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 月の不思議を巡る旅 

地球ドラマチック ※ざっくり纏めました。宇宙飛行士の話など省略。

地球から月が見えるのは太陽が月を照らすから

欠ける月
月が地球の周囲を回るにつれ、地球からは太陽に照らされた月の部分が
減っていく
ように見える。

新月 
月が地球と太陽の間に入り
、地球に面している月の表面が完全に暗くなる状態。

満ちる月
さらに移動すると再び太陽に照らされた部分が現れ徐々に大きくなる


スーパームーン
月が地球の周囲を回る軌道は楕円形。月と地球の距離が最も近い時に起こる満月。

月と地球との距離は最も離れている時で約40万5000km
スーパームーンはそれより約5万km近い。


古今東西月物語

中秋節 
収穫の時期、満月のおかげで遅くまで収穫作業ができた。
人々が心から家族を思い、一家だんらんを楽しむ。
月餅やごちそうを作って食べる。

満月は古くから世界各地で暦の基準となってきた。
紀元前2000年頃には中国で月の一年の暦を作っていた。
太陽暦よりも一年が約11日短い。

中秋節・キリスト教のイースター・ヒンドゥ教のディーワーリー・
ユダヤ教の過ぎ越しの祭り・イスラム教のラマダン
など、
いずれも月の暦に基づいている。

時を知るために月を用いるのは人間だけなく、
自然界にも月の満ち欠けを頼りにしている生き物がいる。

オーストラリア・グレートバリアリーフのサンゴ
本能的に月の光を感知
し、繁殖活動を行う。

月の引力による潮の干満は多様な命を育んでいる。

潮の満ち干によって出来る干潟の泥には膨大な栄養源が含まれ、
毎年冬に何十万羽もの渡り鳥を引き付ける。

地球は一日に一回自転するので、干潟の辺りが月に面している時、
月の引力によって海水面が上昇し潮が満ちてくる。
鳥たちは一旦干潟の奥に移動し月が遠ざかるのを待つ。
月の引力が弱まり、潮が引いた後の干潟には栄養たっぷりの御馳走がある。

新月 人には見えなくても、太陽と月の引力が合わさり、
通常よりも巨大な潮が生じる所がある。


月の裏側
シャックルトン・クレーター

月の南極付近にあり、太陽の光が届く部分はごく僅か。
非常に低温でマイナス170度以下
特に一部の場所はクレーターが出来て以来、一度も太陽の光が当たっていない。
シャックルトン・クレーターと月の南極の周囲はどのようになっているのか。



皆既日食 2017年8月31日 1世紀ぶりにアメリカ大陸を横断した。



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 クレオパトラが残した古代エジプト天文学 

コズミックフロント・NEXT

デンデラ神殿複合体

ハトホル神殿 主神殿。
天井に円形天体図があった。2m四方のレリーフ。
北の空が中心。十二星座や、古代エジプト特有の星座がある。

周極星 天の北極の近くにあり、地平線の下に沈まず円を描くように動く星。
永遠の象徴。


階段ピラミッド 最初のピラミッド。
王の死後、北の星になりたいという願いで建造されたと言う。


クフ王のピラミッド 高い精度で北を向いている。
歳差運動により星の位置は変わっていく。

当時の北の空の中心には星はなかったが、
コカブとミザールという二つの星が天空の中心近くを回っていることにに気がつき、
両者を結ぶ線が地平線に垂直になる時、真北
になることを利用した。


暦と時間は南の星から生まれた
再び天体図を見ると、 
南の空は中心の北の空を取り囲むように描かれ、
さらに南の星空の外側を取り囲むように36の神々
が描かれている。

シリウス 暦の始まり、一年の始まり。
古代エジプトでは、7月下旬に日没の直前に地平から姿を現した。
ナイル川が増水を始める雨季の始まり。
シリウスの出現を心待ちにするうちに、その周期が365日であることに気付く。
365日を一年と定めた。


セティ一世の墓
長方形の帯状の表 36分割した南の星空
が描かれている。
10日毎に地平線の近くに出現する星に神を設定、5日は祭礼のための特別な日。


時間 夜を12分割 
シリウスが地平線に出現する一年の始まりに、
暦にも使われた星の帯がいくつ見えるかを観察すると、
日没から日の出までに12の帯が見えたので、夜を12分割することにした。
一晩中、定期的に神に祈りをささげていた。

水時計 夏は間隔が短い。

昼の時間も夜に合わせて決めた 
夜と昼の時間が12ずつ 24時間の概念の起源。



クレオパトラの時代に日食が起きた
当時はローマ帝国の脅威があり、動揺を抑えるために天文図を作ったのではないか。
しかし、天体図を作った20年後に古代エジプトは滅亡。
3000年の歴史に幕を閉じた。



感想 
少し調べて見たらクレオパトラが作った天体図かははっきりしていないようですが、
古代エジプトが積み上げてきた知識を結集した感じはします。

たった一枚のレリーフだけど、とても正確なのでいろんな情報が詰まっている。
ギリシャ神話の十二星座もあるのが興味深い。

時間の概念は先に夜から始まったのが面白い。

番組の感想はゆったりしていて映像が豪華。
コズミックフロントはあまり見たことが無かったけれど、のんびり見る番組なのかな?
もっと簡潔に纏めれば30分で纏まりそうだと思いました。


