは

理性に導かれる人間は恐怖によって服従に導かれることがない。
第四部 定理七三 証明より


個人の本性を抑圧して押しつぶすようなことを国家がする限り、
人は周りに対して慮る気持ちを持てなくなって社会はだめになる。


スピノザは、一人一人のコナトゥスを大切にし、
自由を尊重する社会が長続きすると考えた。

人間にとっては人間ほど有益なものはない。
第四部 定理一八 備考より



個人主義の意味を考え直す
一人一人が自分を大切にしてしっかり生きれば他者を助けることもできる。

助け合う。人を通じて自分を知る。

本当は自分を見つめる時間をもっと作った方がいい

スコレー(ゆとり・暇)は、自分を磨き上げる大切な時間。

自分と合うものは何か、力が発揮できるのはどんな時か試し続け、
最も喜びを感じられることや、居場所を見つけていく。


人生は、実験の連続。
失敗したら、他を試せばいい。
自分が楽しく幸せに力を発揮できるところに行き着ければいい。



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 #3 スピノザ『エチカ』 100分de名著 

第三回 自由
エチカの最終目的は「力=活動能力の増大」。「自由になる」と言うこともできる。

「自由な意思」を否定
人が意思を持つのは複雑な原因が絡まっているから

欲望の原因は意識できない 人間は欲望の結果のみを意識する。

習慣・無意識・他人の影響など、
いろいろな要素が絡み合って人間の行為は成立するが、
我々は意志というものが一元的に行為を決定していると思いがち。


私たちが一つの行為を選ぶとき、
実際には非常に複雑な要因がからまっているにもかかわらず、
自由意志が唯一無二の原因で選んでいると単純化して捉えてしまっている。



スピノザが定義する「自由」

自己の本性の必然性のみによって存在し・
自己自身のみによって行動に決定されるものは自由であると言われる。


これに反して
ある一定の様式において存在し・作用するように
他から決定されるものは必然的である、あるいはむしろ強制されると言われる。
第一部 定義七


本性の必然性

自由になるとは、何の制約もなくなることではなく、
その条件にうまく沿って生きることで活動能力が増大させること


身体の条件を生かしながら必然性にうまく従って動かせるとき、
自由自在に動かしていると言える。


自由の反対は強制
その人の力・本性を踏みにじられて強制された状態が不自由。


強制の果ての自殺

~外部の原因に強制されてするのである。
第四部 定理二〇 備考より



受動と能動
受動 自分以外の本性・力を原因とし、自分以外の本性・力を表現している状態。
行為が外部の原因・自分以外の力を表現

能動 自分の本性・力を原因とし、自分の本性・力を表現している状態。
行為がその人の力を十分表現しているとき

自由になる 受動的な状態を脱出し、能動的になる。


現代はものすごく意思への過信がある
人間は意志次第でどんな行動も決定できるという観点からすると、
意志は、行動を立ち上げる万能の起点
であり、
朝寝坊して遅刻するのも、お酒がやめられないのも、
意志が弱いからだということにされてしまう。

自由意思で選んだのだからと自己責任を突き付けられたり、
意思が弱いと決めつけられたりする
ことがある。
しかし、完全な自由・能動になることは神でもない限りできない。

現代は選択の自由がとても多い気がするが、それは本当に自由なのか、受動なのか、
自分を貫く必然性や、今置かれている状況をもっと認識する
必要がある。

意思形成支援から欲望形成支援への変化
さまざまな原因のからみあいをきちんと見つめ、解きほぐしていくことで、
よい方向へと欲望を立ち上げることで症状を緩和していく
方法。

人間は完全な自由にはなれないが、
諸感情を部分的には認識し、働きを受けることをより少なくして、
受動を減らし、自分の力を表現できるようになれば、より自由に近づける。