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 縄文一万年の美と祈り 

歴史秘話ヒストリア

縄文文化 BC11000頃~BC400頃まで。
世界に先駆けて土器を作り始め、始まって間もない頃に漆製品も発明。

狩猟・漁労・採集を生業とし、自然の恵みを受けながら、
一万年もの間、安定した生活を続けた、世界でも珍しい文化


土偶から縄文人の願いを考える 

1、縄文の女神(紀元前3000~2000年・山形)
どっしりした安定感がある体。

2、縄文のビーナス(紀元前3000~2000年・長野)
厚みを削ぎ落した結果、かえって豊満に見える。

3、ハート形土偶(紀元前2000~1000年・群馬)
くびれた腰ときれいなハート形の顔。口もある。

3つとも女性の像。お腹に正中線があり、妊娠した女性を象っているようだ。


顔面把手付深鉢形土器
出産の場面
を造形として表し、安産や子孫繁栄を願った。
当時は医療や衛生環境が悪く、出産で子供も母親も死ぬことがあった


土偶の髪型を再現 
纏め髪で動きやすそう。編んで纏めて櫛を挿しておしゃれ。複雑な髪型。

赤漆塗飾 漆の櫛も発見されている。

土製耳飾り 5cm位で大きい。

メイクや服の模様も推測することができる。
目の周りなどをベンガラで塗る。

土偶は特別なお洒落をした時の女性を写し取ったようだ。


微隆起線文土器(11000~7000年前) 全国で出土。
先が尖っていて立てることができない。土に埋めて使った?

1、鍋ではなく、再生を祈るための造形物ではないか
月の水を集める儀式を行い、土器を土に埋めて月の水を集めたのではないか。
土偶は上を向いている物が多く、月を見ていたのではないか。

満月の夜は大潮。月は水とも関わっている。
月の美しい夜、空気中の水分が夜露となり、よく葉っぱにつく。
縄文人は夜露を月の水と考え、再生の力があると信じたのではないか。

2、尖り底の土器は、かまどの灰に押し込めばむしろ煮炊きに適しているという意見もある。
尖っている方が安定している。←かまども底が丸いし、満遍なく火が通りやすそうですよね。


神像筒型土器(3000~2000年前・長野)
月を表しているのではないか。縁の大きな穴は新月と満月。
月を表した縄文土器は他にもある。

29.5周期は、女性の月経などと同じなど、生物は月の影響を受けている。
月の満ち欠けに自らの一生を重ね合わせたのかもしれない。



死者を大切にする人々 
居平遺跡
(長野) 現在は埋め戻されている。
環状集落 300年住んだ。村の中心に広場とお墓があって住居が周りにあった。

大湯環状列石も墓地を中心とした遺跡。それぞれの石の下に人骨が埋められている。

死者は新たな命を得て再生すると考えられていた。


土器に使われる蛇の造形 とぐろを巻く蛇は再生を表している。
縄文土器の縄目は、蛇のうろこを表しているとも言われる。


今まで見つかった2万点もの土偶はほとんどがばらばらな状態
完全な形のものは一割もない。
わざと壊したのかもしれない。

子孫への祈りを託して造った土偶を分割し、
自分達みんなが恵みを受けられるように一つ一つ要所に埋めたのではないか。



自然への崇拝 
縄文人たちが美に込めたのは日々の糧そのもの。

中でも崇拝の中心は、日々の糧や土器の材料をもたらす大地

一度食べた命たちは、もう一度大地の底から沸き立って、
命がこの世に溢れるようになって頂きたい
と願ったのではないか。

土偶はまだ分からないことがたくさんある。


感想 
主に土偶と土器についてでした。まだ仮説です。
でもはっきりとは分かっていない時代の話をいろいろ考えるのは面白いなあ。



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 日本人謎のルーツ 

諸説あり!

定説の日本人のルーツ
20万年前 ホモ・サピエンスがアフリカで誕生。
10万年前 アフリカを離れ、グレートジャーニーが始まる。
 4万年前 日本の近くに到達したと考えられる。


縄文人
約16000~3000年前まで現在の日本で文化を形成した民族。


これまでは、日本列島の初期の住民である縄文人は、
東南アジアや東アジアからやってきたと考えられてきたが、
最近の研究で日本列島に固有するDNAがあることが分かってきた。


M7a N9b

縄文人は、他のアジア人と違う経緯で日本列島に辿り着いた可能性がある。


所説1 北方説 2万年前にシベリアから来たマンモスハンター

縄文時代の遺跡は、関東より北に多く見つかっている。
10万年前 氷河期で日本列島は大陸と繋がっていた。
2万年前も大陸と繋がっており、北海道から来た。
津軽海峡が深く、マンモスもいないので、それまで留まっていたらしい。
18000~17000年前頃に、なぜか渡ってきた
らしい。

日本人は東シベリアのブリヤート人とそっくり。
D4j8

バイカル湖周辺のブリアート人と日本人が持っていて、
韓国人や中国人にはほとんどない。


嶋木遺跡(約2万年前・上士幌町) シベリアと同じ成分の土器が見つかる。

白滝ジオパーク 細石刃。
ソコル遺跡(約2万年前・サハリン) 細石刃の材料は白滝産の黒曜石。


2万年前、マンモスの移動に合わせて北海道とサハリンを行き来していた。
やがてマンモスが絶滅し、北海道の自然に適応して留まった人、
北へ去った人、日本列島を南下した人もいただろう。


市谷加賀町二丁目遺跡(東京)
約4000~5000年前の16体の人骨 北から来た人々
だと考えられる。

アイヌの人の熊祭りのような、
自然に神々が宿る、循環して帰ってくる、神様に贈り物をするなどの考え方が、
日本人とシベリアの民族との関わりを感じられる


三内丸山遺跡の土器 シャーマンの絵が描かれている。
シベリアのチュクジ族のシャーマンに似ている。
東北にはシャーマンが多い。土偶も一種のシャーマン
である。


所説2 南方説 4万年前に南から海を渡ってきた海洋民族?