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 #2 スピノザ『エチカ』 100分de名著 

第二回「本質」

第三部 定理七
おのおののものが自己の有に固執しようと努めるコナトゥスは
その物の現実的本質
にほかならない。


コナトゥス 自分の存在を維持しようとする力。
傾向・方向性を持った力。ホメオスタシス(恒常性)の原理。

本質は力 哲学の大転換。
古代ギリシャ以来、本質はエイドス(形)だった。
農耕馬でも競走馬でも同じ馬として扱うのがエイドス
農耕馬は競走馬よりも農耕牛に近いのではないかと考えるのがコナトゥス

前回の善悪と合わせて考えると、両者を育てるとき、
農耕馬にとって善いことと競走馬にとって善いことは違う。
それぞれの力のありようはどのようなものであるか、
どんなものとならうまく組み合うか考えて、力を伸ばしていく
と良いのではないか。

決められた本質を目指すのではなく、
それぞれの特性に合った力の伸ばし方を考える。



欲望という本質
何かをしたい、何かをさせようとする力。

欲望とは、人間の本質が、
与えられたそのおのおのの変状によってあることをなすように決定される
と考えられる限りにおいて、人間の本質そのものである。
第三部 諸感情の定義



変状 外部からの力。
あるものがある形やある性質を帯びること

欲望とは自分を維持するための、意識を持った衝動。コナトゥスの現れ。

古来から欲望は理性に対する良くないものだと捉えられていたが、
汗をかけば、喉が渇き、水を飲むようなもの。
スピノザは欲望を自分を保つための本質だとして否定しない。
欲望自体が悪いわけではない。これも組み合わせ次第。
同じ条件下でも人によって変状も違うし、欲望も違う。

感情とは、我々の身体の活動能力を増大しあるいは減少し、
促進しあるいは阻害する身体の変状
また同時にそうした変状の観念であると解する。
第三部 定義三


そこで我々は、精神がもろもろの大なる変化を受けて
時にはより大なる完全性へ、また時にはより小なる完全性へ移行しうる
ことが分かる。
この受動が我々に喜びおよび悲しみの感情を説明してくれる。

活動能力が上がり、完全性が上がるのが喜び、
活動能力が下がり、完全性が下がるのが悲しみ。
↑完全なものはないので、このような言い方になる。

喜び・悲しみ・欲望が人間の基本的感情
その他の諸感情はこの三者から生ずる。

愛   外部の原因の観念を伴った喜び。
憎しみ 外部の原因の観念を伴った悲しみ。
怒り  憎む人に対して、害悪を加えるように我々を駆る欲望。
など

嘲弄 軽蔑するものが憎む人の中にあることを表象することから生ずる喜び。
時のヨーロッパの、特に社交界では、笑いの多くが嘲弄だった。
スピノザは嘲弄と楽しい笑いを区別し、楽しい笑いは大切だと述べた。


宗教戦争の時代
人間は宗教が絡むと非常に感情的になる。

人間は受動という感情に捉われる限りにおいて本性上たがいに相違しうるし、
またその限りにおいては同一の人間でさえ変わりやすくかつ不安定である。
第四部 定理三三


人間は受動という感情に捉われる限り相互に対立的でありうる。
第四部 定理三四

我々が感情をよりよく認識するに従って
感情はそれだけ多く我々の力の中に在り、
また精神は感情から働きを受けることがそれだけ少なくなる
第五部定理三 系


今、自分はどんな感情なのか、なぜこのような感情を持っているのか。
受動的な感情を自分で分析して少しでも理解できると、
感情の捉われから、ある程度は逃れることができる。