武蔵台遺跡(4万年)
南から来た石器と北から来た石器
 南から来た石器の方が古い。
南はスンダランドからフィリピン・琉球列島・沖縄を通って南九州に入る。

スンダランド 現在のタイ周辺に形成されていた広大な陸地。
4万年前、スンダランド→沖縄→鹿児島
へ渡った可能性がある。

上野原遺跡(霧島市)
上野原縄文の森 約9500年前の竪穴式住居の復元。
三内丸山より前に、南九州に縄文の集落
があったことが分かってきた。

つぼ形土器 7500年前 ほぼ完形で出土。
稲の伝来と共に発達したと考えられていた形の土器が、すでにあった。


肉や魚を燻製する技術もあった。

栫ノ原遺跡(鹿児島) 丸ノミ型石斧(約11000年前)
東南アジアに、さらに昔の同じ形の石斧があり、伝来したのではないか。

しかし約7300年前、鬼界カルデラ噴火があり、
南九州の縄文人は全滅したのではないか。
一部は西北九州や四国に逃げた人もいたのではないか。


北方説のDNAもあるだろうが、
旧石器時代の、もっと古い時代のDNAも調べないと起源は分からない。



所説3 12万年前、縄文人以前の日本に先住民がいた?

砂原遺跡(出雲市)約12万年前の20点の石器。
入口遺跡(長崎) 約10万年前。
金取遺跡(岩手) 約9万年前。


大陸起源のオリエンタリスという象の化石が、
日本列島の50万年前より古い地層から出てくる。
同じ時期に大陸から哺乳動物が日本列島に渡って来たのではないか。

50万年前、九州辺りが大陸と地続きだった。
しかし、新人のホモ・サピエンスが現れたのは20万年前。


約200万年前 猿人 アウストラロピテクス
 180    原人 北京原人など
  35    旧人 ネアンデルタール人など



2016年、ドイツの科学誌
花粉症の免疫に関わる世界中の遺伝子を調べ、
花粉症DNAがネアンデルタール人
にあることを突き止めた。
そして、日本人は約51%が持っている
アフリカにはほとんど無く、ヨーロッパはまあまあ多く、北欧は少し少なく、
アジアやアメリカは15%位、南米は少ない。


ネアンデルタール人が日本列島に居た可能性がある。


感想 
所説1は、「なぜか津軽海峡を渡った」という所で少し笑ってしまいました。
何か渡らざるを得ない事情があったんだろうなと予想はできるものの、
はっきりしないと公式には言えないんだろうな。

どの諸説が正解だと思うか
出演していた方は、ご自身の長年の研究結果を踏まえ、だいぶ悩んだ末に、
「4万年位じゃないか」と仰っていました。
それが常識的な態度なのだろうと思いつつも、どの説も面白かったです。
年代が違うから、全部事実かもしれないと思うほど説得力がありました。

所説1・2・3はそれぞれ別の集団だし、
これから他にも集団が出てくるかもしれません。
長い時間の中で、いろんな集団が辿り着いた時代という認識になり、
縄文人・縄文時代という括り方は無理になってくるかもしれないと思いました。

所説3は縄文人以前の話ですね。
グレートジャーニーで言う4万年前よりも前ですが、あり得ると思います。
だってグレートジャーニー説は日本にあまり関心がなさそうだもの(笑)。
無人ということはなかったんじゃないかなあ。
以前、グレートジャーニーを纏めながら、
4万年以前の日本列島は無人だったというのは本当かなあ、
どうも日本は当てはまらない気がするなあと、少し思っていたので、
グレートジャーニーとは関係のない所で、それ以前に人が居たという説は、
有り得ると思いました。

と納得していたら、最後に爆弾が!
ええええー?! 花粉症の原因がネアンデルタール人?! 花粉症DNA?!
花粉症の人が増えたのは戦後からではないの?!
杉を植えすぎた以外の理由もあったの?! ちょっと調べてみました。

日本の花粉症の歴史の纏め
日本の花粉症は高度成長期とともにやってきた!

やっぱり、花粉症の人は戦後から増えたんですよね。
昔も花粉症やアレルギーはあったけれど、人数は少なかったようです。

(簡単な纏め)
アレルギーの原因は特定しにくいが、
日本人の生活が劇的に変化し、体質が変化したのではないか。


1、美食や欧米的な食生活への変化
肉などのたんぱく質の摂取が多くなると、異物への反応が過敏
になり、
アレルギー体質になりやすい。

2、食品添加物の多食
インスタント食品やスナック類、ファーストフード、保存食など。

3、気密性の高い住宅
ダニ(特にチリダニ科のヤケヒョウヒダニ、コナヒョウヒダニ)が増えると、
アレルゲンとなる。

4、ストレス社会
毎日厳しい選択と実行を迫られている。

また音・光・閉塞感など、無意識のストレスもある。
ストレスが即アレルギーを生んでいるかどうかは測りにくいが、
免疫機能の変調をもたらすことは確か。

5、アスファルトの舗装
花粉がアスファルトに落ちると、湿ってデコボコした土と違い、
上昇気流でまた舞い上がり、空気中に飛んでいる時間が長くなり、
人間が吸いこむ機会が多くなる


6、ディーゼル排出微粒子で弱った鼻や肺
さらに花粉症になりやすくなる。

7、日本人のカラダの中に寄生虫がいなくなり、
抗原抗体反応(アレルギー)が花粉などで起きやすくなった
という説もある。


現在の花粉症の人が多いのは現代の生活が原因だけど、
そもそもの花粉症DNAを持ち込んだのはネアンデルタール人ということか。

花粉症は辛いけれど、いい遺伝子ももらっているかもしれません。

縄文文化(日本文化)の独自性はネアンデルタール人と関係がある?