感想
いろいろな新しい考え方をした人だったんだなあ。
前回の考えとも繋がっていて一貫性があるなあ。

本質は形ではなく力、同じ人間でも自分にとって善いものを知ろう。

欲望は自分を保つための本質だから、欲望自体が悪いわけではない。
衝動をどのように調節したらよいか考えて行動すると良いのかな。

喜び・悲しみ・欲望が人間の基本的感情。
受けた感情を少しでも分析して理解できると、感情に捉われる大きさが減る。

完全なものはない、完全にはできない、と認識しておくのは大切だね。



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 #1 スピノザ「エチカ」 100分de名著 

第一回 善悪 講師:國分巧一郎さん

スピノザの著書
生前
「デカルトの哲学原理(1963年)」
「神学・政治論(1670年 匿名)」
キリスト教会から発禁処分。非難を浴びた。

没後 友人達により遺稿集が出版されたがこれも発禁処分。
「知性改善論」「国家論」「エチカ」「書簡集」など。


エチカ(Ethica:倫理学)
ギリシャ語のエートス
(動物たちの住処・巣)が語源。

エチカはエートスを考える哲学。
人が集まった時の、住処(すみか)に基づく習慣・決まり・倫理
を考える哲学。
頭ごなしに決めつけるものではなく、その人にとってのエチカを考えるという哲学は、
宗教が力を持っていた当時は受け入れられなかった。


幾何学的秩序に従って論証
定義を設定
   直線とは・円とは何か。
公理を定める  議論の前提となる仮定。
定理を述べる  そこから導かれる図形の性質。
証明で確かめる 正しさを確認。


スピノザはこの世界や人間の性質を明らかにしようとした。
出発点は神

神とは、絶対無限なる実有
 言いかえれば各々が永遠・無限の本質を表現する
 無限に多くの属性から成っている実体、と解する」
 (第一部、定義六)


神は無限
例えば、自分は時間的にも空間的にも有限だが、神は無限。

神は無限である
ならば神に外側はない
全ては神の中にある
私たちも神の一部である(変状・様態)


キリスト教やユダヤ教では、神とは人格神で人を裁く存在と考えられていたが、
スピノザは、我々一人一人が神の現れと考えた

スピノザの神は宇宙の意味に近い 
Deus Sive Natura 神即自然

神という言葉を使ってはいるが、自然科学的な考え方に近い

アインシュタイン「私はスピノザの神を信じる」


「エチカ」の構成
第一部 神について
第二部 精神の本性及び起源について
第三部 感情の起源及び本性について
第四部 人間の隷属、あるいは感情の力について
第五部 知性の能力あるいは人間の自由について


第一部は抽象論なので挫折しやすいが、第四部の倫理の話は具体的で読みやすい。

第四部の善悪
善悪の定義について考える

まず、人は「完全」と「不完全」をどんな意味で使うか

完全、不完全は人の思い込み

「人間が自然物を完全だとか不完全だとか呼び慣れているのは、
 物の真の認識に基づくよりも、
 偏見に基づいている
ことがわかる」



一般的観念に一致すれば完全・一致しなければ不完全と言う。

例えば一本の角しかない牛は不完全とか奇形、と言われるが、
それは人間が「一般的観念」に基づいて言っているだけで、
実際は自然の中には完全も不完全もない


スピノザは善悪も同じだと言う。

第四部 序言
「善及び悪に関して言えば~思惟の様態、
 すなわち我々が相互に比較することによって形成する概念に他ならない」

 

「なぜなら、同一事物が、同時に善、及び悪、
 並びに善悪いずれにも属さない中間物でもありうるからである」

  

「例えば、音楽は憂鬱の人には善く、悲傷の人には悪しく、
 聾者には善くも悪しくもない」


善悪は組み合わせの結果
それ自体として完全に良いものも悪いものもない。
すべては組み合わせ次第であり、そのもの自体に善悪はない。

トリカブトは人間にとって良くないものだが、トリカブト自体が悪いわけではない。
それを忘れて結果だけ取り上げると、良いとか悪いなどの命令形になってしまう。


第四部 定理八証明より
善 活動能力を増大・促進するもの
悪 活動能力を減少、阻害するもの



善いものは喜びの感情を高める

「善悪の認識は、我々の意識した限りにおける
 喜び、悲しみの感情に他ならない」



賢者はいろいろな楽しみ方を知っている
「その人がどういう風に善く生きられるか」
というのがエチカの考え方。

「どんな科目も、人によって理解できる筋道が違う。
 どうやったらうまくいくかはそれぞれ違う」

あなたの活動能力がどうやったらうまく高まるかを考えること。
自分がどうすればそうなるかを分かっていれば、よりよく生きられる。


感想
自分も神の一部だから、自分がどうしたら楽しく生きられるかを自分で考えよう。
どんなものも、完全に善なものも、完全に悪いものもないから、
良くなる組み合わせを考えよう。