出発地点のアフリカ、旅の初めの地域にはネアンデルタール人成分が少ない。
DNAってすごいなあ。一人一人が生きた証がちゃんと残っているね。

でも、DNA鑑定は一つのことについて一つだけ分かる、という感じもします。
いろんな分け方が出来そうだけど、分け方を間違うとミスリードしてしまうかも。


おまけ1
陸続きだった時代
番組では北海道がくっついていたり、九州がくっついていたりしていたけれど、
長い間、かなりくっついているなあ。大陸の一部というくらい。

日本列島の形成と日本人の祖先
北海道と樺太、九州と朝鮮半島が陸続き、日本海は巨大な湖。

6万年前頃が最も厳しい氷河期 ベーリング海峡も氷で覆われていた。
ユーラシア大陸とアメリカ大陸が陸続きとなって、多くのアジア人がアメリカに移動。
アメリカのインディアンも、日本人と同じアジア人で、モンゴロイドの一種。

3万年前~1万年前 大地震や海底火山の噴火などの地殻変動や、
気温の上昇による氷河融解で海水面が上昇したことによって、
世界はほぼ現在の大陸を形成

日本列島が今のような形になったのは今から約1万年前。けっこう最近。
縄文時代は大陸から切り離されてから生まれたのかな。


おまけ2 日本列島の旧石器時代
氷河期の最寒期でも津軽海峡、対馬海峡は陸続きにならなかった。
4~3万年前に世界最古の磨製石器

動物相
幾度となく北、西、南の陸峡間宮・宗谷・津軽・対馬・朝鮮などの海峡)を通って、
いろいろな動物が渡ってきたと考えられている。
さらに、それらの動物群を追って旧石器人が渡ってきたともいわれている。

最終氷期に大陸と繋がった北海道だけは
マンモス動物群が宗谷陸橋を渡ってくることが出来たので、
それらの混合相
となった。

ナウマン象は約35万年前に日本列島に現れて約1万7000年前に絶滅。

現生人類(ホモ・サピエンス)は7~6万年前に出アフリカを果たし、
それ以前にはアフリカ外には分布していなかった。
従って、日本列島最古の石器(砂原遺跡の12万年前)を遺したのは、
デニソワ人などの旧人である。
日本列島に現生人類が現れるのは4~3.5万年前と考えられており、
これは日本固有のハプログループD1b (Y染色体)の起源年代とおおむね一致。


デニソワ人
ネアンデルタール人と並んで、
我々現生人類であるHomo sapiens sapiensに最も近い化石人類。

また現生人類の一部(メラネシア人など)と、
遺伝子情報を部分的に共有する可能性が高い
としている。
64万年前にネアンデルタール人から分岐した人類であることが推定された。

↑旧人! それはグレートジャーニーとは関係ない人類に当てはまるなあ。
ではネアンデルタール人由来の人とはデニソワ人?
現生人類が到達するより前にこの人たちも日本列島に住んでいたのかもしれない。
長い期間のことだから色々混ざってデニソワ人とは言い切れないかもしれないけれど、
私達の遺伝子に、ご先祖様として残っているかもしれない。
こんな一節を思い出しました。

見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ
星とたんぽぽ (金子みすゞさんの詩より)


超古代は基本認識がよく分からないから、
調べた頁をさらに調べることになってだんだん訳が分からなくなるなあ。
でもこのどんどん深みにはまっていく感じが楽しいです。
でもすっきりと体系的に把握したいと思って纏めています。



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 エジプト大ピラミッド隠された王墓と財宝 

エジプト大ピラミッド隠された王墓と財宝 日本と古代ペルーの神々が解く7つの鍵
吉村さんが案内してくれました。

第1の鍵
ピラミッドは王の墓ではなく、石の箱は棺ではない

蓋が無い 始めから空で、なめらかではあるが装飾が無い。
ツタンカーメンの棺より一回り小さい。
太陽の船を発掘してその謎を解く。

第2の鍵
太陽の船の、ツヤの有る面がある木材。船室に使われていた。
ツヤツヤではあるが装飾はない。

大ピラミッドの王の間・壁・石の箱も、
つるつるに仕上げてあるが装飾も財宝もない。
神聖な場所は入念に清め、塵一つないようにするから、
これは、神様の居場所だからではないか。



第3の鍵
福岡県宗像神社
 天照大神の娘 三女神を祀る

沖ノ島 海の正倉院。
1650年程前、国を挙げての信仰が始まった。禊をしないと入れない。

8万点もの国宝 金の指輪・馬具など、三女神に捧げる為に集まった。
しかし、沖津宮は質素な造り。大ピラミッドの王の間のように。

耳石 
古代エジプトでも神様の声を聞くために耳木を作って埋葬品に入れた。


みあれ祭 特別に撮影が許された。
100隻を越える漁船団がご神体を守って出港。
雨に祟られたが本土についたころには雨は上がっていた。
天候により船の数は増減するが、祭りが中止になったことはない。

ご神体は光であり空気であり、形のあるものではない。
日本の神道も古代エジプトも共通。

2017年11月 大ピラミッドに新たな空間があると報道。

1987年 電磁波レーダー調査
女王の間の北側の壁の先に空間の存在を発見。
女王の間に繋がる通路がもう一本ある可能性。


吉村さんの話 
ピラミッドには空間がたくさんある。

耐震構造の為や、大事な神様が通る所とか。
ピラミッドはご神体であり、そこに神様の霊が祀られる。



大ピラミッドが墓ではないなら王の墓はどこにあるのか
大ピラミッドの西側に大臣や貴族のマスタバがあり、この下に王の墓がある。

秦の始皇帝のような地下帝国に近い。
ここにはないだろうと思わせる所にある。マスタバは王の墓のダミーではないか。


第4の鍵 古代ペルーのピラミッド
太陽信仰が盛ん。
首都リマを少し離れると砂漠が続く。
苛酷な方が文明が起きる。
自然との戦いから人間は一生懸命になる。

カラル遺跡 リマから北へ200km。砂漠の真ん中にある。
20のピラミッド。高さは大体20m。
日本の石垣のようにいろんな大きさの石を積み上げている。
植物も一緒に積んでいる 
い草を編んだ網 小さい石も有効活用。
石が貴重だった。
い草は約4600年前のもの。エジプトの大ピラミッドと同じ頃に造られていた。

カラル遺跡のピラミッドは神殿だった 
頂上は平ら。墓ではなく、頂上で神様に祈りを捧げていた。


円形遺跡 ピラミッドの正面。直径36m。
二重の円 太陽を象徴。
古代エジプトの太陽神も二重丸で表現される。



トゥクメ遺跡 カラル遺跡より北。
煉瓦を積み上げて作ったピラミッド 聖なる山の北側に26ある。すべて神殿。


第5の鍵 エジプトとペルーを繋ぐレリーフ
ワカ・ラス・バルサス神殿のレリーフ
二艘の船が一列になって進んでいる。鳥が乗っている。鳥は方角を決めるのに重要。

古代エジプトの壁画にも船に鳥が乗っている。
古代エジプトでは王が亡くなると魂バーは鳥の姿になり、太陽の船に乗った。

レリーフの前方の船の鳥はオールを持ち、後方の船の鳥はオールを持っていない。

古代エジプト貴族アメンエムハトの墓(約3500年前)の壁画
前方の第二の太陽の船が帆を張りオールで漕ぎ進み、後方の第一の船を牽引。
前が動力船で後ろの船に神様(王様の魂)が乗っている。

吉村さんの話
聖なる山とレリーフの位置関係 南西。
聖なる山からレリーフのある神殿は夏至の頃に太陽の沈む方角。

支配者の墓は未発見 神殿の南側を発掘する計画
がある。
吉村さんは神殿の手前の砂漠地域だと推測。
帰国後、推測が当たり南西地域に墓と思われるものが見つかった

ピラミッドに登る。見事な夕焼け。←これは信仰心が湧きそうだなあ。
生きとし生ける命は太陽が支えていると実感していた。


第6の鍵 シパン王と莫大な財宝
シパン王墓博物館 シパン王(約1350年前) 
約30年前にほぼ完全な形で発見
された。副葬品は財宝に満ち溢れていた。

金銀を使った王笏、黄金の腰当、銀の腰当など。
金が太陽、銀が月
 一日を表し、一年を表し、永遠を表している。

シパン王の胸飾り 細かいビーズを繋げ、太陽のような図柄。
それを被るシパン王自身が太陽だった。王は太陽と同じ存在になろうとした。

ワカ・ラハダ遺跡 ピラミッドのすぐそばにシパン王の墓がある。

シパン王の墓 保存されている。埋葬されていた様子を見ることができる。
足を切られた王の護衛役 逃げないように。
若い王妃 王が亡くなった時に殺された。

残酷ではない 
吉村さんは王妃や家臣たちが自ら一緒に墓に入った
と言う。
あの世でも一緒に暮らしたい、つまり現世が幸せだったということ。
↑そうかなあと思ってしまいます。「王にとっては」なら納得。なぜ足を切るのか。

王墓の周辺の墓
軍人の墓
 シパン王の軍隊の最高司令官。

軍隊のトップを守るための護衛とリャマの墓

シパン王は家臣たちと同じ地域に埋葬されていた。

ピラミッドの頂上では、シパン王が黄金の鎧を身に着け、
昼は太陽、夜は月や星に祈りをささげていた。

シパン王は聖地のピラミッドの傍に王と家臣の墓を作り永遠に暮らしたいと願った。



吉村さんの話
ピラミッドとシパン王墓の位置関係
ピラミッドの西側にお墓があるべきなのに東にある。


ピラミッドの西側を調査すると、もう一つピラミッドがあった。
中央のピラミッドのシパン王の墓の200年前、
西側のピラミッドはシパン王の二代前に造られた。

中央と西側のピラミッドの間では既に様々な儀式が行われていて、
王の墓を作れなかったのかもしれない。


シパン王の研究者の話
東は太陽が毎日登る所であり、そして永遠に繰り返す所。
東は命の始まる所という考え方から、東側につくったのではないか。

再生と復活を願うエジプト人と同じではないか。


クフ王のピラミッドの東側に、クフ王の母と妃と子供達の墓がある。
再生復活がエジプトのテーマ。太陽が昇ってくることが再生。

東に家族、西に大臣や貴族に囲まれて、クフ王は眠っているのではないか。



一番大事な祭りの日のために太陽の沈む方向にお墓を作る。
太陽が沈む方向に、太陽と共に逝く。



第7の鍵 宗像大社の西側の古墳
日本の古代の支配者も太陽の沈む方向にお墓
を作っていた。

新原・奴山古墳群 辺津宮の2km南西。
当時、海に突き出すような地形に造られていた。
宗像の君のお墓と、家臣たちのお墓が集まって埋葬されている。


西部墓地 クフ王の大ピラミッドの西側。
空き地がある ギザの三大ピラミッドを設計したヘムオンの墓のすぐ南。
ひょっとしたら三人の王の複合墓かもしれない。
最新の技術で測量中。


感想 
ここで終わるんかーい! 
吉村さん一方的にお久しぶりです。
アナウンサーさん、大ピラミッドの王の間に入れていいなあ~。
ペルーや宗像神社にも行けていいなあ。真面目で好感が持てました。お疲れ様です。

「大ピラミッドはご神体説」は良いと思います。
王様だけのためのものだったら作る気にならないのではないかなあ。
みんなのためのものなら頑張って作る気になると思います。

でも王の墓を見ると、やっぱり個人的な願いのために造ったのかなという気もします。
王様たち、寂しがり屋過ぎない?! そして自分勝手すぎない(苦笑)?!
それに神様の居場所が簡素なのに、自分の墓だけ絢爛豪華だなんて、
神様に清らかさを求めすぎじゃないですか(笑)?

>ご神体は光であり空気であり、形のあるものではない。
というのは日本人の自分なら納得するけど、本当に古代エジプトの人も同じなのかな?