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 食べ物が生む環境問題 

静岡新聞2016年11月13日 YOMOっと新聞より

32 アブラヤシとヘイズ

ヘイズ シンガポールで9月~11月に起こる煙害。
煙はインドネシアのスマトラ島から
流れてくる。

乾季のアブラヤシの農園で枯れ草などを焼き、灰を肥料にするため、
野焼きが行われる。

アブラヤシからはパームオイルという油が、菜種や大豆より効率よくとれる。

パームオイル作りは儲かり、アブラヤシ畑はどんどん増えている。
アブラヤシ畑の拡大は、森林破壊という環境問題も引き起こしている。

世界の食用油の消費量は、人口増加や食生活の変化で急速に増え、
この10年で2倍。今後さらに増えると予測。

パームオイルはハンバーガーやフライドポテトにも使われている。
君達の食べ物は、遠い場所で起きている事と実は深くつながっている。



感想
工場の排ガスではないから大丈夫なような気がしたけれど、
アブラヤシを生産する量が過剰なのが問題なんだね。



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 “廃棄”食品を生かせ! 新たな取り組み続々 

深層NEWS 2018年10月17水より

日本の年間食品ロス推計量 646万トン
国民全員が一日に茶碗一杯分捨てている量。

世界の年間食料援助量 380万トン
3分の1ルール
どう減らす?膨大な食品廃棄
これからの地球の暮らし
#1 世界の食糧問題

食品のリサイクル
食品関連会社→食品廃棄物→リサイクル会社→飼料や堆肥→生産者→肉や野菜→

輸入飼料を減らし、コストを下げるのが理想。

乳酸発酵 豚にとってもおいしいらしい。
ゴミを食べさせるのではなく、人間の食べ物をおいしく加工し、
肉や野菜の品質を上げる
ことが理想。


TABETE アプリ。現在245店舗が参加。
例えばランチ用の食材が余った時、安く出品することによって売り切り、
食材ロスを減らす


出品理由
今日に限ってお客様が選んでくれませんでした、などと書かれている。

受け取り可能時間

レスキュー価格
お店が選んでほしいものを選ぶことでお得に食べられ、食材ロスも減らせる。


単なる安売りだと、正規の価格で売れなくなるなどの問題が有り得る。
無駄になるはずだった利益で店全体の質を上げるなどの努力が必要。

店が続くためには店と客の心のやり取りが大切。



Reduce Go
月額1980円で一日2回食品が受け取れる。



KURADASHI.JP
食品メーカーの賞味期限が短くなった商品を格安で購入できるサイト。



感想
食べ物を大切にしようと育てられてきても、
仕事だと割り切って捨てなければならない状況があるなあ。

日本で持ち帰りを断る店が多いのは湿度が高いから腐りやすいのもあるだろうな。
持ち帰りは、容器のごみ問題が出るかもしれない。

人間の食べ物を動物に与えるのはもっと慎重になる必要があると思います。
なるべく人間が食べきる仕組みになるように改善する方が大事だろうな。


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 三木清『人生論ノート』 100分de名著 一部分だけ纏め 

※気になったところだけざっくりとまとめてメモしました。

#1 真の幸福とは何か 岸見一郎講師
人生論ノート 昭和16年刊行。一般向けの随筆。
死・幸福・成功・怒りなど、23の事柄について書かれている。
戦争時代の言論統制下で書かれたので文章が回りくどくて難しい。

しかし、著者が何を訴えようとしていたのかを考えながら読むと、
人生の折々にふと分かる日が来るのではないか。

三木清 実践の哲学者。
個性が失われつつあった時代に、自分とは何か、人間とは何かを考え続けた。

西田幾太郎の『善の研究』
を読み、
かつて感じたことのない全人格的な満足を見出し、哲学の道に進む。
京都帝国大学で西田幾太郎に学び、
将来を嘱望され欧州に留学し、ドイツでハイデガーに最新哲学を学び、
パリでパスカル研究に没頭。
帰国後は大学の哲学教授になり、32歳で結婚。
翌年に治安維持法で検挙される。
釈放後、大学を去り、在野の哲学者となり、
孤独の中、幸福について考え続ける。