超古代からの挑戦状! ①縄文ストーンサークル編
日本では皆で自分達のために楽しみも兼ねて造ったらしい(仮定)のですが、
エジプトやペルーではそういうわけではないのかもしれませんね。
でも使役されるだけでこんなにすごい建造物が作れるのかなあ。
古代エジプト大ピラミッドの新事実で少し納得しました。
なるほど、王は神と同じということだったのか。
災害にならないように、豊穣のために必死だったのですね。
これも自分や家族の為ということになるんだね。

日本の神道・ペルーの太陽信仰と比べてみるのも面白かったです。
大ピラミッドの石室の簡素さに説得力が出たし、
ペルーの王のお墓がエジプトのお墓のヒントになるかもしれないですね。
でも同じ位の時代でもあんなに距離が離れているのになんで共通点が多いんだろう。
うーん、世界のどこに住んでいても太陽の存在感は絶大だったってことかなあ。



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 古代エジプト大ピラミッドの新事実 

地球ドラマチック 古代エジプト大ピラミッドの新事実 ※ざっくり纏めました。

大ピラミッドは完成当時は全て石灰岩(化粧石)で覆われていた。
17万トンにも及ぶ石灰岩は10キロ離れた採石場
で調達され、
当時、最先端の土木技術で整備された運河を通って、
木造船でピラミッドのそばまで運ばれた


ピラミッドの数百メートル手前まで水路を作り、ナイル川から石灰岩を運んだ。

ナイル川がなければエジプト文明は成り立たなかった。

ナイロメーター 川の水位を測る。船の運搬・灌漑工事に役立った。
クフ王の時代、川の適度な氾濫は王が民に満足し、
次に豊作がやって来ることを意味した。


当時の人々は、クフ王がナイル川を操っていると信じており、
王を満足させるためにピラミッドや墓を作った

王はエジプトの大地やナイル川そのものであり、豊穣であるほど権力が増した。


メレルの日誌 2013年に発掘された最古のパピルス。 
メレルは石や銅を輸送する約40人の監督官だった。
労働者には組織系統があり、それぞれに明確な目標と責任があった。
40人の班が4つ集まると組になり、大ピラミッドでは組が集まって作業していた。

考古学者のムハンマド・アブデルメギドさんは、
古代の貨物船を当時の技法そのままに復元し、石灰岩の巨石を運ぶ実験を試みた。
メレルの航路より距離は短いが川を渡ることに成功
古代の船乗りたちは一度に70tの石を運び、
スフィンクスの正面辺りに下ろしたのではないか。


緩やかな800mの坂を、そりやレールのようなもので驚くほど早く運び上げる。
古代エジプト人は力と加速の関係を理解
していた。

ピラミッドに到着した石は、傾斜面にぴったり合うように三角法で計算して削った。
直角三角形の底辺と高さだけ測ればいい
と知っていた。
それでも三時間かかった。採石場で石を切り出すより長い時間がかかった。


高度なネットワーク社会
埠頭の跡 世界で最も古い人工の港
があった。

ワディ・アル・ジャルフの港 メレルの日誌が発見された。
ギザから200km離れていて、大ピラミッド建造のためだけに造られ、
大ピラミッドの完成後に閉鎖され、二度と使われなかった。
対岸のシナイ半島の鉱山で採掘した銅を紅海を渡って運んだ。
石は正確に計算して切り出していたので銅の工具が必要だった。



古代の巨大インフラ
40人が集まれる建物の跡
 四角い大きな建物。組の宿泊施設だったのだろうか。
さまざまなパンの焼き型 一つ7kgの型が何百もある。

巨大な水路と港は、輸送の仕組みを変え、
都市は洗練され、効率良く食料と労働力を確保できるようになった。


食料はデルタ地帯・木材はレバノン・石灰石はトゥーラ・花崗岩はアスワン・
銅はシナイ半島など、あらゆる材料が組織的に運搬された。


大ピラミッド建造はエジプト文明や周辺の地域を進化させ、
エジプト文明はその後も2000年以上繁栄した。



感想 大ピラミッド自体もすごいけれど、
ピラミッドを作り続けている状態がこの国の動力源だったのかな、
ピラミッド建造を中心に国が動いていたのかな。



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 #4終 ピラミッドはこうして造られた 

エジプト発掘 第1集ピラミッドはこうして造られた

石灰岩は町の近くの石切り場で300万個もの石を切りだした。
ナイル川の対岸の石切り場からは化粧石が運ばれた。


ピラミッドは石切り場近くの地盤がしっかりした場所が選ばれ、運搬路が作られた。

3分の1は直線傾斜路で造られ、
残りはピラミッドの角に内部トンネルの正方形の入り口を作り、
幅2.2m、高さ5.5m、平均2・5tの石を乗せたそりを、8人一組で引き上げる。
トンネルは、古代エジプトの伝統的な持ち送り積み。


12、内部トンネルの入り口  13、一番上まで運んで来ました

14、一番上の作業場  15、持ち送り積みのトンネル

トンネルの角は正方形の広場が作られ、
内部トンネルで石を引き上げる人々が角の広場まで登ってくると
待機していた人々がつるべのような機械ですばやく方向転換
石は次のグループに引き継がれる。

16、トンネル角の広場全体

17、トンネル角の広場  18、方向転換

ピラミッドの側面には内部トンネルに沿って足場が組まれ、
石を運び上げた人はここから元の持ち場に戻った。


19、側面に組んだ足場  20、持ち場に戻ります

王の間の花崗岩は、まず直線傾斜路で運び上げられた。
台形状の構造物は花崗岩をさらに上に運び上げるための巨大な装置。


21、花崗岩を持ち上げる装置

装置の上の木枠を起点にして、6本のロープが繋がり、
花崗岩を簡単に運び上げるための釣り合いおもりがあった。


22、起点の木枠  23、この後ろが大回廊の台車


大回廊に釣り合いおもりを乗せ、花崗岩を引っ張り上げる。
釣り合い重りが下がるのに合わせて、花崗岩が引き上げられる。


最上部に運ばれた花崗岩は王の間の上まで運ばれ、少しの隙間も無く、
一段造る度に装置を高くし、43本の花崗岩は全て積み上げられた。

10、王の間の天井になる

24、花崗岩を積む1  25、花崗岩を積む2
↑木枠の起点と王の間の間で人々がロープを引っ張り、
 釣り合いおもりがそれを助けています。

王の間が完成すると、傾斜路の石灰岩も内部トンネルで頂上まで積み上げた。


キャップストーン設置
足場が狭くなる中、5tの石を積み上げる方法。
木で柱を作り、キャップストーンに結び付けたロープを3人で捩じり、
上に引き上げ、石を挟む。どんどん柱を高くして石を積み上げる。