「幸福の要求がすべての行為の動機であるということは、
 以前の倫理学の共通の出発点であった。」


全体主義 自分以外のものを一番にして生きると無秩序になる。
この無秩序は、自分の行為の動機が幸福の要求であるのかどうかが
分からなくなった時に始まる

「むしろ我々の時代は
 人々に幸福について考える気力をさえ失わせてしまったほど
 不幸なのではあるまいか」


「幸福は徳に反するものではなく、むしろ幸福そのものが徳である。」


「我々は、我々の愛する者に対して、
 自分が幸福であることよりなお以上の善いことを為し得るであろうか。」


自分が幸福であることは利己主義ではない

「幸福の要求が今日の良心として復権されねばならぬ」




自己犠牲が称賛された戦争の時代、三木の考えは危険だと判断されたが、
個人の幸福がないがしろにされている状況は現代にもある。
自分が幸福になるためのことをもっと考えたほうが良い。


成功について

「成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、
人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。」



成功は過程であり、幸福は存在である
人はすでにこの瞬間に幸福
である。

成功は量的なもの、幸福は質的なもの
成功は操作されるが、幸福は操作されない。


幸福は知性で考える 幸福感は感性。

幸福は人格
幸福とは各人が誰にもまねできない独自のものを持っている。
お仕着せの幸福は外套のようにいつでも脱ぎ捨てることができる人が幸福。
真の幸福は自身と一つのものであり、
この幸福をもってあらゆる困難と闘うのである。
幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である。



#2 自分を苦しめるもの
虚栄心 最も人間的なもの。否定はしていない。
パーソン(人間)の由来はペルソナ(仮面)。

虚栄に対する3つの対処法
1、虚栄を徹底する
 仮面をかぶり続け、それを本物にする。
2、虚栄を小出しにする そこそこの虚栄は向上心として必要。

3、創造によって虚栄を駆逐する
創造的な生活のみが虚栄を知らない
創造とはフィクションを作ることである。
自分の意志で人生を創造していけば虚栄を駆逐できる。


嫉妬 悪魔に最もふさわしい情念。全否定。術策的で持続する。純真さがない。
自分の想像力で作り出したものに嫉妬する。
平均化を求める傾向がある
 自分と同じでいてほしい、足を引っ張る。

自分の個性、相手の個性を認めると嫉妬から抜け出せる。
 

怒り
憎み続けているよりは怒ったほうがいい。
公憤
 三木は社会に怒ることができない現実に憤っていた。

憎しみ あまり理由もなく憎み続けてしまうのは良くない。
習慣的で持続的・自然性(半知性的)・目の前にいない人(匿名性)に対して。

知性的に、個人として相手を認めることができれば憎しみは消える。



偽善 

「道徳の社会性というが如きことが力説されるようになって以来、
 いかに多くの偽善者が生じたであろうか」



道徳の社会性 個人より社会を優先する考え方。

倫理が上から押し付けられる時勢は危険。
国策に阿る人・異を唱えない人が偽善者。
善悪の基準を他人や社会に任せていることがいけない。

ニヒリズムは独裁主義の温床である 
当時の大勢の教養人はニヒリズムに走った。



#3 「孤独」や「虚無」と向き合う
虚無 人間の条件。
生命とは虚無を搔き集める力である。それは虚無からの形成力である。

自分で形成していくしかない。

構想力と秩序
混合の弁証法
弁証法とは、矛盾や対立を解決して一つにまとめる方法だが、
矛盾や対立を解消させず、混合していく。

「どのような外的秩序も心の秩序に合致しない限り真の秩序ではない。(略)
秩序は生命あらしめる原理である。
そこにはつねに温かさがなければならぬ。」


国家の秩序
三木は近衛文麿の政権で日中戦争を早期解決するために国策研究をしたが、
昭和15年に昭和研究会は解散。


価値多元主義の危うさ 全ての価値を受け入れるのは危険だと気付いた。
価値観が何も無い所に新しく強力な価値観を植え付けることは簡単。
秩序の根源には「人間の尊厳を認める」という価値体系が必要。