26、石にひもをかける

27、石の高さを上げる  28、石を挟み込む
↑と言っても数段だけ。

最後に稜線状にある広場を塞ぎ、側面の足場を外して仕上げる。

29、石積み完了  

こうして、20年位でピラミッドは完成した。

30、ピラミッド完成


稜線状のくぼみ 一つの稜線に5カ所あると予測。
内部トンネルが交差する場所ではないか。内部トンネル説の裏付けができる。

実際に登って調べる
高さ8mの直角に切りこまれた石積み、その周りは縦横5m位の平らな空間。
広場から奥に高さ2.5m、幅3mの空洞が続くが行き止まり、塞がれている? 
さらに奥に繋がりそうな溝
があった。この向こうに内部トンネルがあるのかもしれない。

再びパリのソフトウェア会社に依頼
くぼみの映像やデータを入力し、石積みを再現して、
奥にトンネルが続く可能性を見出した。


ウーダンさんは内部トンネルはあるに違いないと信じ、これからも謎に挑む。


感想
まだ確定ではないけれど、説得力があるなあと思って纏めてみました。

CGがすごい!! 感動しました。 
完成した模型をくるくる回すのはCGならではですね♪ 
逆さまにして下から見上げるなんて現実には無理ですよね。面白い~。

内部トンネルの入口は、直線傾斜路とは関係が無い所。
螺旋だから一つの稜線に5カ所で済むんだね。

石も端から一つずつ積むよりずっと少なく済みそう。
でもそんなに空洞があるのに崩れていないのだとしたらすごい計算だなあ。

花崗岩を引っ張り上げる装置やキャップストーン設置の素朴な装置を見て、
小学校の「力点・支点・作用点」を思い出しました。
そして滑車の問題の難しさに衝撃を受け、曖昧なまま終わってしまったことも。
あれが理数系で初めての挫折だったのかもしれません。
古代エジプトにちゃんと理解して活用した人がいたんだなあ。

最後はくぼみの情報を入力しただけで分かるのかな? 
分からないから「可能性を見出した」で終わったのかな。詳しい説明はなかったなあ。
これから分かっていく部分なのだろうなあ。

大回廊の状況証拠から「台車が走っていたのではないか」と推理するのはすごい。
なんだか刑事さんとか鑑識さんみたいですね。
考古学者だけでなくて、いろんな職業の人も参加すれば謎を解くのが早くなるかもなあ。

実際にピラミッドを見ながら考えることができるのは、
現在もピラミッドが残っているから。
実際に見ることができるから考えることができるんだなあ。



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 #3 ピラミッドはこうして造られた 

エジプト発掘 第1集ピラミッドはこうして造られた

王の間や重力軽減の間の大きな花崗岩
ナイル川を1000km遡った国境の町アスワンで切り出され、
運河で労働者の町のすぐ横の港に運ばれた。
一つ60tもあり、これは内部トンネルでは運べない。


そこで、王の間の手前の大回廊に注目すると、
1、角度が26度で、人が登るには急勾配。
2、足元の石の側面に前後に擦られた後が、回廊の入り口から出口まで一直線に残る。
3、上の内側にせり出した石の、三段目の石の列だけが傷ついて、角が欠けている。


これらから考えると、大回廊に台車が走っていたのではないか。

大回廊の台車に釣り合いおもりを乗せ、
反対側に60tの石を乗せた運搬台が、ロープで結ばれている。

労働者は釣り合いおもりの力を借りてロープを引っ張る。

8、花崗岩を運ぶ全体図  9、大回廊には台車が走っていた?
 
2には線と共に黒い染みも残っている。台車の潤滑油だろう。
古代エジプトでは、重い物を運ぶ時に潤滑油を使っていた。
巨大な坐像を運ぶ壁画には、中心に液体を注ぐ人が描かれている。


3はこの部分でで台車を支えたのではないか。

4、大回廊の奥、今は階段を取り付けた所は、かつてV字型の切り込みがあった。
ロープが切れないように切り込みを入れたのではないか。


11、切りこみ

台車やロープの強度の確認
コンピューターで強度計算ができるソフトウェア会社に依頼。
台車はレバノン杉・ナツメヤシのロープ・釣り合いおもり24.5tで計算。

リシェール・ブライトナー技師は、機械工学の立場からの検証の結果、
台車もロープも壊れず、
釣り合いおもりを使うことで600人必要な作業が158人で可能
だと言う。



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 #2 ピラミッドはこうして造られた 

エジプト発掘 第1集ピラミッドはこうして造られた

ジャン・ピエール・ウーダン氏の建築家ならではの新説が話題。

内部トンネル説 
ピラミッドの外観に残る、巻きつくように斜め右に伸びる白い筋の延長上に、
稜線のくぼみがある
。ただ崩れたのではなく、別の意味があるのではないか。

2、外観の白い筋とくぼみ

まず3分の1までは直線傾斜路で作り、残りを内部トンネルで石を積み上げる。

直線傾斜路は解体し、ピラミッドの材料にした。これなら傾斜路の石も無駄にならない

3、始めは直線傾斜路で作る  4、傾斜路の石も材料に使う

内部トンネルはピラミッドの側面に約4度の傾斜でらせん状に造られ、そりで石を運ぶ
一定の高さに積み上げると、トンネルを伸ばす。これを繰り返す。
これなら砂嵐や気候に左右されない。