孤独
孤独は山になく、街にある。
一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるものである。
孤独は感情でなく知性に属するのでなければならぬ。

感情は煽ることができるが、知性は煽ることができない。
孤独だけが個人の人格の独立を守ることができる。


#4 死を見つめて生きる
死について
死が身近にあった時代、この本は死についての考察から始まる。

死は観念である
生きている人は死んだことがないから。
しかし死について考えることは無意味ではない。

大切な人の死
自分が生きていれば、その人は心の中で生き続けている。
「私は今後
 私に残された生涯において能う限りの仕事をしたいものだ。
 そしてそれを土産にして
 待たせたね、と云って
 彼女の後を追うことにしたいと思う。」

自分の死
執着するものがあるから死ねる。
「私に真に愛するものがあるなら、そのことが私の永生を約束する。」
自分が愛したものが残るなら、私はそこに生き続けている。


希望について
人生の出来事は偶然であり、必然でもある。
このような人生を我々は運命と称している。

「人生は運命であるように、人生は希望である。
運命的な存在である人間にとって、
生きていることは希望を持っていることである。」


希望こそが生命の形成力である
もし一切が保証されていたら、決まっていたら、希望すらない。


自分の幸福を信じ、絶望しない生き方を選ぶ
考えることをやめてしまったら大勢に巻き込まれ、抜け出せなくなる。


理想主義者 理想だけが現実を変える力がある。



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 「薔薇の名前」ウンベルト・エーコ 100de名著 一部分だけ 

#1 修道士は名探偵?
1980年に発表、世界で5500万部以上売れたが、読破できた人は少ない。
7日間の物語だが、一日目で挫折する人も居る。

著者は記号論の学者。
推理小説のような、学問のような、文学のようで文学を解体しているような

先端的な書物。

「人間にとって知とは・言語とは・政治とは?」
数多くの根源的な問いを投げかけた物語。


#2 知の迷宮への旅
中世の修道院の図書館 閉架式。禁書が世に出回らないように守る役目もあった。

好奇心を持った者から殺されていく 知の代償。

「知」は力を持った側によって選別することができる
権力側から異端の烙印を押されると、その「知」は排除されるべき対象となる。



#3 “異端”はつくられる

「一巻の書物を前にして、それが何を言っているのかと自分に問うてはならない。
 何が言いたいのかを問うべきなのだ」


個別の真実の中に事物を捉えなおす
本は信じるためのものではない。
例え事実を述べている本だとしても、どうしても著者の主観などが入ってしまうので、
丸ごと信じると偏った考え方になってしまう。

同じことについて書いた他の本とも照らし合わせて読んだ方が良い。

#4終 謎は解かれるのか
アリストテレスの「詩学」第二部
 
実在するかは謎。笑いについて述べているらしい。
「真理は絶対的なものではない、疑え」ということを説いたのではないか。

「詩学」という本は元は「ポイエーシス(創造)の技術」という文芸創作論。

喜劇とは
世俗で重要だと思われてる価値とか権威づけとかを全部ひっくり返していく

キリスト教世界にとっては大変なスキャンダルになるだろう

ホルヘは「笑いは秩序を吹き飛ばし、真理を暴く力を持っている」と恐れていた。


終幕
結局 「ヨハネの黙示録」は事件とは無関係だった

「私は記号の真実性を疑ったことはないよ、アドソ。
 人間がこの世界で自分の位置を定めるための手掛かりは、
 これしかないのだから。
 私に分からなかったのは記号と記号の関係性だった。…」


実は謎なんてありませんでした
エーコはこの後も何冊かミステリーを書くが、この終わり方が多い。

ミステリー自体が一種の決まり事でできている世界だから、
これをもひっくり返したかったのではないか。


ミステリーのパロディーと言う事もできる。
ただし完璧にミステリーを模倣しないとそのはしごは外せない。


伊集院さんの意見
「このオチに至るまでの力がよっぽど強くないと許されない終わり方ですよね。」

記号論の世界観
人間は記号によるしか世界を解釈する方法を持っていない。
記号から推理する喜び、その限界
も一冊の中で教えてくれる。


おまけ 名著80 ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」 適当な纏めです。

「人間が言語や記号といったものを離れては生きられない」
という根源的な真実を描いている。

言語に支配し操られる人間の宿命、
逆に言語を武器として自由を求めようとする人間の可能性。


推理小説なのに完全に謎が解き明かされることはない。
主人公の知性は、事件解決のための鋭い切れ味を各所で示しながらも、
最後には事件の大半が偶然の産物であることがわかり、彼の推理は大きく裏切られる。
近代的理性の限界を暴く物語
でもある。


カーニバルと民衆世界 「笑い」を古来から支えてきた。
キリスト教世界がもっとも危機感を覚えたのが「民衆世界」。
民衆文化であるカーニバルは、世俗権力を全部ひっくり返したり、
男が女になったり女が男になったり、ありとあらゆる価値をひっくり返すもの。
そういう文化がイタリアには深く根付いている。
カーニバルや民衆世界というのは、ある意味罰当たりなものであり、
権威的な物言いや、「これこそが真理だ」といった態度を、
根本から笑いのめしてやろうという強力な力が働いているものだから、
体制側は必死でそこから教会を守ろうとしていた。

そうした構図が「薔薇の名前」では見事に描かれている。

カーニバル的な世界は、異端の世界にも通じている。
カタリ派などの異端は、民衆の中から湧き上がってくるような宗教改革運動。
その淵源は、厳格な一神教のキリスト教的な世界観ではなく、
笑いに満ち溢れた多神教的なギリシャ世界に発している。

「喜劇」の本質を追究したとされるアリストテレス「詩学」第二部は、
「笑い」を分析した書なのだから、この本を畏れたのではないかというわけです。


反知性主義に抗するために
1970年代 西欧の知的なテンションがピークに達している時代。
現代は、反知性的なものが蔓延していて、こういう著作が読まれなくなっている。
こういう流れは大体50年周期で循環しており、
2020年~30年に、再び知的テンションは上昇してくるのではないか。

本来ならば「知」と「笑い」は、
人間が自らを呪縛するものに立ち向かうための強力な武器
だったが、
現代は権力に奉仕し、支えるものとして使われてしまうことが多々あるようです。

私達は、「知」と「笑い」という人類に与えられた武器を鍛え直さなければならない。
文学を深く読むという体験は、そうした貴重なことを教えてくれる。



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 どこから来た? 縄文人の真実 

にっぽん! 歴史鑑定

北海道礼文島 約3800年前の縄文人骨
顔は四角く、眉間は少し出っ張り、鼻は高め、上下の歯のかみ合わせが合っている。
耳垢は湿っている。身長は男性が約158cm、女性は約153cm。

氷河期が終わり、定住生活。
植物から糸を作り、衣類を作った。刺繍も行っていた。

三内丸山遺跡
茅葺の竪穴式住居 直径4m未満。6畳位。4~5人が住んでいた。
屋根が傾斜しており、雨は外に流れていく。
夏は涼しく、冬は火を焚いて暖かい。
真ん中に炉の跡。
板や植物を編んだ敷物を使っていたのではないか。
燻製を作っていた。土器や石皿も場所を決めて置いていた。
煙が木材を燻し、家の耐久性が増す。竪穴式住居の寿命は10~30年。