5、螺旋内部トンネル説

内部トンネルは約1.6kmで、今もピラミッドの中に眠っているのではないか。


アブ・グラブ神殿 
大ピラミッドとほぼ同時期。100年位前はまだ崩れていなかった。
高さ5m、幅4mの内部トンネルの跡がある。内部トンネルの技術があった。

1986年 フランス隊の科学調査
重力計で内部構造を調べた。
フゥイ・ドゥオン・ビュイ博士 物理学者。
ピラミッドにらせん状の空洞がある。
密度が低い場所を線でつなげると、螺旋状になる。ウーダンさんの説を応援。

6、密度が低い場所  7、上から見た密度が低い場所

 


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 #1 ピラミッドはこうして造られた 

エジプト発掘 第1集「ピラミッドはこうして造られた」

ピラミッド建造の歴史
エジプト文明はナイル川の豊かな水と土のおかげで発展した。
豊かになった人々は、死後の世界も幸せに暮らしたいと考えるようになった。

ナイル川西岸の砂漠に約120墓のピラミッドがある
死後の世界はナイル川の西側にあると信じられていた。
西は神と崇拝する太陽が沈む方角で、
太陽に少しでも近づけば復活できると信じ、天高く伸びるピラミッドを作り始めた。


階段ピラミッド(約4700年前) 最初に造られたピラミッド。
ジュセル王(在位前2668~2649年)在位19年。高さ60m、6段。
それまでの王の墓はマスタバという台形の建物だった。
ジュセル王はマスタバを6段重ね、階段ピラミッドを作った。
亡くなった王がこの階段を登って死後の世界に行けるように造られた。

ピラミッドコンプレックス ピラミッドと様々な宗教施設を組み合わせた施設。
高さ10mの壁に囲まれ、その内側には神殿・礼拝堂・祭壇などがあった。
1、ピラミッドコンプレックス
宗教施設と組み合わせるのはその後のピラミッドにも受け継がれた。

エジプトで初めて石を使った建造物でもある。
頁岩(けつがん) 長さ80cm、厚さ20cm。周辺の地層から切り出した小さな岩。

外側から中心に向かって斜めに積み、外に崩れないようにした。


スネフェル王 4代後。クフ王の父。
より大きく、太陽の光の形のように、まっすぐな稜線のピラミッドを作ろうとした

1.崩れピラミッド 四角錐だったが完成直後に崩れた。
階段ピラミッドと同じ、石を斜めに積む方法で作ったが、
大きな石を使ったため、重さに耐えきれずに崩れた。


ピラミッド内部の部屋は一つ。
持ち送り積み 部屋の屋根は内側にせり出す特殊な工法。重量を左右に分散。


参道 ピラミッドの左側は、昔はナイル川の岸で、道の痕跡がある。
その先には河岸神殿があり、王のミイラを作る場所だった。
ピラミッド・河岸神殿・参道。この3つが、ピラミッドの典型様式となっていく。


2.屈折ピラミッド
それまでより数倍大きな石を使い、より高い物を作ろうとしたが、
建設中に崩れピラミッドが崩れたので急遽設計を変更
した。
高さ49mで角度を47度から43度にした。
石の積み方も、始めは石を斜めに積んでいたが、
圧力で崩れることが分かったので、高さ49mを境に水平に積んだ。



3.赤ピラミッド ピラミッド建造技術が確立。
石材が赤く見える。正四角錐。高さ105m。底辺220m。
内部構造 部屋が3つ。
持ち送り積みの技術が確立した。



クフ王の大ピラミッド ピラミッドの集大成
クフ王(在位前2589~2566年)

内部では3つの部屋が通路で結ばれている。
大回廊(46.7m×2.1m、高さ8.7m) 登り切った所に王の間。

王の間 30畳位の最も大きい部屋。
空っぽの花崗岩の石棺
がある。天井の赤味を帯びた重く堅い花崗岩は1つ60t。

重量軽減の間 王の間の上にある、花崗岩で造られた空間。
5層構造で43本の花崗岩が積み上げられている。
最上部は3角の屋根に花崗岩の巨石が横たわっている。
この天井に古代の文字で「クフ」と書かれていた。


古代エジプト人の技術
様々な分野で卓越した技術を持った職人がいた。


方位を正確に観測する方法

道具の開発 物差し 1キュービット(52cm)という単位は3000年使われた。

リンド数学パピルス 世界最古の数学問題集。87問。
面積・容積・ピラミッドの角度を求める問題など。


ピラミッド建設のための仕組み
ピラミッド建設は、ナイル川が氾濫する時期(7~9月の3か月間)の公共事業だった。
王は農民の衣食住を保障し、農民たちはピラミッド建設に積極的に参加した。

労働者の町の発掘
約25000人の町。約4000人の労働者が家族と暮らしていた。



ピラミッドの建造方法はいまだに不明
1、直線傾斜路説
人間が2tもの石を引き上げられる角度は5度が限界。

すると傾斜路は1.6kmになってしまい、ピラミッドと同じ位の石が必要。
それに、石灰岩の石切り場が傾斜路の真ん中になってしまい、運ぶのに不便


2、螺旋傾斜路説
細い傾斜路は、酷暑や砂嵐の多い場所では危険。
ピラミッドの稜線を真っ直ぐに保つには常に地上から測量しながら作る必要があるが、
外側に傾斜路があると、ピラミッドの測量が出来ず、ピラミッドが曲がってしまう


へロトドスは「ピラミッドは20年で造られた」と書き残している。
4000人・一年のうち3か月だけ・20年で作ったのなら、
これまで考えられてきた建造方法で作ったのではないかもしれない。



感想 
スネフェル王は3つもピラミッドを作ったんだなあ。
その3つの間にどんどん技術が上がってすごい。
次はいよいよ大ピラミッド建造法の新説です。



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