大型竪穴住居 長さ約32m、幅約10m。
300人位入れる。集落の中央辺りにある
ので、集会所や共同住居だったのではないか。

5~10家族(30~100人)ほどの集落だったのではないか。
けがや病気の人を助けながら、協力して生活していた。


縄文人の起源
長い間、縄文人の特徴は東南アジア系の種族に近い、つまり南方説が有力だと思われてきたが、
2017年、福島県の三貫地貝塚から出土した約3000年前の縄文人骨の奥歯のDNAは、
東南アジア系の種族とはかけ離れていた。

縄文人は東南アジア系の種族が進化したのではなく、
北方・東方・南方、複数の経路から来た種族が日本列島で交わり、独自に進化した、
アジアでも特異な人々だった。

縄文土器の変遷
無紋土器(青森県) 16000年前、日本最古。

定住を始めた縄文前期に、三内丸山遺跡などでバケツのような土器が多く作られ、
縄目の模様は100種類以上
あったが、模様の意味はまだ分からない。
縄目の模様を中心とした土器から粘土を張り付けた模様に変わった。
土器作りは主に女性。

生活が安定した中期に、新潟周辺の火焔型土器など、装飾過多な土器が出現。
模様は単なる装飾ではなく、縄文人の世界観・哲学・思想などを表現している。

それぞれの地域に、時代によって独特の様式の土器が発達した。

後期以降には日常用の簡素な土器・儀礼用の繊細な土器などを作り分けている。

製塩土器

縄文ハンバーグ


三内丸山遺跡の6本柱
登ると八甲田山や陸奥湾が見える。
当時はここから海岸線が一望でき、海からやってくる際には目印になったのではないか。

二支二分 一年という時間感覚があった。


1992年に三内丸山遺跡で見つかったヒスイの大珠は新潟県糸魚川産。
海や川は丸木舟。
北海道白滝産の黒曜石が青森県で見つかっている。
オノマトペを利用して、他の地域と情報も交換していた。


土偶
遮光器土偶も左足が欠けている。


一歳未満の子供の、手形・足形の陶板
穴があり、ひもを通してぶら下げていたのかもしれない。
生まれたお祝いか、それとも形見か。
どちらにしても子供を思う気持ちが強く感じられる。



感想 岡田康博さん・小林達雄さんが出演していました。気になったところだけメモしました。



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 『縄文の思想』を読んだメモ 

『縄文の思想』 瀬川拓郎さん 第四章のみ

自然との共存とは、低開発ではなく、
自然と結び付いていた世界観、他界観が現実の世界そのものであり、
自然自体が人々の生と死を結び付けるものであった。

狩猟する海民

卜部、亀卜、卜骨

平安京にも組み込まれた芸能などを担当した人々は縄文の伝統を持つ。

海民とアイヌは自らの社会を成立させるために不可欠な自由と自治のために、
縄文の思想を選んだ。


アイヌのいろんな場面で使う呪文の話 ←ラピュタを思い出しました。

贈与 アイヌ社会で最も社会的価値があった。
神と人も贈与で結ばれる。人間は生を与えてくれた者への負い目を抱く。
贈与こそが人間を肯定する唯一の手段であり、不断の贈与や生の肯定を生み出す。

平等と分配 
神からの贈与は魂
でもあり、商品化して売り払ったり独り占めすることはしない
商品経済は人間性を否定している?


喧噪の思想 話し合いは全員で同時に発言。
何日もかけて皆の知識と意見が出尽くせば自然に結論が出る。
強制や圧力とは無縁。



海賊的なアイヌ 弥生時代以降。
縄文時代は一つの大きな閉じた系だったので暴力とは無縁
だった。

中世アイヌは傭兵としても活動。

離群の衝動 体制からの離脱。国境など関係ない行動範囲。


感想 ひらがなが多いと読みにくい。今回は特に覚え書きで分かりにくくてすみません。
現代の考え方と違うことがいろいろあった。
話し合いの方法はストレスが少なそうだと思った。
自分の言いたいことを言いまくっていたら段々周りの声も耳に入って来て、
考えが変わっていくんだろうな。全員同じ場所で言うから陰口もないんだろうな。
現代社会は同調圧力が高くて、それが日本の特徴かと思っていたけれど違うのかもしれない。



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